第1話 悪夢の始まりという予感がする
異世界トリップもの、というジャンルがある。
典型的なパターンとしては『勇者として召還される』『神様に転生してもらう』といったものがポピュラーだろうか。
いずれも特別な力を授けられて異世界にトリップするのが常だ。
特別な力を駆使して大冒険し、その過程で魔王っぽいものを倒してかわいいヒロインと結ばれたりするのがセオリーとなる。
なぜ俺が唐突にこんな事を語っているかというと、俺も異世界にトリップしてしまったからだ。
俺がどんな風にトリップしたかだって?
なんかおっさん臭い手袋に手違いで連れていかれました。
◇◇◇
目の前に、なんか激しく発光する物体が浮いている。
自分でも何が言いたいのかよくわからんが、とにかく浮いている。
俺は周囲を見回した。
窓。テレビとゲーム機。机。パソコン。アイドルのポスター。本棚。クローゼット。ドア。ベッド。壁掛けのバスケットゴール。
何の変哲もない、いつもの自分の部屋。
日付が変わろうかという時間のため、窓の外は真っ暗だ。この先に広がっているのは畑と山ばかりであり、街灯の光すら無い。
寝ようと思って明かりを消したので部屋の中も真っ暗だったはずなのだが、謎の発光物体のせいで部屋は明るく照らされていた。
はて、これは何のドッキリだろうか。こんな時間にドッキリを仕掛けられても反応に困るというか、イラッとするだけなのだが。
もし本物のUFOだのUMAだのなら、捕獲して一攫千金と行きたいところだ。
「ついに反応が来た……これで俺も、かわいい魔法少女系女の子の素敵パートナーに!」
光の奔流が収まると、そこには微妙におっさん臭い雰囲気を漂わせている手袋が浮いていた。
腕の部分まで覆うようになっているので、手袋というよりは篭手だろうか。
なぜ篭手を見ておっさん臭いと思ったのかはわからない。だがおっさんだと思ったのだ。こいつは理屈じゃない。
「おっと、これは失敬。あなたですかな? この私を呼び出した魔法少女大好きな美少女さんは」
我に返ったのか、独り言を止めてくるりと振り返りこちらの様子を伺う篭手。
目があるようには見えないが、振り返る意味はあるのだろうか。
「うん? さえない男子高校生の姿しか見えないな。びっくりして隠れちゃったのかな? 心配はいらないぜ、俺は怪しい者ではない! 俺はかつて紅蓮の王とまで呼ばれた、強力な魔力を秘めた篭手。いうなれば、伝説の武具ってやつさ」
篭手は縦横無尽に飛び回り、クローゼットの中やベッドの下を覗き込む。
どうでもいいけど、さえない男子高校生って俺のことか?
「あっ、俺の美少女センサーにビビビと来たぁ! 隣の部屋に美少女……いや美幼女の反応あり。我、突撃を敢行す」
「待てや」
篭手に巻かれた布ををむんずと掴み、今まさに隣の部屋に向かって飛び立とうとしていた篭手の動きを止める。
すると篭手は驚愕の表情(?)でこちらの方を見た。
「ば、馬鹿な! 召還した者以外から見えないステルスモードを発動しているのに、俺の姿が見える……? ありえん、俺が指定した条件にまったく当てはまらないじゃないか」
ワナワナと震え始める篭手。何か知らんけど無性に殴りたい。
「十三歳から十八歳までの年頃で……」
「まぁ、確かに十六歳だな」
十三歳からOKなのか、こいつはロリコンだな。変質者っぽい雰囲気をかもし出しているし、間違いない。清廉潔白を地で行く俺とは対極の存在だ。
「運動が得意で、恋に興味がありつつも一歩踏み出せずにいて、ちょっぴりエッチで……」
「確かに運動が得意で恋に興味はあるな」
最後のはちょっぴりかどうかは知らんが。男は誰だって心にピュアなエロスの領域を持っている。子孫を繁栄させるための行為にふけりたいと思っている。こいつは理屈じゃない、本能だ。エッチしたい。
「魔法少女プリティ☆プロテインのステッキを購入していて……」
「買ったな。妹へのプレゼント用として」
重量が調整できてダンベル代わりにもなるステッキな。あんなのを振り回すなんて包丁振り回すより危険な気がするが、妹は随分と喜んでいた。最近の小学校低学年の思考回路はよくわからん。
「雨に濡れた捨て猫を放っておけないような性格で……」
「……見てたのか?」
そこまで口にした篭手は、ハッと気づいて頭を抱える。
篭手がどうやって頭を抱えているのかはよくわからないが、俺の目にはそう見えた。
「しまった! 性別の指定をするのを忘れていたっ!!」
スギャーンという効果音を背景に背負い、篭手は叫んだ。
どうでもいいけど、手違いならさっさと帰ってくれないかな。今日の俺は傷心なのだ。心に傷を負っているのだ。さっさと不貞寝したい。
今日のデートで気になるあの子に告白したのだが、見事に振られてしまった。
……畜生! 脈がないならさっさとそう言ってくれよ! 誕生日にデートに誘ってOKを貰えるなんて、もうこれは告白もOKの流れだっただろ! プレゼントも喜んでもらえたし、デート自体も楽しんで貰えた自信があった。なのに何故……!?
「まぁいいか、こいつでも。面白い運命してるし」
と、俺を放置して頭を抱えていたロリコンの篭手がこちらの方を向いた。
なんか嫌な予感がする。
「お前さんよ、異世界トリップに興味はないか? 異世界が嫌になったらこっちに戻って来る事もできるゆとり仕様だぞ」
「興味が無いわけではないが、お前の存在が気に入らない」
うろんげな目で篭手を見る俺の言葉をスルーし近づいてきた篭手が、俺の肩に手を置く。
なんだこいつ、えらく気安く触ってきよる。うさんくさすぎだろ。こいつからは詐欺師の香りがする。
「まぁそう言うなって。異世界は楽しいぜ? なんせ可愛い女の子が山盛りだ。おまけにいきなり高レベル補正付きの超ベリーイージーモードだから、女の子達から熱烈なラブコールを受けること間違いなしだ」
「ほう。詳しく話を聞かせてもらおうか」
俺は旧知の友に接するように篭手の手を握った。
こいつは信頼できる奴だ。間違いない。
篭手……バヤールと名乗る奴の話を聞いた俺は、バヤールの提案を二つ返事で了承した。可愛い女の子達が俺を待っていると聞かされては行かないわけにはいかない。熱く燃えたぎる俺の清い情欲はもう止められない。出す物を出せばしばらく収まるかもしれないが、すぐに復活してしまうだろう。男が賢者になれる時間は短いのだ。
いろいろと異世界の話を聞いたが、こちらとは時間の流れが違うため三ヶ月ほど向こうにいても明日の朝までには帰って来られるらしい。おまけに死んでもこっちの世界に戻ってくるだけという親切設計だ。乗らない手は無い、このビッグウェーブに!
そう思った俺は、バヤールの口車に乗せられてあっさり異世界に行く事を決めた。
「ここに契約は成立した。さっきも言ったが、俺の名はバヤール。お前の名は?」
「大河。一条大河だ。よろしくな、バヤール」
「タイガか。こちらこそよろしく」
名乗り合いつつ握手をする俺達。その間には、堅い男の友情が結ばれていた。
「んじゃ、ベッドの上に横になってくれ。異世界に飛ばす準備をする」
「ああわかった」
大人しくベッドの上に横になって横目でバヤールの方を見ると、バヤールはなぜかバールのようなものを手に持ちビュンビュンと振り回している所だった。
え、ちょっと待って。何しようとしてるの?
「起きたまま意識を飛ばす事は難しいからな。これから魔法でお前を眠らせるぞ」
「ちょっと待てやコラ。さすがの俺も騙されないぞ、意識どころか下手すりゃ命が刈り取られるわ」
「大丈夫、俺の腕を信用しろ……マジカル・スリープ(物理)!」
「ぎゃあああああああ!」
こうして俺の意識は暗転した。
薄れゆく意識の中、俺はバヤールをぶち殺すと心に誓った。
◇◇◇
「目、覚めたか?」
目を覚ますと、そこは森の中だった。
巨大な木々が視界覆いつくし、地面に横たわる俺の元までは日の光もろくに届かない程深い森。
でこぼこした地面……というか、縦横無尽に走るぶっとい木の根の上に横たわってるので激しく背中が痛い。
俺の頭の脇には、俺を覗き込む魔法(物理)の篭手ことバヤールが見える。
「よくわからんが、悪夢の始まりという予感がする」
「そりゃよかった。これは夢だなんて思うのは、ここが現実である証拠……ギャアアアアッッ!」
ふざけた事を抜かすバヤールを踏みつけながら俺は立ち上がる。目の前にある木を見上げてみるが、見える範囲だけでも高さ三十メートル以上はありそうだ。生い茂る葉に邪魔されて天辺までは見えない。でかすぎだろ、樹齢千年の木でもここまではいかないぞ。
「ここが異世界なのか? ずいぶん深い森の中みたいだけど」
「ああ、そうだ。異世界"ユークレスト"だ……あと、俺に危害を与えても無駄だぞ。俺に痛覚は無いからな」
「嘘付け、めっちゃ悲鳴あげてたじゃねぇか」
ズキズキ痛む頭を押さえつつ起き上がり、固くなった体をほぐす。息を吸い込むと森の香りが体の中に染み渡った。家の周囲にある山の生臭い香り(肥料の匂いだ)とは大違いである。ほのかに甘い香りがするのは、桂の木だろうか? 寒さに強い木だ。今は肌寒さを感じないが、もしかしたら明け方は冷え込むかもしれない。野宿は避けるべきだな。日本での常識がここで通じるとは思えないが、注意はしておくに越した事はないだろう。
「それで? 俺はこれからどうすればいい?」
「とりあえず、戦えばいいんじゃないかな」
「……何と?」
「あれと」
バヤールが指を指した先には、こちらを血走った目で睨む大きな熊の姿が。
体長は三メートルはあるだろうか。血走った目に荒い息。その視線は明らかに俺の方を向いていた。
視線を集中させると、"グリズリー"という文字が空中に浮かび上がる。ああ、なんだかゲームっぽい演出だなぁ……
「……OKOK。熊に出会った時は死んだ振りをすればいいんだったかな」
「無駄だぜ。あの熊お前さんを食うつもりのようだからな。生きてようが死んでようが関係ねぇ」
「Oh……デンジャーな熊だぜ。熊はおとなしく鮭でも食っておけばいいものを」
熊が走り出した。向かう先は当然俺の方だ。ラグビー部の連中にタックルを受けたことがあるが、圧迫感はガチムチラガーマンの比ではない。あんなのに当たったら内臓が飛び出てしまう。
「ぎゃああああああああ!!」
俺は一目散に逃げ出した。
「おいおい、落ち着け。俺が力を貸せばあんな奴イチコロだぜ?」
「アホか! あんなのと戦ったら俺がイチコロだわ!」
「あっ、信じてねぇな? なら見せてやる。俺の力を!」
カッとバヤールが光に包まれたかと思ったら、その光はやがて俺の全身を覆う。
なんかしらんけど光が弾けるたびに俺の服も一緒に弾けて消えていき、全裸で森を全力疾走する高校生男子とそれを追いかける熊というシュールな光景が生み出された。
「あ、しまった。魔法少女用の衣装を設定してたんだった」
なんとなく不吉っぽい事を呟くバヤール。
再び光が俺の体を覆うと、俺は全裸ではなくなっていた。
そこには、サイズが合わずぴっちぴちになった薄手の衣装を纏う俺がいた。
男子高校生の体のラインが丸わかりなピンクの衣装。ふりふりのレースがあしらわれた服は、サイズが合わないためぱっつんぱっつんだ。パンツ丸見えだろと言いたくなるほど短いスカートからは、脛毛ぼーぼーの暑苦しい脚がのびていた。
「げんげろげぇぇぇぇぇッッ!!」
バヤールが謎の液体を噴出しつつ地面に崩れ落ちる。
「お前、なんだよこれ!」
俺は抗議の声を上げるが、ゴミのように地面に横たわるカスは力なくピクピクと痙攣するだけだ。
不本意だが、こいつは唯一の生命線。俺は役立たずなバヤールを拾い上げ再び走り始める。
「おぞましい物を見た……うっぷ」
「お前ふざけんな。お前におぞましい物にさせられたんだよ!」
バヤールをどつきつつ走る俺は、背後に悪寒を感じて体を前に投げ出した。
直後、俺の頭があった場所を熊の豪腕が通過する。とんでもない風圧だ。直撃していたら俺の頭は体とお別れしていただろう。
「ひいいいッッ!?」
体勢を崩した俺は、続く熊の攻撃を避けることができなかった。
俺は体を縮こまらせて必死に腕でガードをする。だがそんなの無駄だろう。こんな早くゲームオーバーだなんて、あんなアホっぽい間抜けな篭手の口車に乗せられるじゃなかった……
俺がバヤールへの呪詛を心の中で呟きながら死の瞬間を待っていると、腕に軽い衝撃が走った。熊の攻撃が俺の腕に弾かれたのだ。
……あれ、この熊弱くね?
「見たか、俺の力を! あんな熊ごとき敵じゃねぇんだよ」
「マジか。お前すげぇな、ちょっとだけ見直したわ」
胡散臭さMAXだが、どうやらバヤールの力とやらは本物だったらしい。
これなら勝てる。相手がどんな巨大熊であろうと負けるはずがない。
俺は今、究極のパワーを手に入れたのだぁーッッ!
大昔の漫画で見た死亡フラグ的セリフを頭に思い浮かべつつ、俺は熊にパンチを食らわせた。
すると、なんということでしょう。俺の手首は見事にぐきりと折れ曲がった。
「げぴゃっ」
続く熊のラリアット攻撃を喰らい俺は吹き飛んだ。頭がクラクラする。脚は生まれたてのバンビのようにガクガクだ。
「お、お前……熊ごとき、敵じゃないんじゃなかったのかよ……」
「うっぷ……すまん、吐き気でうまく力を伝えられない」
「お前ふざけんな。こっちは命がけなんだよ!」
篭手が何を吐くっていうんだよ。手垢か? オイルか? 愚痴か?
最後のは俺が吐き捨てたいわ。
「命は掛かってないっつっただろ」
「アホか、戦いへの恐怖だけで寿命がマッハで縮んでいくわ。平和ボケした日本人なめんなよ」
「お前なんで異世界行き了承したの? 魔物がいるって言ったよね?」
「正直可愛い女の子の話しか聞いてませんでした」
「ああ……予想以上にお馬鹿な奴を連れてきちまったか……」
「お前にお馬鹿とか言われたくないんだが」
俺の耳は俺の都合のいいようにできている。
なんせ俺の耳だからな。
一度攻撃を防いだからか。警戒しつつこちらを睨む熊が動かないのを見て、俺は熊から視線を外さないままジリジリと後退する。
このまま逃げ切れたら嬉しいんだけど、そうはいかないだろうなぁ。
「とりあえず、このおぞましい外見を何とかした方がいいな。フェイスチェンジ!」
バヤールがそう叫ぶと、俺の体がうっすらとした光に包まれた。
「おお、魔法か!」
「これで周りからは美少女にしか見えなくなった。これで大丈夫だ、俺の精神が」
「ついでに俺の精神も考慮してくれると嬉しいんだけど」
「それは考慮に値しないな」
さいですか。
まぁいい。とりあえず、当面の危機を凌げるなら万々歳だ。
そう思いながら俺は自分の体を見下ろすが、相変わらずおぞましい格好の男子高校生の体が見えるだけだった。
「俺の目には何も変わったようには見えないんだけど?」
「意識をごまかしてるだけだからな。お前を目にした奴の心象を操作する事はできても、さすがに長年共に過ごした自分の体の認識をごまかす事はできねぇよ」
「ほー。ま、これでちゃんと戦えるならそれでいいけど」
この服装よりもまずは当面の危機の対処が先だ。異世界トリップから一分でゲームオーバーとかどんな糞ゲーだっつうの。
……あれ、今バヤール魔法使ったよな。さっきのスリープ(物理)はなんだったんだ? 魔法の無い世界だと魔法が使えないとか?
じゃあどうやって俺をこの世界に連れてきたんだ?
そんな事を考えている間に、熊が再度こちらに襲い掛かってくる。
俺は反射的に熊に向かって腕を振りかぶりパンチをお見舞いした。
恐怖で体が固まった俺のヘロヘロパンチは熊に見事に命中し、熊の体を貫通し、衝撃で熊の体をミンチにした。
「……は?」
降り注ぐ血に晒されながら、俺は呆然と声を上げる。
腕にやわらかい感触が乗っかってくる。熊の体から零れ落ちた内臓が腕に落ちてきたのだ。
それは、まだドクドクと脈動を繰り返してる心臓だった。
「おげぇぇぇぇぇぇッッ!!」
あんまりにスプラッタな光景と感触に、俺は胃の中の物を全てぶちまけた。胃液に混じって晩飯の味噌汁に入っていたワカメが見える。ああ、ワカメが消化しにくいってのは本当だったんだなぁ……
そんな風に現実逃避している俺に対し、バヤールが容赦ない言葉を浴びせかけてきた。
「なんだよ、この程度で吐くなんて。軟弱な野郎だ」
「うっぷ……お前にだけは言われたくない」
俺は口元を押さえつつ抗議の声を上げる。
お前だって俺の魔法少女姿を見て吐いてただろ。そっちの方がこのスプラッタよりまだマシだろ。
……マシだよな?




