B-4 故郷の空
荒野と険しい山脈の合間にできた街。
懐かしい空気だ。北側に乱立する山々から吹き降ろすやや冷たい風が心地いい。レオは、体に馴染む空気を胸いっぱいに吸い込みながら目を閉じた。
レオの視界は空を飛び、街を飛び越えて高い所から山を見下ろしていた。
昔住んでいた山小屋に続く道は草木に覆われてしまっているようだったが、この辺りには大型の草食動物が多い。獣道を辿れば、山小屋に行くのはそれほど苦労しないだろう。
山の開けた場所には湖が広がっていた。というより、湖があるから木々が開けているといったほうが正しいか。湧き水が岩を伝って湖に流れ込んでいるのは、レオが住んでいた頃となんら変わりない。昔はよくあの湖にいったものだ。湖に水が零れ落ちる清らかな音が今でも耳に残っている。
目を開いて空を見上げると、懐かしい空が見えた。どこから見たって空は空ではあるが、やはり故郷の空はレオの心に響いた。わずかに掛かっている雲が、山の方から街のほうへと流れてきている。
水源が豊富な北側と違い、街の南には乾いた荒野が広がっていた。今の季節だけは北側から風が吹いているのでまだ雨が降る事もあるが、それ以外はろくに雲すら流れてこない不毛の大地だ。見渡しても、痩せた植物がぽつりぽつりと生えている程度。
この街は、北の山から湧き出る水を生命線としている。平坦だが水源が無く人の住めない荒野と、険しいがために人の住めない山脈。その合間にひっそりと、レオの故郷は広がっていた。
ひっそりとは言っても、それは荒野や山脈の大きさと比べての話だ。街の中は活気で満ち溢れている。
レオが街の門を潜ると、その耳に大通りの喧騒がやかましいくらいに襲い掛かってきた。大通りには昔のように商店が立ち並び、行きかう人々に対し威勢のいい声を張り上げている。
レオは、まず最初に行くべき場所について思考を巡らせた。
冒険者組合と宿には寄るとして、それからどうするか。
……店主の爺さんがくたばってなければ、冒険者組合の傍にはレオがよく通っていた武具店があるはずだ。
寄ってみて、弓の調整をしてもらうのもいいかもしれない。背丈こそ変わらないが、この二年間で多少なりとも成長した。いろいろと修正すべき箇所はあるだろう。整備も調整もこまめに行ってはいるが、製作者であるあの老人に手を入れてもらうのが一番いい。
そんな事を思いながらレオが大通りを歩いていると、露天で果物を販売している中年の女性が声を掛けてきた。
「あら、レオナちゃん? ひさしぶりねぇ、また大きくなって!」
「……どうも、ご無沙汰してます」
レオは、無難に挨拶を交わした。
子供の頃の自分を知っているこの女性の事をレオは若干苦手としていた。押しが強すぎるのだ。一度世間話を始められたら、何時間話に付き合わされることか。
二度と戻ってくる事は無いかもしれないぐらいの気持ちでこの街を出たレオだが、なんだかんだで年に二、三度は戻ってくる羽目になっていた。そしてこの女性は、なぜか毎回レオをとっ捕まえてくるのだ。忍者か何かなのだろうか。
「おばさん、歩きながら食べられるような果物を下さい。まず組合と宿に行かないといけないので」
「あいよっ。せっかく戻ってきたんだから、皆の所に顔をだしなさいよ!」
「わかったわ」
果物を受けとったレオは、それを口にしながら再び街を歩きはじめる。
果物売りの女性からしばらく離れた所で、バヤールが口を開いた。
「なんか、すんごい押しの強そうなおばさんだったな」
「ええ。下手な事を口にしていたら、あの場に取り込まれて延々と世間話をさせられている所だったわ」
「まじか……今の一瞬で一つの危機を回避してたのかよ」
「嫌いと言うわけではないんだけど、距離感が近すぎる人は苦手なのよね。あの人、会うたびに口癖みたいに『大きくなった』って言ってくるし」
バヤールは視線をレオの顔から少し下にずらし、思ったことを述べる。
「……あのおばちゃんが見てたの、たぶん背丈じゃ無いんじゃないかな」
「わかってる。だから反応に困る」
シャリシャリと瑞々しい果物を口にしつつ、レオとバヤールは街をゆっくりと眺めながら歩き回る。
感傷に浸っているであろうレオに遠慮してしばらく口を開かなかったバヤールだったが、冒険者組合に寄り、宿で荷物を置いてからは少しずつ口を開くようになっていた。
「しかし、レオって通称だったんだな。この街の奴は皆お前さんのことをレオナって呼ぶじゃねぇか」
「昔はレオナで通してたんだけど。レオの方が強そうだったからレオにした」
「ふーん」
嘘だと感じた。いや、本当の事を話していないといった方が正しいか。
バヤールは、レオが「レオ」と名乗る事に強い意味を見出していると感じている。
強そうだったから。それは、レオ自身が思ったことだろうか。レオは名前なんかに頓着しないような気がする。そういった事に気を回すのは、むしろ親の方だろう。レオナという名前自体が嫌だというならわからなくもないが、街の人たちがレオナと呼ぶ事に忌避感も持っていないようだった。大体、レオもレオナも大して変わらない。
そこまで考えてバヤールは思考を中断した。踏み込みすぎだ。人の事情をとやかく言う気など無い。
出会ってから三週間余り。いまだバヤールはレオの事をいまいち理解できないでいた。
レオ達が大通りを逸れて少し進むと、古ぼけた石造りの建物が見えてくる。
無骨な扉を押し開くと、ガランゴロンと鈍い金属音が鳴り響いた。昔は綺麗な鈴の音だったが、年月と共に錆びてしまったのだ。レオがここに通っていた頃より更に酷くなっている。いい加減直せばいいのにとレオは思ったが、まぁこれはこれで味があるのかもしれない。オンリーワンという奴だ。
そう思いながらレオが受付に腰掛けた青年に声を掛けると、青年は奥に引っ込んでいる老技師を呼んできてくれた。
青年の顔と名前には見覚えがある。たしか、老技師の孫。後を継ぎたくないと言い放っていたが、結局後を継いで技師となったのだろうか。
やや時間を置いて、店の奥から老技師が出てくる。この老技師の腕前は確かで、周辺の町からこの老技師の作成した武具を求めて客が来るほどだ。いろんな客が身の丈に合わない注文をしてくるのに嫌気がさして、ついには店の奥からほとんど出てこなくなってしまった。
「よく来たな。要望は?」
「筋力と体のサイズに合わせて弓を調整。時間がかかってもいい。高い精度を要望する」
「わかった。奥の的場にきな」
老技師とレオはシンプルなやり取りで会話を終える。久しぶりとはいえ、レオの注文は毎回同じ。いつもと変わらぬ注文だったため、会話はこれだけで事足りた。
レオの射を数度見た後、老技師は弓の調整を開始する。
冒険者の扱う弓は劣化が早い傾向にある。乱暴に扱われる上に、街の外ではずっと弦を張りつめたままでいるためだ。しかしレオの弓にそれは見られなかった。素材の剛性を回復させる魔法――ある種の強力な回復魔法を掛けたのかもしれない。レオは老技師が作成したこの弓を大切に扱っているらしい。偏屈な老技師ではあるが、自分の作った武器を愛用されて悪い気はしなかった。
調整を行い、レオが再び試し射ち。それを繰り返す。
事務的に必要な情報だけをやり取りしていた二人だったが、調整も終盤に差し掛かると珍しく老技師の方から世間話を振ってきた。
「そういや、聞いたか? あの与太話を」
「……与太話?」
世間から切り離されたように生きる老技師が世間話をするなんて、とても珍しい事だった。
それが逆にレオの興味を強く引いた。レオは老技師の方に視線を向けて続きを促す。
「なんでも魔王の復活が近いだとか。200年前に魔王の側近やってた魔族連中が、魔物共を引き連れて街を襲うついでに吹聴して周ってるらしい」
「へぇ」
その話はレオも聞いたことがある。というより、冒険者組合の中ではその話題で持ちきりだった。被害を受けて仕事を失った連中が最後の手段として冒険者組合の門戸を叩く例も少なくない。質の悪い冒険者を大量に抱えた組合は大混乱だ。金のために無謀な仕事に挑戦し命を落とした連中がどれだけいることか。
レオがその話を知っている事ぐらい老技師だって百も承知だろう。お互いが知っているであろう噂話に花を咲かせるという間柄でもない。
レオは、老技師がこの話を切り出した理由が気になった。
「でも珍しいわね。あなたが噂話を気にするなんて」
「気にするに決まってんだろ、俺は武器作ってんだぞ? お偉いさんだの、冒険者連中だのからうるさい注文が殺到してきてな……俺は、好きに武器を作りたいだけなのに。どんな使い手が使うかもわからん武器なんて、作る気にならん」
「数を揃えたいだけでしょう? 扱いやすいのを適当に作っておけばいいと思うけど」
「扱いやすいだけの武器なんて作っても、面白くない」
「……あなたは、商売に向いてないと思うわ」
要は、愚痴をこぼしたかったという事か。
レオはそれで納得しようとしていたが、老技師の方は一つ大きな咳をして、少しどもったように話を続ける。
まだ続きがあるようだ。
「まぁ、こんな話をして何が言いたかったかっていうとだな!」
弓の弦を弾きながら老技師が声を荒げる。
弦は空気を切り裂き空気を震わせた。良い音だ。身が引き締まる。
「このご時勢に一人旅なんて危険だ。単独行動すべきじゃない……食い詰めた連中が盗賊に身を落としたなんて話も聞く。教会の恩赦が出ない限り犯罪者の烙印は消えない。そして教会が盗賊に恩赦を与えるはずも無い……敵は、魔物だけじゃなくなってきてるんだ」
弦の張りを調整しつつ、老技師は続けた。
らしくない事を言っている自覚はあるのだろう。やや早口で、棒読みなわざとらしい口調だった。
「信頼できる仲間が簡単に見つかるもんじゃないってのはわかってるが、それでも一人は駄目だ。あるいは、この街に住むか……お前も、この街の連中を信頼してないわけじゃないだろう? 仲間が見つからないってんなら、そういう道だってあるんじゃねぇかな」
それだけ言うと老技師は口を閉じた。
まるで、必死に覚えた原稿を読み上げ終わったかのようだ。レオが無言でいると、続く言葉を捜して目が泳いでいた。だがいくら目を彷徨わせても続く言葉は見つからない。そんなものは用意されていない。
「……ありがたい話だけど、そういうわけにもいかない」
レオは、老技師の言葉を拒絶した。
一度決めた事を曲げるつもりは無い。レオの心の奥底にはまだ炎が燻っている。褒められた行為ではないかもしれないが、それでもその燻りが消える事など、無い。
「――ま、そうだよな。俺が言えた義理じゃないが、お前さんは頑固だからな」
老技師はレオから視線を逸らし、頭を掻いた。
「俺も、ガラじゃねぇってわかってるんだけどよ。商店街のババァ共がうるさくてなぁ……そんな心配なら自分で言えってんだ」
やはり叔母様達の差し金かとレオは嘆息を漏らした。内心はともかく、老技師があんな提案を口にするなんてらしくない。
やがて老技師は、最終調整を終えた弓をレオに差し出す。
それを受け取ったレオが弓を構えると、まるで体の一部のようにしっくりと納まった。完璧な調整。さすがの腕前だ。
レオは最後の一射を放つ。矢は当然のように的の中央に突き刺さる……どころか勢い余って貫通し、壁際に敷き詰められた藁の束に潜りこんで消えた。
「お前さんもババァ共には気をつけろよ。隙あらばお見合いを設定しようと画策してやがるからな」
「……気をつけておく。今は結婚する気なんて無いし」
弓の完成度に満足し、構えを解きながらレオが答える。
自分が男を好きになるなんてレオには想像もできかった。同年代の者達と過ごした経験を殆ど持たないレオにとって、恋愛なんて遠い世界の出来事なのだ。レオにとって唯一の指標となるお爺さんだって、ずっと独り身だった。
……そういえば、と。
レオはお爺さんの昔話を一つ思い出した。
お爺さんも、一度だけ女性を愛した事があったらしい。確かそんな話を聞いたことがある。
身分の差を気にして告白すらできないまま時が流れ、結局別の男性と結婚してしまったと聞いたが……あんな朴念仁のお爺さんでも恋に落ちる事があるなら、自分にもそういう機会はあるのかもしれないとレオは思った。
やはり、全く想像もできない事ではあったが。
レオは弓を降ろして体を解し、余計な考えを頭から振り払った。




