A-3 アイオーン
◇◇◇ 回想 ◇◇◇
ある日。私は、木の洞の中で衰弱し横たわる子犬を見つけた。
冬の朝、とても寒い日だった。空はどんよりと曇り、草木には霜が降り、吐く息は白く。手足はいう事を聞かない。
そんな日だというのに、子犬の吐く息だけは白くならない。小さい生物は体温が高いのが常のはずなのに。
私が手袋を外して子犬に触ると、その体は驚くほど冷たかった。このままだと長くは持たない。
すっかり狩りに慣れてしまった私ではあるけれど、私はこの子を助けたいと思った。
親の加護が無ければ生きていけない年齢。おそらくは両親を失っているであろう子犬に、自分の姿を重ねたからだろうか。
子犬を抱きかかえて家に戻る途中、私はどうやってお爺さんを説得したものか頭を悩ませていた。獣を助けるなど、狩人として失格だと叱責されるものだと思っていた。
しかし、悩むぐらいならやってみろとばかりの教育を受けてきた私がうまい解決策を思いつくはずもなく。
家に戻って開口一番「犬を飼いたい」と発言した私に返って来た答えは、「かまわんぞ」だった。
「……え、いいの?」
拍子抜けである。了承を得られるにしても、しつこいぐらいに注意点を列挙されるものだとばかり思っていた。
「かまわんと言った。狩りの相棒として犬は申し分ない。共に狩りをするのもいい経験になるだろう」
この頃はほとんど一人で狩りをしていたから、一人前になった狩人は一人で獲物を狩るものだと思い込んでいた。
今思い返してみれば、お爺さんの体はもう限界だったのだろう。子供の目から見える大人はなんでも出来るすごい人に思えるが、もちろん実際はそんな事など無い。
お爺さんは、高齢なのだ。共に狩りができないのであれば代わりの相棒を探す事は急務だった。渡りに船、良いタイミングだったのだろう。
「猟犬の躾は、何度かやった事がある。だがお前の相棒だ。お前が躾をするべきだろう」
「……うん、ちゃんと覚える」
お爺さんは、一から十まで言わない。お爺さんの言葉を意訳すると、躾の仕方を教えるから覚えろ、だった。
犬の躾なんて今まで教わった事がないし、狩りの相棒がヘマをやらかすのは致命的だ。躾は失敗が許される類のものではない。相棒に命を預ける覚悟がなければ二人で狩りなんてできない。獲物を逃がすだけならともかく、逆に自分達が狩られてしまう結果になる事もあるのだから。
失敗してもいい事ならやってみろ、失敗してはいけない事なら成功できる確証を持てるまで一人でやるな。口を酸っぱくして言われてきた事だ。
ちなみに、失敗していい事かをどうやって判断すればいいかは教わっていない。
◇◇◇
拾ったときには酷く衰弱してた子犬だったが、あっという間に元気になった。今ではあちこち走り回ったかと思ったら私の所まで戻ってきてじゃれついてきたりと、とにかくせわしない。
頭と手足ばかりが大きく可愛らしくも不恰好だった体は、たった数ヶ月ですっかり成長した。今や私の足では全く追いつけない。人間が犬の足に敵わないのは当然なのだが、若干悔しい。
たっぷり栄養を取ったからだろうか、くすんだ体毛は鮮やかさを取り戻していた。森の中を閃光のように駆け回る白と青の輝きは、心底綺麗だと思えた。
「アイオーン、こっちこっち!」
名前はアイオーンにした。
お爺さんが話してくれた昔話に出てきた名前だ。永遠を象徴する、神様の名前。
ずっと一緒に居て欲しいという願いを込めて、私が付けた。
私は満面の笑顔を浮かべてアイオーンと追いかけっこをしながら、家の周囲を駆け回る。私に追いついて来て元気良く吠えるアイオーンの頭を、私は撫で回した。
サラサラの毛並みが気持ちいい。太陽の光に当たっていたからだろうか、いつにも増してアイオーンの体はあったかい。抱きしめるとポカポカする。頬をペロペロと舐めてくるのがくすぐったい。
私とお爺さんしかいなかったこの場所で、アイオーンは輝きを放っていた。そこら中を走り回り元気に吠えるアイオーンを見ていると、私まで元気が出てくる。アイオーンが傍にいるだけで、世界が鮮やかに色づいて見えた。
「わん!」
私は吠えた。アイオーンも負けじとワンワン叫ぶ。意味もなく叫ぶだけで楽しいだなんて、私は知らなかった。もちろん、一人で叫んだって悲しいだけだろうけど。
今日も一日、アイオーンと共に過ごした。
アイオーンと一緒に遊び、いろんな指示を覚えさせ、森の中を走り回って地形や巡回ルートを教えた。
寝るときも、アイオーンはよくベッドの中に潜りこんでくる。寝返りを打った拍子に押しつぶしてしまわないか不安だったので、昔は決してベッドの中には入れなかった。しかしあまりにしつこく擦り寄ってくる上に体がすっかり大きくなった事もあり、私は諦めた。
◇◇◇
アイオーンは私と違い物覚えが良く、たった半年で狩りが出来るようになっていた。
元々、外をうろついている獲物は私の目から逃れる事など出来やしない。良い耳と鼻を持つアイオーンが獲物を探してねぐらから追い出し、それを私が補足し仕留める。完璧なコンビネーションだった。お爺さんをして「これなら安心だ」と言わしめる程だった。
この日、私とアイオーンは熊型の魔物を仕留めた。
さすがに熊を丸ごと収納できるほど魔法の鞄は万能ではないため、その場で必要な部分だけ捌く必要があった。結果、二人とも体が血で汚れる事となった。捌くのは私なので別にアイオーンまで汚れる必要はないのだが、やけに私の真似をしたがるのだ。
「こうして見ると、アイオーンは結構スリムなんだね」
嫌がるアイオーンを連れて風呂場で血を洗い流す。
私の方はそれ程手間も掛からないが、アイオーンの体に付いた血を洗い流すのは骨だ。
クゥーンと可愛らしい抗議の声を上げるアイオーンを優しく洗うと、その体は普段の半分ほどの体積になった。
この体のどこに一日中走り回れる程のパワーが溜められているのだろうか。神秘だ。
アイオーンと一緒に軽くぬるま湯に浸かり(水を嫌がるそぶりは見せるが、放置して風呂に入っていると擦り寄ってくる)、外でアイオーンと一緒に日向ぼっこをする。日差しとアイオーンが眩しく、暖かい。体が乾くと、アイオーンは横になった私の腹の上に頭を乗せて丸くなる。私はうとうとしながら、アイオーンの頭を撫で回した。心地よいのか、アイオーンは軽く鼻息を漏らしながら耳を私のお腹に擦り付けてきた。
この日も、平和に一日が過ぎていった。
次の日も、次の日も。当たり前のように平和な一日が訪れ、過ぎ去っていった。
私とアイオーンは、いつも一緒だった。
最後の時が訪れるまで。




