65.星はこの手に
「今来た料理、食べないで下さい! ――やめて! 触るのも駄目!!」
突然血相を変えて叫んだ正妃に、長老会の老人たちがぎょっと目を剥いた。
椿はテーブルに駆け寄ると手が付けられそうになっていた皿を叩き落とす。大きな音が鳴り、何事かと広間じゅうの視線が集まった。
「何をする!? 無礼ではありませんか!」
「お叱りはあとで受けます! 誰か、口にしてしまった人はいませんか!? ――ウマル先生っ! 来てください!」
――勘違いであったなら、それはそれで良かった。無礼な、最悪気のふれた正妃とそしられるかもしれないが死人が出るよりよほどマシだ。
毒だ、と口にすることはさすがにはばかられて周囲を見回すと、口を覆って戻しそうになっている老人を二人見つけた。椿が叫ぶと、列席していた師ウマルが反対側からヨタヨタと駆け付ける。
「なんじゃ、どうした」
「ラツダです……! 匂いが。こちらの方たちが食べてしまったみたいで。解毒薬はありますか!?」
「薬房に戻ればある。今宵はマジュディが詰めていたはずじゃ。――これ、ルムア! ひとっ走りして呼んで来い!」
「わ、分かりました。師夫! ――シャウラ様! どうかツバキ様の護衛を……!」
金髪の美しい侍女は鋭く叫ぶと、風のような速度で出口へと向かっていく。すぐにドレス姿のシャウラが駆け寄り、椿にぴたりと寄り添った。
「いかがしますか、妃殿下」
「この方たちを控室に運んでください! それから他に食べてしまった人がいないか見て――。イクバール! あとは任せていい!?」
「あ、ああ。――衛士よ、広間を封じろ! それから厨房もだ。太守府から一人も逃すな……!」
豪奢な花嫁装束のままバタバタと正妃が控室に下がると、圧倒されたような空気の中でイクバールと側近二人が采配を振りはじめた。
解毒薬を携えたマジュディと医務院にいた医者を引き連れてルムアが太守府に戻ってくると、控室で即座に治療が開始された。
幸い、食べたのが少量だったのと解毒薬の処方が早かったおかげで大事には至らず、他の中毒者も出なかった。
応急処置の済んだ老人二人を医務院へと送り出すと、椿はほっと息をつき、残ったマジュディと原因の特定に乗り出す。
本日の食材となることを免れ、厨房の片隅に置かれた水瓶で悠々と泳いでいた魚に先ほどの料理を与えてみると、すぐに白い腹を見せて動かなくなった。――やはり、毒。
「まあ確定だろうが、薬房に持ち帰って詳しく調べてみる」
「私も行きます」
「あんたが? ……あのな、今日が何の日か忘れたのか?」
いつもの仕事中の調子で答えた椿は、数秒間沈黙し、ちらちらと気遣わしげにこちらを見ている侍女姿のルムアに気付いた。そして「あ」と口を覆う。
(や……、やっちゃったー! 宴で大立ち回り、しかも介抱で中座したまま戻ってこない正妃――。ヤバい)
「あとはやっとくから、いい加減戻れ。……俺も職は惜しい。太守に睨まれたくはない」
「はい……」
乱れた髪と衣装を最低限整えると、椿は言い訳を考えながら大広間へと戻ってきた。扉をくぐると、わっと歓声に出迎えられる。
(えっ……! なに!?)
道を開けられて中央を進むと、上座からイクバールが迎えに来た。騒動は落ち着いたようだが、状況が分からず困惑する椿にイクバールは小声で耳打ちする。
「顔を上げて毅然としていろ。今説明してやる」
「……?」
元の席に戻ると、座ることもせずにイクバールは椿の手を高々と掲げた。その場にいた皆の注目が集まるのを待って、重々しく口を開く。
「勇敢なる我が正妃が今戻った。……幸いなことに大事には至らなかったが、毒を盛られたのは、いつも俺に正しき道を示してくれた大恩ある長老会の者たちだ。歯が弱くとも食べやすいものを、との配慮により調理を別鍋でしていたのを狙われたようだ。俺や正妃の皿には毒見が入るため、少量でも効果が出やすいご老人方に狙いを切り替えたようだ」
厳しいイクバールの言葉に広間が水を打ったように静まり返る。イクバールは怒りに満ちた表情で続ける。
「我らの婚儀において犠牲が出れば、『やはり禍つ者など不吉』とか『もっとふさわしい相手がいるのでは』などと議論をでっち上げられると目論んでいたようだが――それは完全に、失敗に終わった。俺の正妃の機転のおかげだ。……目論見を未然に防げなかったのは俺の落ち度だが、帝都からの招かれざる客はすでに捕らえた。手の者がどう厨房にまで入り込んだかは今後厳しく追及していくゆえ、首を洗って待っていろ。逃れられると思うなよ」
皇子の鷹のような視線に、びりっとした緊張が広間に走った。
イクバールが一息つくと、長老会の集団の中から一人の小柄な老人がまろび出る。腰が曲がったその姿には見覚えがある。
「せ、正妃殿下……!」
「え。……あっ」
それは、星巡りの宴で椿を真っ先に糾弾した、たしかリワーという老人だった。先ほど椿が叩き落としたのも彼の皿だ。
リワー老は椿の足元にひざまずくと、深く頭を下げる。
「先ほどは、ご無礼をいたしました……! 命をお助けいただいたにも関わらず、あのような態度を――。このリワー、伏してお詫び申し上げる。あなた様こそ、まことの正妃……! なんという勇敢な心映え!」
(……えっ)
突然の手のひら返しに椿が目を白黒させると、無事だった長老会の面々が同じようにその場で平伏した。イクバールも小さく目を見開くと、唇をうっすらとつり上げる。……悪い笑みだ。
椿の肩を抱き、イクバールは朗々と宣言した。
「その通りだ。俺の正妃は、賢く美しい! 正妃としての資質はもとより、薬学と毒にも精通し、我らのみならず誰を狙おうともその目論見は必ず潰えるだろう! 喉笛に食らいつかれることを覚悟しておけ」
(えっ。えっ!?)
薬学はともかく、毒には断じて精通していない。マジュディが冗談で言った『毒使いの正妃』の二つ名が現実味を帯びてしまう。そんな物騒な名など望んではいないのに!
椿が青くなる横で、居並ぶ面々に向けてはったりをかました夫は鷹揚に唇をつり上げる。
「『恵みの者』ツバキ。俺の正妃がこれから歩む道は、必ずや国と民に幸いをもたらす。これでもまだ、ツバキが正妃となることに反対する者がいるか!? いれば声を上げてみよ!」
皇太子の大音声に広間が静まり返る。一拍の後、涼やかな声がイクバールの足元から響き渡った。
「――あるはずもございません。殿下と妃殿下に、永久の忠誠を誓います」
真っ先に膝をついたサーリフにディルガームが賛同し、シャウラが並び、波が渡るように臣下たちが次々と平伏していく。その光景を、椿は唖然とした顔で見ていた。
(う、嘘でしょ……)
「――あ。かー。とー!」
そのとき、パリサの腕の中で目を覚ましたマリカがすっくと立ち上がった。
振り返った両親を見て、幼子は喜色を浮かべると両手を上げる。そしてよたよたと、足を踏み出した。
「え――」
「……マリカ」
危なっかしい足取りで、一歩一歩娘が近付いてくる。
大勢の人が見守る中で人生初の歩みを披露したマリカは、両親のもとにたどり着くとニパッと満面の笑みを浮かべた。
「あっきゃあああ! ……アイダヨッ!」
皇太子と正妃の顔を一瞬にして忘れ、親馬鹿の顔になった二人は愛しい我が子を抱き上げた。
呆気にとられたあと、やれやれとそばに控えたサーリフにイクバールは満足げにつぶやいた。
「サーリフよ。……俺は、星を手に入れたぞ」
――クファール帝国シャムス朝、第7代皇帝イクバール・サクル・シャムスは、正妃一人のみを生涯の伴侶とし、他の側妃や愛妾を持たなかった。
皇女一人と皇子二人に恵まれた正妃の名はツバキ。
彼女は史上まれに見る勤勉な妃として知られ、薬師として画期的な新薬の開発にも携わった。
その薬は国を越えて大陸全土へと広がり、今でも多くの患者を救い続けている。
その功績を称え、異界からの使者はこれよりのち『恵みの者』と呼ばれるようになったのである。
完




