61.嫁自慢
翌朝、うっすらと差し込む光に椿はぼんやりと目を覚ました。
まだパリサたちが起きている気配はない。掛け布からもそもそと顔を出すと、寝息を立てているイクバールを振り返る。
(えーと、昨夜は――。……ん……。んん……? んんんー?)
だんだんと覚醒し、夜の光景がよみがえってくる。目覚めてみると昨夜はやはり少し酔いが残っていたのか、今までの自分では絶対にしないこと、言わないことまで言った気がする。
(……っ! 再会と深夜のテンション……!!)
閨での淫靡なあれやこれやを思い出し、顔から火が出そうになる。イクバールは相変わらず夢の中だ。そのたくましい胸板を見下ろし、椿は熱い頬を押さえる。
(なんか……悔しい! あんな、あんな……っ。年下にいいようにされてしまった! 私だってそれなりに経験があるのにー!)
これまでの経験なんてほとんど役にも立たなかった。なんなら鼻で笑われるレベルだった。
無体をされて軋む関節を撫でながら、椿はかすれた声で恨み言をつぶやく。
「……慣れすぎてるのよ、馬鹿。どれだけ遊んできたのよ……」
ぼそっと告げると掛け布を抜け出し、寝台の端に腰かける。立ち上がろうとすると、くんと手首を引かれて寝台に引き戻された。
「あっ……!」
「……どこへ行く。まだ明け方だ……」
「……目が覚めちゃったのよ。あなたはまだ寝てていいわよ」
「俺の妻はつれないな。昨夜はあんなに、もっともっとと俺を離さなかったのに」
「……っ」
裸の腰にイクバールの腕が巻き付き、寝ぼけまなこで引き倒される。そのまま彼の腕の中に戻されると、イクバールは再び瞳を閉じた。
素肌に触れる人肌の温もりと、ムートンの肌触りが心地いい。つい絆されそうになるが、イクバールの手が背中を這いはじめて椿はぴくりと身じろいだ。性的な意図はなさそうだが、甘えるような、すり寄るような。
「ちょっと……離して。くすぐったい……っ」
「……なんだ。素面で触れ合うのは苦手か?」
「苦手っていうか……慣れてないから変な感じ。……恥ずかしいし」
「俺は好きだ。時間が許す限り触れ合っていたい。初めての後朝ぐらい堪能させてくれ……」
イクバールはぼんやりした口調でつぶやくと椿を抱きしめたままスウ……と静かになった。胸元に少し硬めの髪が触れ、安らかな寝顔が少し微笑んだように見えた。
(くっ……! 可愛いなんて思ったら負け! 可愛いなんて思ったら……! …………はぁ、可愛い)
あっさり白旗を上げると、その髪を撫で、椿も再びの眠りへと吸い込まれていった。
「――聞いてくれ二人とも。……俺の妻が、可愛い。可愛くてたまらん」
「なんですか朝から。……ああ、産後のお許しが出たのですか。良かったですね」
「はっはっは、そうか良かったなイクバールよ! うむ、その気持ち分かるぞ!」
そして数時間後。意気揚々と執務を開始したイクバールは、部屋に集った側近二人に充実した顔で言い放った。
冷ややかに返したサーリフと同意してくれたディルガームに興奮して話す。
「婚儀の日取りも決まったし、ものすごくいい気分だ。……そうだ、久々に飲みたい。お前たちと飲み会をしよう」
「はい? ……あなた下戸でしょうが。駄目ですよ、あなたに飲ませては駄目だとツバキ様に言われておりますから。却下です」
「……サーリフ。お前、すっかりあいつの手先になりおって」
提案したそばから補佐官にすげなくあしらわれ、イクバールが肩を落とす。そんな主君の姿に一の槍たる将軍が快活に力添えした。
「誰かの家で飲めばいいではないか。……よし、イクバールよ。妻たちも誘ってパーッとやろう!」
イクバールが帰還してから椿はますます忙しくなった。婚儀の日程が決まり、その準備を仕事と並行してすることになったからだ。
帝都で夫が買い付けてきた布で婚礼用の衣装を仕立てることになり、まずその準備で時間を取られた。イクバールの星巡りの宴で着た白い衣装を仕立て直せば良いのではと提案したが、そういうわけにもいかないらしい。
お妃教育は少し減らしてもらえたが、夜には三日と空けずイクバールが通ってくる。
充実した夜を過ごしながらマリカとの親子の時間も確保し、椿は多忙を極めていた。精神的には満たされているが、忙しさは社畜時代と変わらない気がする。
(結局どこにいても働く運命……! 適当にサボれないこの性格が憎い)
そんなある夜、椿はイクバールに誘われてサーリフ宅の宴会に招かれた。
「ナーラさん……! ごめんなさい、うちの夫が言い出したみたいで」
「ツバキさん、いらっしゃいませ。いいえ、嬉しいですわ。我が家で皆さんとお食事なんて……! マリカ様やシャウラさんも来てくださって嬉しい。わたしたちはわたしたちで楽しみましょう?」
内輪だけの宴会なら言い出しっぺのイクバールが離宮で開くべきだと椿は思ったが、一番小さな赤子を抱えたナーラを夜に移動させるのは忍びなく、結局サーリフ宅に集うことになった。
ホストを買って出てくれたナーラに手土産を渡しつつ恐縮すると、ナーラは天使のような笑顔で椿たちを出迎える。思わずぎゅっと抱擁すると、親友は嬉しそうに抱き返してくれた。
「――さて、では背の君たちは男同士の話をしたいらしいですから、わたくしたちは別の部屋で飲み直すといたしましょうか」
宴は最初こそ全員で食事を楽しんだが、客間が手狭なこともあり自然と男女に分かれていった。子供たちはパリサはじめ各家の侍女がまとめて預かってくれて、椿とナーラとシャウラは別室へと移動する。
ほとんど飲んでいないはずだがだいぶ出来上がっているイクバールを心配してちらちらと視線を向けると、シャウラがふっと微笑んだ。
「大丈夫ですよ、わが背の君もついておりますから。寝てしまったら床に転がしておけばよろしい。殿下も頑丈ですからな」
「寝具はありますので、どうぞお泊まりになっていって下さい。皆様で」
「あの、でも本当にあの人弱くて……。大丈夫かしら。私まで酔っぱらわないようにしないと」
いざというときのために自制しようと気を引き締めると、シャウラがおや、と流し目を送る。
「ツバキ様はたいそうな酒好きと伺いましたが。……残念ですな、せっかく西方から仕入れた葡萄酒をお持ちしましたのに」
シャウラがぬっとワインボトルらしきものを持ち出し、椿は目が釘付けになった。
――ワイン。この国に来てから初めて見た。その芳醇な味を思い出してゴクッと喉が鳴る。
「……お、美味しそう……。せっかくだし……頂いていいかしら。いいわよね……?」
「ええ、もちろん。このシャウラと共に酔いましょうぞ」
妻たちが別室で楽しんでいる最中、客間ではこちらは夫たちが盛り上がっていた。
「久々に顔を見たが、ツバキどの――いや、正妃殿下は女ぶりが上がったな! お前が首ったけになるのも分かるぞ、うむ」
「そうだろう、そうだろう。たまらんのだ。サーリフもそう思うか?」
「私には今も昔もナーラが唯一絶対です。……が、ツバキ様の美貌がいや増したのも事実。このまま婚儀まで磨き上げていただき、正妃としてそのあでやかさを皆に知らしめることを願っております」
「そうだろう、そうだろう!」
ほろ酔いで上機嫌なイクバールとそれに付き合う側近二人。気兼ねない幼馴染だけの飲み会は和やかに続いたが、次第に雲行きが怪しくなってくる。
「――で、だ。今となっては俺も充実した夜の生活を送っているわけだが、お前たちはどうなのだ。特にディルガーム! お前のところは盛んそうだな。4人も子宝に恵まれてうらやましいぞ」
「ん? 俺か?」
呂律がだいぶ乱れてきたイクバールに問われ、ディルガームが自慢の髭を撫でた。実は童顔の彼は妻からの熱烈なリクエストと、部下に舐められないようにとを兼ねて髭を生やしているのだが、目がつぶらなせいであまり効力はなかった。
そのまなじりをうっすら赤く染めて、ディルガームは自慢げに答える。
「うちはシャウラがすごいからなあ……。誘ってくるのはだいたいあっちからだ」
「ほう……。それはどのような」
食い付いたのはサーリフだ。相変わらず涼しげな顔をしているが、杯が進みだいぶ目が据わっている。
「よく言われるのは、『我が背の君よ、一戦交えようぞ』だな。同じ武人なだけあって体力もあるし、何戦でもできる。騎乗も上手だしな」
「ははは! それはいいな! ……くそ。正直うらやましいぞこの果報者め」
「相手に体力があると、そういうこともできるのですね……。想像もつきません」
称賛の嵐にディルガームが満足げにうなずく。するとどこか悔しげな顔をしたサーリフが対抗するように口火を切った。
「わ、私だって……! 今は産後なので控えておりますが、ナーラにはシャウラ殿にはない愛らしさがあります! 頻度こそ少ないですが、私がやっとの思いで誘うと恥じらって震えるのがいい。断られることもありますが、それも慎み深くまさに理想的――」
「他の女を知らないのにか? シャウラなど会ったその日に誘ってきたぞ。開放的で、あれこそ男の夢――」
「だまらっしゃい。互い以外を知らなくて何が悪いのです。運命の相手に巡り会えたということではないですか」
「俺はそうは思わんがなあ。俺など他の男の子を身籠った状態で出会ったが、それでも運命だったと思うぞ」
のんびりとイクバールが口を挟み、サーリフがキッと視線を向けた。怜悧な補佐官は主に向かって詰問するように問いかける。
「そう言うあなたはどうなのですか。あなただけ答えておりませんが」
「俺か……。俺はな……ふふん。ツバキが可愛い」
「それはもう聞き飽きました。それ以外の言葉で」
「いや違う、閨だとなおさら可愛いんだ! あのツンと澄ました猫が、閨では蕩けたように俺に絶対服従するのだぞ? ……たまらんだろ」
イクバールがにやりと笑うと、想像したのか男ども二人がほんのり赤くなる。
「ほう……。それは良いな。男の夢だ」
「んんっ……。まあ、分からなくもないです。私は服従などと無粋なことはさせませんが」
「それを言うならシャウラだって、3回に1回は主導権を譲ってくれるぞ。……まあ気付いたらまた上に乗っかられてるが」
「ツバキももう少し積極性が育つといいんだがなあ……。今調教――おっと、教え込んでいる最中だ」
「自然体が一番でしょうが! ナーラのあの恥じらいこそ至高。私はあの赤面をいつまでも守りたいのです」
男たちがよからぬ妄想でにやけ面を浮かべている頃。客間の扉の前では、様子を見にきた妻たちが額に青筋を立てていた。
「……おやおや。ずいぶんと盛り上がっておられるご様子。わたくしは良いですが、いかがいたしますか?」
「…………」
椿は無言で扉を押し開けた。続いたナーラの姿にサーリフが目に見えて挙動不審になる。
「ナ、ナーラ……! な、なにかな? これは違うんだ。君の悪口なんて決して言ってない」
「夜のことは、わたしたち二人の秘密だと言ったのに……! ひどいわサーリフ! きらいっ!!」
「!!」
一人だけ素面だったナーラからの初めての罵声に、サーリフが打たれたように崩れ落ちる。その横では、イクバールが絶対零度の妻の視線を受けて固まっていた。
「ツ、ツバキ……?」
「奥方たちが限界のようなのでお連れしましたが――。さてツバキ様……いえ、正妃殿下。いかがいたしましょうか?」
パキパキと指を鳴らし、皇子の三の弓たる副将軍が臨戦態勢を整える。椿は氷の女王のような視線のまま冷たく言い放った。
「……やっちゃって下さい、シャウラさん」
「御意」
その夜サーリフ邸には、男たちの絶叫が響き渡ったという。




