54.もう一つの居場所
「緊張するな……。服装、大丈夫? やりすぎてない?」
「大丈夫です。どこからどう見ても地味な薬師です。自分こそ、大丈夫でしょうか? 小姓姿は久々で――」
「大丈夫。そっちの服でもやっぱり可愛いから! ……よし、行くわよ」
マリカが6か月を迎え、授乳回数が減ってきたおかげで少し時間の余裕ができた椿は、在宅で少しずつ仕事を再開することにした。
大した戦力にはなれないだろうが、ひとまずは産前にやっていた作業をすることで産後すっかり鈍ってしまった頭を取り戻したい。
普段着ている側妃としての衣装ではなく、仕事用の地味な服をマタニティ用から仕立て直して悪目立ちしないよう纏うと、併せてルムアも以前の小姓姿に戻って同行してくれた。
赤子には毒となる薬草もある職場へマリカを連れて行くわけにはいかないため、パリサにシッターを頼むと椿は久々に太守府近くの医務院を訪れた。
「ご無沙汰しております……」
ノックをして薬房の扉を開くと、ふわっと嗅ぎ慣れた薬草の匂いが椿たちを出迎えた。先に便りは出していたが、椿の登場に室内のざわめきがフッとやむ。
あえて公表はしていないが、椿がイクバールの妃となり、そして彼とは血の繋がらない子を産んだことは職場の人たちにも知れ渡っているだろう。それに戸惑いの目を向ける者もあるやもしれぬ、と師ウマルも言っていた。
ピリッとした空気に椿が緊張感をもって室内に入ると、先輩であるマジュディが記憶通りの仏頂面で口を開く。
「出産おめでとう。……なにボサッと突っ立ってる。あんたの席はそのまま残してある」
くい、と顎で示され、以前と変わらぬ態度に椿は心底ほっとした。マジュディの声を皮切りに、室内の雰囲気も元通りに戻っていく。
「ありがとうございます。……あの、ウマル先生は?」
「師父は太守府に出向中だ。あんたが前に言ってた新しい薬の開発に予算をつけてもらえるよう頼みにな」
「新薬……? わっ」
自分に割り当てられていた机に近付くと、その上に書物や紙の束がうず高く積み上がっていた。手に取ると、マジュディの字で何か走り書きがしてある。
「あんたと産前に、故郷にあった薬の話をしただろう? 抗菌薬――菌の増殖を抑える薬の話だ」
「ああ、そういえばウマル先生も交えて皆で盛り上がりましたね……。この国にも似た効能の生薬はあるけど、用途が限られるし効果も乏しいから発展させたいって――」
「ああ。それで、あんたが言ってた新薬開発の手順を参考に、俺たちなりに研究してみた。今あるドイルアやサニンを土台として、副作用を抑えて最も効果を発揮する生薬の組み合わせはどれか――色々患者に試してみた。治験……と言ったよな。あとはあんたが話してたように、作用の強さを何段階かに分けたりとか」
「わ……すごい。本当に研究だ……」
パラパラとめくるだけでも、マジュディたちが仕事の合間に真剣に取り組んでくれていたのが分かる。産前に椿が何の気なしに言った、元の世界にあった薬についての話を何倍にも広げて――。
その下の紙には、別の生薬の名前がいくつも記してある。
「こっちは?」
「これは『マスイ』についてだ。痛みを感じさせず、けれど呼吸が止まらない程度に眠らせられれば、外科手術ができるんだろう? ラツダを使うのはどうかと思って考えてみたが、こっちはまだまだこれからだな」
「麻酔まで――。すごい。抗菌薬と麻酔があれば、医療でできることが何倍にも増えます……!」
この世界にはなかったものが、もしかしたらこれから生まれるかもしれない。きっかけは自分の言葉だったかもしれないが、それを進めているのはこの国に生きてきた、同じ志を持った頼もしい専門家たちだ。
椿が沸き立つ様子に、マジュディもまんざらでもなさそうにうなずく。
「師父とも話したが、俺たちの代で確立できれば飛躍的な医学の発展が見込める。……あんたにも色々あるから、仕事の時間が短くなるのは仕方ない。だが、特別扱いはしない。本格的に復帰したら研究を手伝ってもらうぞ」
「はい、もちろんです……!」
女としてや妃としてではなく、薬師として働きを期待されていることに椿は胸が熱くなった。……自分の居場所は、ここにもある。
するとマジュディが、バサバサとさらなる書物を椿の手の上に乗せた。
「――というわけで、あんたには今度は毒についての見識を深めてもらう。それ、家で読んでおいてくれ。クファール語は読めるようになったんだろう?」
「えっ。……えっ!? いや、初歩的な本や手紙ぐらいで専門書までは――」
「調べながらなら読めるだろ。本当は家に毒草を持って帰って、マスイを作るために色々調べてほしいところなんだがな。あんたんちには赤子もいるし、さすがに書物だけにしておく」
「いや、本だけでもだいぶ怪しいですよ!? 毒草なんて持ち帰った日には、なんて言われるか――」
「妃をクビになったら薬房で好きなだけ働けるな。どっちに転んでも国のためになるだろ」
無表情でしれっと言い放たれ、本気なのか冗談なのか迷うところだ。たしかに毒と薬は紙一重だが、まさか毒について詳しくなれと言われるとは思わなかった。
スパルタな先輩にどっさりと資料を渡され、椿は復帰を早まったかも……と思いながら薬房を後にした。
月のものが再開したのは、それから二日後のことだった。




