52.友の出産
「んばぁ。まうまう……。あーだっ!」
「おかゆ美味しい? マリカ。えっとこっちは……お豆。豆とか美味しいのかな……あっ食べたねー。待って待って、果物は最後!」
マリカが5か月になり、離乳食が始まった。ここでは米は滅多に手に入らないため、椿はパリサの手を借りてこの国ならではの離乳食に挑戦していた。と言いつつ、ほぼパリサに作ってもらっていたが。
我が子は相変わらず食欲旺盛で、離乳食の食いつきも非常に良かった。食べない子は本当に食べないと聞いたので心配していたが、ひとまずは第一関門を突破したようだ。
「はい、ごちそうさまでした。……そんな顔しても駄目よ。次はまた明日ね」
まだ物足りなさそうなマリカに乳を与えると、ようやく落ち着いたのか床でコロコロと転がり始める。
首をぐっと持ち上げることが増えてきて、椿もうつ伏せになると肘をつき、視線の高さを合わせた。母と目が合ってマリカがにこっと笑う。
「可愛いねえ。んーもうチューしちゃう。マリカ、ちゅ~」
「――団らんしているところ悪いんだが」
「ひあっ!? えっ、イクバール!? ど、どうしたの急に」
珍しく日中に、突然イクバールがやってきた。
娘ラブでデロデロになっていたところを見られた。椿がはっと起き上がると、父の姿にマリカが奇声を上げる。
「あきゃー! んー、ばっばっば!」
「マリカ、すまんな。母さまとの楽しい時間を邪魔して。ご飯を食ったのか? ん? たくさん食べて大きくなれよ」
マリカを抱き上げて額を合わせると、イクバールが赤子をパリサに渡す。すると彼は前置きもなく椿に告げた。
「すまんが今すぐサーリフの家に行ってくれんか。ナーラが産気づいたようでな……。サーリフがそわそわして仕事にならんので帰したんだが、お前にどうしても来てもらいたい、と太守府に使いを寄越してきおった」
「えっ。……ああ、とうとうナーラさんが――。えっ、でもなんで部外者の私? 産婆さんが付いてるでしょう? 私じゃ専門外なのに」
「分からんが、ナーラではなくサーリフがどうしてもと言ってきた。……あいつも初めてで気が動転しているんだろう。悪いが行ってやってもらえるか」
「それは……全然いいけど」
困惑しつつもうなずくと、イクバールがルムアとパリサに指示を飛ばす。そうして慌ただしく夫と別れると、椿はルムアと共に足早にサーリフ邸へと向かった。
「――失礼します。こんにちは。あの、お呼びと伺いましたが……」
「ツバキ。すまない、よく来てくれた。お前を待っていた……!」
「え……ええ」
何度か訪れた邸宅に着くと、待ち構えていたサーリフに中に通された。落ち着かない様子のサーリフは、室内でうろうろと歩き回る。
「あの、ナーラさん、大丈夫ですか? 何か気がかりなら、産婆さんにちゃんと言った方がいいですよ」
「いや、今のところ特に問題はない。問題はないのだが――ナーラが、どんどん苦しんでいって……。どうにかならないのか!?」
「ならないですね、お産ですから……。まだ始まったばかりなんですよね? たぶん日をまたぐと思いますよ。産婆さんの言うとおりにするのが一番かと思います」
ナーラに一応呼吸法は伝えておいたが、実体験としてまあ気休めにしかならないだろう。身も蓋もなく椿が告げると、サーリフは整った顔を絶望の色に染めた。
妻を溺愛する彼にとって、蚊帳の外で待つだけのこの時間は拷問にも等しいだろう。椿はため息を吐くと控えめに提案してみる。
「あの、そんなに心配なら……立ち合いでもしてみたらどうです?」
「立ち合い? 私が出産を見守るのか?」
「はい。この国では一般的ではないですけど、私の国ではわりと多かったですし、ナーラさんの痛みにも寄り添えるかも……。出産育児の当事者意識も出ますし。まあナーラさんが嫌じゃなければ、の話ですけど」
いくらサーリフが心配そうだからと言って、妻が望まないのに勝手に送り込むわけにはいかない。そう告げると、サーリフは迷いなくうなずく。
「分かった。すまないがナーラに聞いてもらえるか。彼女が良しと言ったらすぐにそばへ行く」
「あ……。一応聞きますけど、サーリフさんご自身は血とか平気ですか? 他にも色々グロい――衝撃的なものを見る可能性がありますが」
途中で倒れられては、はっきり言って邪魔だ。念のため聞いておくと、サーリフはムッとしたように答える。
「馬鹿にするな。私はイクバール様の懐刀だ。拷問や死体の検分に立ち会ったこともあるし、その程度で音を上げるような軟弱者ではない」
「うーん。そういうグロさとはまた違ったしんどさなんですが……。とりあえず、ナーラさんに聞いてきますから待ってて下さい」
侍女に案内されて寝室へ向かうと、切れ切れに荒い息が聞こえてきた。
断りを入れてから、椿は中に入る。すると寝台の上でナーラが身を丸くして痛みに耐えていた。
「ナーラさん。大変な時にごめんなさいね」
「ツバキさん……っ。いえ、こちらこそサーリフが呼んでしまって、すみませ――、……っ、う……っ」
椿とは違い、ナーラは声も出さずにじっと陣痛に耐え忍んでいた。つい数か月前に自分の身にも起きた出来事がよみがえり、椿の腹もギュッと痛む。
思わずその腰をさすってやると、フーフーと息を吐きながらナーラが礼を言った。
「痛いなら、声を出しても大丈夫ですよ。先は長いですから、陣痛の合間にできるだけ休んで」
「は、い……。ツバキさんみたいに、元気な御子をちゃんと産まないと……っ」
「そういう気負いは不要です。とにかく休みながらで。……あのね、ナーラさん。もし良かったらでいいんだけど……サーリフさんに、立ち会ってもらわない?」
「えっ……?」
椿は簡潔に、先ほどサーリフにも言った立ち合いのメリットについて説明した。痛みに耐えながら聞いていたナーラは、迷うように産婆に視線を向ける。
「ナーラさんが嫌なら、断ってもいいの。でも、サーリフさんがいてくれたら勇気づけられることもあると思う。どう……?」
「で、でも……一人で産めないなんて、サーリフに情けないって思われないかしら……?」
「あの人に限ってそんなことはないと思いますが……そのへんはキツく言っておくから大丈夫ですよ」
「お産に立ち会うなんて、……サ、サーリフが変に思われない……? ――つうっ」
痛みにうめきながらも、ナーラはサーリフを想うことをやめない。椿はナーラの腰をさすりながら、言い聞かせるように告げた。
「ナーラさん。この国では一般的でなくても、よその国では一般的なこともあります。お産の形だってこれから変わるかもしれないじゃないですか。何より、夫婦のことは夫婦で決めていいんですよ。黙っていれば他人には知るよしもないですから」
「でも、でも……っ。――ッ! きゃあああっ!!」
「ナーラさんっ!」
「……破水されましたね。奥様、しっかり。ちゃんとお産は進んでいますよ!」
話している最中に段階が進み、痛みが一段上がったのかナーラが叫んだ。産婆が落ち着かせようとする声も聞こえないように、ナーラは涙を流す。
「いっ、た……! たすけて……助けて、サーリフ! そばにいて……! うう……っ!!」
「――っ! サーリフさんを呼んできます。ナーラさん、頑張って! 応援してるわ! 星の加護がありますように……!」
自分もあの日に贈られた、お決まりの祈りの言葉を告げて退出すると椿はサーリフのもとに走った。先ほど別れた時のままに心配そうな彼の肩を掴むと、下から睨み上げる。
「行ってあげてください。ナーラさんにはあなたが必要です」
「わ……分かった!」
「ちょっと待ったー! ……手は洗いましたか? あと守ってほしい心得があるので聞いていって下さい」
「……?」
そのまま寝室へとすっ飛んでいきそうなサーリフを押しとどめ、手を洗わせると椿はヌン……と長身の補佐官の前に立ちはだかった。ペラペラと早口で注意事項をまくしたてる。
「いいですか。陣痛中は気にしなくていいですが、いざ分娩が始まったら立ち位置はナーラさんの頭の横です。絶対に下からは見ないで下さい。女性の尊厳に関わります」
「わ……分かった」
「あと出産時の女性は獣と思って下さい。どんな暴言や理不尽なことを言われても、そうしたくてしてるわけじゃないですから。終わったら全部忘れたぜ、ぐらいの気持ちでお願いします」
「分かった」
「ナーラさんが望んだ以外の余計なことをしないで下さい。おどおどウロチョロする、役に立たない旦那なんてただのゴミです。いない方が百倍マシです」
「ゴミ――。わ、分かった」
「あとこれ。痛みが来たらこれをお尻に押し込んであげて下さい。あとは汗を拭いて、水を飲ませてあげて――」
「これはなんだ?」
「テニスボールもどきです。私が使ったものですが、ちょうどいい感じの硬さだったので。あとは――」
「まだあるのか!?」
早く向かわせてくれとサーリフが寝室に視線を向ける。椿はふっと笑うと、その背中を押してやった。サーリフが振り返る。
「これが一番大事です。赤ちゃんが産まれたら――そっちが気になるのは非常に分かりますが、まずはナーラさんに『お疲れ様、ありがとう、愛してる』です。余計な言葉は不要です。いいですか、絶対ですよ! 産後の恨みは怖いですからね」
「了承した。……恩に着る、ツバキ。この礼は必ず……!」
「10倍返しを期待してます。サーリフさんも頑張って! 星の加護があらんことを……!」




