47.絶対的センター
「――ってことがあってね。もうサーリフさんの顔がおかしいったら」
「ほう。サーリフめ、今日は休みだと思ったらここに来ていたとは。そんなこと、ひと言も言っていなかったくせをして。……明日会ったらからかってやろう」
「いいわね。そうしなさいよ」
その夜、イクバールが訪れると椿は昼間の出来事を語って聞かせた。くっくっと悪党のような笑みを二人揃って浮かべると、イクバールの腕に抱かれたマリカがきょとんと両親を見上げる。
イクバールが微笑むと、つられたようにマリカが笑った。
「笑ったわ……!」
「おお。マリカよ、楽しいか」
ぺろっと舌を出しながら、マリカがうーうーと笑う。
その愛らしくあどけない表情に椿は沸き立った。イクバールも愛おしげに、そのふくふくとした頬を指でつつく。
マリカは首も据わり、体も一回り大きくなった。食欲旺盛で、おかげさまで椿も順調に余計な肉が落ちつつある。
新生児期を過ぎて、感情から来る笑みが徐々に見られるようになり椿はもうメロメロだった。
「可愛い、マリカ。もっと笑って。ばぁ~」
「ぶっ……!」
微笑みながらマリカをあやすと、マリカではなくイクバールが吹き出した。はたと気付くと、驚くほどに距離が近い。
我に返って少し離れると、イクバールはまだ唇を歪めていた。
「……なによ」
「いや? この歳になって『いないいないばあ』を至近距離で浴びるとはな……」
「あなたに向けてしたんじゃないから!」
カーッと熱くなった頬を手であおぐと、椿は気恥ずかしさに黙り込んだ。
思えばイクバールとの関係もずいぶん変わった。多忙な中でも彼は子煩悩で、時間を作っては椿とマリカに会いに来る。
血の繋がりのなさを感じさせない態度でマリカを慈しむ姿は、誰がどう見ても父親そのものだった。
(男女じゃなくて、このまま家族としてやっていくのもありなのかも――。そうしたら、いずれこの人が正妃を迎えてもダメージが少なくて済む……?)
そんなことを頭の片隅で思っていると、マリカの頬で遊んでいたイクバールがしみじみとつぶやく。
「お前も変わったな。……正直、子供がそれほど好きそうにも見えなかったし、進んで世話をする方だとも思っていなかった」
「え……。あー、うん……。それは合ってる……かも」
話を振られ、椿は思い返した。マリカを産む――いや、妊娠するまでは、自分が母になるイメージが正直あまり思い描けなかった。
形ばかり先行していた過去の自分を思い、椿は自嘲とともにつぶやく。
「周りにならって子供を作ったはいいけど、自分の生活に子供が入り込んでくるのが想像つかなくて。キャリア――仕事が中断するのも怖かったから、産んだら早くに預けて復帰して、元の生活に戻るんだって思ってた。でも、産んでみたら想像と全然違ってて――大変だけど、可愛くて」
「……ああ」
「私がこの世界に来たのも、突然だったじゃない? だから同じことがまた、私やマリカに起こらないとも限らない。そういう、急に離れ離れになる可能性もゼロじゃないと思ったら、この子の成長をちゃんと側で見ていないと後悔すると思ったの。いずれ仕事には戻るけど……だったらなおさら、この愛おしい瞬間を大切にしたい」
――シャウラが言っていた。赤ちゃん時代は一瞬だと。
その先も可愛い時間は続くが、乳を与え肌を触れ合わせる時間は、子育ての中でも本当に瞬きほどの間だと。
仕事に戻ればそれに追われ、マリカのことばかりを考えてはいられなくなるだろう。それにこの先、また身籠ることがあるかどうかも分からない。
だからこそ、人生に一瞬だけのこの時間を、椿は我が子に注ぎたいと考えていた。
「……贅沢な娘だ。俺の妻の愛を独占するなど」
「えっ」
ふいに告げられた言葉に椿が振り向くと、イクバールは素知らぬ顔でマリカをあやしている。
聞き違いだっただろうか……と気恥ずかしく赤子に視線を向けると、マリカは両親が見ているのが嬉しいのか何度も笑みを浮かべた。
むずむずと、前から思っていたことを椿は思わず口にしてしまう。
「あのね……これは親馬鹿だってちゃんと自覚はあるんだけど」
「うん?」
「マリカって……すっごく可愛くない?」
大真面目に聞いた椿に、イクバールが金の目をきょとんと見開く。彼は娘に視線を落とすと、やはり真顔でうなずいた。
「奇遇だな、俺もそう思っていた」
「やっぱり? このおっとりした顔とか、フサフサなまつげとか、絶対美人になるわよね!? 愛嬌もあるし、もうこの離宮の絶対的センター、完全無欠のアイドル――」
早口でまくし立てる椿に、意味は分からないながらもイクバールがうなずく。ツッコミ不在の親馬鹿たちに挟まれ、マリカがきょとんと瞬きをした。
イクバールは小さく吹き出すと眉を歪めて笑う。
「当たり前だろう。……お前の娘なんだ、可愛くないわけがない」
「!」
その言葉に、椿の顔の方が赤子のように染まった。




