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異世界シンママ(仮) ~バリキャリ妊婦は熱砂の皇子の仮初め寵姫~  作者: 多摩ゆら
第一部

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44.命名


「――はい、もういきまないで大丈夫ですよ。短く息を吐いて。……そうそう、お上手です! 出ていらっしゃいましたよー」


「……っ、ふぎゃああ……っ! うにゃあああ……」



 産婆に言われるがままに無我夢中でいきみ、どぅるんと自分の中から大きなものが滑り出した。

 その直後、猫の仔のような泣き声が聞こえ、椿はぐったりと脱力した。


 ――死ななくて良かった。喜びよりも何よりも、まず最初にそう思った。

 呆然と目を見開いていると、体を綺麗に拭われた生き物――初めて見る我が子をパリサが涙目で差し出す。


「元気な姫君ですよ! お疲れ様でした、ツバキ様。よく頑張りましたね」


「……女の、子……。終わった……。良かったぁ……」


「はい。本当に、よく頑張りました! ご立派でしたよ。あたしの自慢の娘……!」


 たしかな重みを持つ赤ちゃんごと、パリサが抱きしめてくれる。そのぬくもりに包まれ、椿はむせび泣いた。しゃくり上げ、パリサにしがみつく。

 東の空が白みはじめた頃に産まれた子。この世界に、新たな命が誕生した瞬間だった。




 出産後、後処置が終わって息を整えているとルムアが戻ってきた。目を腫らした従者とも椿は固く抱き合う。

 そうして休む間もなく首を回すと、産前に伝えておいた要望で赤ちゃんを手元に連れてきてもらった。


「本当に、お休みにならなくてよろしいのですか? 乳母のご用意は整っておりますが――」


「これが終わったら、休むから……。やり方を教えてもらえる? ……うわ、小さい。落っことしそう」


 背中を少し起こしてもらっておっかなびっくり赤ちゃんを抱くと、しわくちゃの顔の中で小さな小さな唇がアムアムと動いていた。

 よく見ると小さな手にもちゃんと爪が生えそろっていて、一部は伸びすぎてギザギザになっている。本当に腹の中でここまで育ったのだと、椿は他人事のように感心してしまった。


 髪は黒く、当たり前だが褐色肌ではない。まだ可愛いという気持ちは湧かず、小さすぎて壊してしまいそう、というのが正直な感情だった。

 だが元の世界での知識に従って、椿は今自分が与えられるものを、予防接種もないこの時代にこの子を守ってくれる糧となるものを与えようと懐を開く。すると乳の匂いを察し、赤子が激しく泣き始めた。


「どっ、どうすれば?」


「口を開いた時を見計らって、深く咥えさせて下さい。……大丈夫、赤子がちゃんと飲み方を知っておりますから」


 赤ちゃんが大きく口を開いた瞬間、パリサが頭を引き寄せ椿の胸に咥えさせた。

 すると本能なのだろう、ものすごい勢いで吸い付かれる。初めての経験に椿は叫んだ。


「いったあああ!! 吸引力! ……えっ、すごい。なにこれ天才!?」


「そうでございますね。……良かった、お乳は出るようですね。……姫様、お母様ですよ。無事にお会いできて嬉しゅうございますね」


 んっくんっくと必死で食らいつく我が子を見つめていると、ぶわっと急に感情が込み上げてきた。

 ……可愛いかもしれない。いや、可愛い。とてつもなく可愛い。これがお腹の中に入っていた自分の子……!


 たどたどしい手つきで授乳させる新しい母子の姿に、パリサとルムアは顔を見合わせて笑った。






 それから数時間死んだように眠り、朝になった。2回目の授乳を済ませ、寝台の上でパリサに髪と体を拭いてもらうと外がにわかに騒がしくなる。

 ルムアに先導され、イクバールが寝室に入ってきた。パリサがさっと(こうべ)を垂れる。


「若様。……いえ、もう若様ではありませんね。イクバール様。姫君のご誕生、まことにおめでとうございます」


「ああ。お前たちもご苦労だった。代わりを連れてきたからゆっくり休んでくれ」


 そうしてパリサたちを下がらせると、寝台に近付き座り込む。横たわった椿の髪を撫で、イクバールは優しい声で言った。


「大儀だったな。だが安産だったと聞いた。さすが、俺の妻は出産も上手だ」


「なによ……。死ぬかと思うほど痛かったんだから……。こんな指輪一つで、応援した気になって」


「代々受け継がれる皇太子の証を、『こんな』とは言ってくれる。……だが、そう言うわりには頼りにしてくれたようだが?」


 指輪を握りしめていた椿の指をほどき、それを自分の指へと戻すとイクバールはまたゆったりと椿の頭を撫でる。

 乾いた砂地に水が染みるような優しい感触に感情が乱高下し、またじわりと涙が滲んだそのとき。ふにゃ……と椿の隣に置かれた小さな寝台からぐずるような声がした。



「さて、姫君が待ちかねていたな。抱いてやるとするか」


「え――。抱いてくれるの……?」


「……そういう台詞は、二人きりの(ねや)で色っぽく言ってほしいものだな。俺は父親だぞ? 我が子を抱くのは当然だろうが。俺の本気をまだ信じていなかったか」


 にやっと笑ったイクバールが寝台に近付き、驚いたことに存外慣れた手つきで赤子を抱き上げた。静かになったその顔をじっくり観察し、イクバールはふっと微笑む。


「顔かたちはまだよく分からんが……お前の娘だ。きっと美人になるぞ。……おい、目を開けろ。俺が父さまだ」


「意外……父さまとか言うんだ……。子供、好きなの?」


「まあ嫌いではないな。ディルガームの子供らが産まれたときも、毎回こうして抱きに行っていた。だが、我が子となると……なおさら可愛いものだな」


 小さな手に自らの指を握らせ、イクバールが優しく目を細める。その、自分などよりもよほど親らしい姿に椿の目からぽろっと涙があふれた。

 無言でうつむく椿を眺め、イクバールがつぶやく。


「名をつけてやらねばな……。候補はいくつか考えておいたんだが、顔を見てから決めようと思ってな」


「それは、助かるわ……。私はこちらの名前は分からないから」


 そんなことまで考えていてくれたなんて知らなかった。椿がスンと鼻をすすると、イクバールは数秒間赤子を見つめ、おもむろに口を開く。


「……マリカ」


「まりか?」


 イクバールが口にした、聞き覚えのある響きに椿は顔を上げた。イクバールはうなずくと赤子に呼びかける。


「ああ。お前の名はマリカだ。良い名だろう」


 椿もまた、口の中でその響きを繰り返した。……茉莉花。それとも茉莉香? 自分の名にも通ずる花の名に、椿は涙目でうなずく。


「いい名前ね……。あなたが私の国の花の名を知っていたなんて驚きだわ」


「花? ……何を言ってる。マリカの名の意味は、『女王』だ。王にしてやることはできんが、王を篭絡できるぐらい強く美しい女になれ、マリカ。お前が女王だ」


「え……。ええー!?」


 にやりと野心的に笑った父に華々しい名前を付けられた我が子は、椿の叫び声に反応して力強く泣きはじめた。






 第一部 完



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