42.星の加護
「――失礼いたします! ツバキ様の陣痛が始まりました」
「……っ」
それから少しあと、太守府の執務室にて。
駆け込んできたルムアの姿に、たまたま部屋に集っていたイクバールとサーリフとディルガームは小さく目を見開いた。
椿の従者と定めてから、ルムアが外宮である太守府に来るのは久しぶりのことだ。かつては側に置いていた美しい従者が息を切らせる姿に、イクバールはゆっくりとうなずく。
「……分かった。ご苦労。また何かあれば知らせてくれ」
「ただでさえ初産は時間がかかる。……何か励ましの言葉でも送ってやれ、イクバール」
この国では基本的に、父親が出産に立ち会うことはしない。出産は女たちだけの戦いと考えられ、男は出る幕がないと思われているからだ。
普段の飄々とした様子をひそめ、そこはさすがに4児の父なのかディルガームが静かにつぶやく。
どこか気遣わしげなサーリフの視線を受け、イクバールは沈黙すると右指に常にまとっている太い金の指輪を引き抜いた。鷹の紋章が刻まれたそれは、クファールの皇太子の証でもある唯一無二のものだ。
「イクバール様、さすがにそれは――」
「今だけだ。災いを退ける魔除けとなるだろう」
祈りの言葉を小さくつぶやき、額に当てるとそれをルムアに託す。はっとしたようなルムアが頭を下げて退出すると、張り詰めた空気を散らすようにイクバールは口を開いた。
「――続けるぞ。女が戦っているのに男が呆けているわけにはいかんからな」
「う……。あ、ううーっ……。痛い~……」
破水に引き続いてじわじわと陣痛が襲ってきて、椿は寝台の上で体を硬くしていた。
まだ間隔は空いていて、序盤も序盤というのは分かっている。それでも痛みは刻一刻と強まり、息を吐きながらそれをやり過ごす。
「陣痛の合間になるべく休んで下さいまし。体力が持ちませんよ」
「それは分かっ、てる、けど……。ううう……、んーっ。……はあっ、はぁ……」
腰をさすってくれるパリサの言葉に力なく首を振り、椿は呼吸法を繰り返しながら痛みにただ耐える。
――本当なら。綺麗な産院で、オプションで無痛麻酔をつけて、産後には豪華なお祝い膳が出て、ご褒美のエステやマッサージがあったりして。稼いだ金で、そういう理想的なお産をするはずだった。
しかし今、椿は心電図モニターも点滴もない原始的な環境で、痛みに耐えるばかりの危険な瞬間を迎えようとしている。
腕利きの産婆と、すぐに駆け付けてくれる医師が待機しているとはいえ、この状況は恐怖でしかなかった。
「あ、また来る……。ううーっ……! 痛い……痛いぃ……」
「ツバキ様、しっかり……!」
「パリサ……。手を握って、パリサ……!」
縋るものが欲しくて叫ぶと、ふっくらとしたパリサの手にしっかりと握られた。その力強さに鼻の奥がツンとする。
「あたしの手で良ければ、いくらでも……! あ、折るのはやめて下さいましね」
「ふふ……。……ううっ! パリサ、無事に出産が終わったら――私の好物で、ご馳走を作って。それから、……っく、あっ……! ハマムで、髪と体を洗って……。できたら、按摩も――。……へへ、贅沢かしら。……んーっ……!」
「そんなこと。パリサにお任せ下さいまし! こんな可愛いお願いなら、いくらだって聞いて差し上げます」
腰をさすりながら、パリサが頼もしく答えてくれる。……恐怖でも、一人じゃない。椿はシーツにしがみ付きながら痛みの合間につぶやく。
「それ、から……っ。無事に産めたら、抱きしめて――。よく頑張ったねって、言って……」
「……っ。もちろんですとも! 今も頑張っていらっしゃいますよ。えらい、えらい!」
ふっくらとした手で頭を撫でられ、椿は涙目でへらっと笑った。幼い頃、母にしてもらいたかったことを今されている。
これ以上言ったら死亡フラグみたいだな、と頭の片隅で冷静に思いながらも、幼子のように甘えながら徐々に増してくる苦痛に耐える。
痛みが一段と増し、しゃべる余裕もなくなってきた頃。扉が開き、ルムアが帰ってきた。
陣痛の合間に汗ばんだ顔で見上げると、ルムアは大切そうに抱えてきた何かを椿に見せる。
「それ――」
「イクバール様から、預かってまいりました。『愛しき俺の妻へ、星の加護があらんことを』と。……ああ、ちょうど親指にぴったりですね」
汗を拭かれ、指にはめてもらったのは見覚えのあるずっしりとした指輪だった。イクバールの中指にいつも光っているものだ。その鈍い輝きが彼の金の眼差しと重なる。
それをもう一方の手で握り込むと、みしっと骨盤が悲鳴を上げた。
「……うーっ!! ……馬鹿馬鹿! そういうのは、直接言いなさいよー! ……いったーい!!」




