39.酔っ払い
イクバールのもとに戻ってからほどなくして、シャウラの勧めもあって椿は宴を後にした。ルムアに付き添われて離宮に戻る途中で、椿は先を行く金髪の従者に小声で呼びかける。
「あの、ルムア……」
「はい。……いかがされましたか」
「あの、さっきの話――」
椿が切り出したのは、宴の席でのイクバールの説明――腹の子は、前の夫の子かイクバールの子か分からない、という話だった。
実際は確実にイクバールの子ではないのだが、それを言うとまたややこしくなるため、あれが今のところの真実としてもう一度話をすると椿は気まずく頭を下げる。
「……ごめんなさい。今まで黙っていて――。私、本当は……」
「ツバキ様」
ルムアが足を止め、椿の両手をそれぞれの手で握った。椿よりも小さな、しかし硬いマメのある手で椿を勇気づけるように力を込める。
「何か事情がおありなことは、なんとなくですが察しておりました。……どちらの御子だとしても、ツバキ様の御子であることには変わりありません。自分はもう、それで十分です。この子がお産まれになったら、ツバキ様と御子様に引き続き誠心誠意お仕えする。それだけです」
「……ルムア」
「それに、イクバール様が父になると宣言されたのです。でしたらやはり、この子はツバキ様とイクバール様の御子。どんな顔かたちをしていても、自分はそう思ってお仕えします。きっとパリサさんもそうだと思います」
控えめに微笑み、ルムアが手を離す。椿はうつむくとこぼれ落ちそうな涙をこらえてうなずいた。
「……ありがとう。大好きよ、ルムア。私の可愛い子」
ルムアと笑い合って離宮に戻ってくると、椿は部屋着に着替え、髪をほどいてやっと緊張から解放された。
そのまま少しうとうとしていると、夜遅くに離宮の扉が開かれた。
「まあまあまあ、若様。今夜はそのままお帰りかと思っていましたのに」
「なに。少し我が花嫁どのの顔を見ておきたくてな。……ツバキ、起きていたか」
「寝てたわよ。……お疲れ様。お開きになったのね」
イクバールは宴の衣装のままで上機嫌そうにやってきた。パリサが気を利かせて椿の私室に案内すると、イクバールは勝手知ったる様子で部屋の中央にどっかりと座り込む。
「……あのねえ。あなた、ああいう説明するなら先に言っておいてよ。急にハッタリかまされて驚いたじゃない」
「うん? それを言うならお前だ。……まさか酌をして回るとはな。長老会の爺どもが腰を抜かしていたぞ」
控えめに抗議すると、イクバールが苦笑で返す。彼の指摘に椿はきょとんと瞬いた。
「何かいけなかった?」
「……主賓格の女人は、席に座して控えめに微笑んでいるだけで良いものですよ。ルムアから聞いて、あたしも肝を冷やしましたよ。宴での作法をお伝えしておりませんでしたね。若様、あたしの落ち度です」
差し入れをしにきたパリサが頭を下げ、椿はぎょっと振り返った。だがイクバールは肩をすくめてにっと笑う。
「いや、パリサ。逆に良かった。こいつが退席した後でたしかに『側妃が酌婦の真似事とは』などという声もあったが、ディルガームが『外つ国の女は旧態にとらわれず、社交的で気持ちがいい』と取りなしてくれてな。お前の堂々とした態度もだいぶ好印象だったようだ。よくやった」
「狙ってやったわけじゃないけど――。ディルガーム将軍にお礼言っとかないと」
逆効果にならなかったなら、とりあえず良かった。上機嫌なイクバールはパリサが運んできた水を飲み干すと椿の側に寄り、コテンとその頭を椿の肩に預ける。
「やはり、お前はいい……。俺の想像を超えてくる」
「!?」
額をすりすりと肩に押し付け、イクバールがしなだれかかってくる。パリサに「あらまあ」と見つめられ、人前での接触に椿はイクバールを小突いた。
「ちょっと……。ちょっと!」
「なんだ、いいだろうが。夫が妻に甘えてはいかんのか」
「良くない! え、パリサ。なにこれ――」
イクバールは普段のニヤついた様子とは違い、ぐんにゃりと椿に体重を預けてくる。その重い体を受け止めつつ、椿は困惑顔でパリサを見上げる。
「これは……酔っておいでですね。珍しい」
「えっ、酔ってるの!? ……ちょっと。いったいどれだけ飲んだのよ。飲みすぎよ」
「一杯だ」
「へえ一杯ね。……は!? 一杯!?」
「そうだぞ。ラークを一杯だ」
イクバールがぼんやりと目を開き、指で小さな杯の形を作る。肩にのしかかる重みに困惑しながら椿はパリサに問いかける。
「ラークって……そんなに強いの?」
「いえ、すごく弱いです。成人した時に口慣らしに飲む程度のもので――あたしに言わせれば、果実水と区別がつかないぐらいの代物ですね」
「え……。てことは、この人、下戸なの!? こんな顔して!?」
「はい、こんな顔して。普段は飲まないように気を使ってるんですが、今日は断りきれなかったのか、それともよほど気分が良かったのか――酔ったお姿は久方ぶりに見ました」
目尻の皺を深くしてパリサが主君を穏やかに見下ろす。そのまま頭を下げて去っていこうとする侍女に椿は助けを求めた。
「待って! これ、どうすれば――」
「しばらくすれば目覚めるはずです。駄目そうなら床にでも転がしておいてください。まったく、しようのない若様ですこと」
自らの主君を「これ」呼ばわりされても咎めもせず、あまつさえ放っておけと助言すると、ほほ、と笑ってパリサが去っていく。
ぐにゃぐにゃとまとわりつく年下の夫に椿は呆れながらも、このまま共倒れになるのを避けるべくその頬をペチペチと叩いた。




