36.星巡りの宴 (前)
そしてやってきた星巡りの宴当日。午前中は普段通りに過ごしていた椿も、午後からはパリサの着せ替え人形に徹することになった。
ハマムでもう一度肌を磨き上げ、いつもは自分でしている化粧もパリサに任せて髪を結った。そして仕上がったばかりの衣装に袖を通して立ち上がると、手伝っていたルムアが感嘆の声を上げた。
「なんとお美しい……。まるで神話の世界の女神のようです」
「褒めすぎよ。でも……なかなかいい感じ? すごいわ、パリサ。私じゃないみたい」
「とんでもありません。ツバキ様の魅力を最大限引き出せるよう、このパリサ、これまでの侍女生命を懸けて挑ませていただきました。どこにお出ししても恥ずかしくないお妃様でいらっしゃいますよ」
姿見に釘付けな椿を柔和な目で見つめ、パリサがうなずく。
椿はもう一度鏡を見つめると、綺麗に化粧が施された頬に手を当てた。そこには、贅を尽くした衣装に身を包んだ新妻がいた。
イクバールの好みなのか、椿は普段、赤や青や緑などはっきりした色の衣装をまとうことが多いが、今日は柔らかな白のガウンを羽織っていた。ベルベットのそれには金糸で美しい刺繍が施され、ランプに照らされて控えめな輝きを放っている。
インナーのワンピースは淡い金で、大きな丸い腹を圧迫しないよう胸下で帯が結ばれ、その帯にも色とりどりのビーズが散りばめられていた。
普段は下ろしていることが多いゆるくクセのある髪は、今日はゆったりと一つに編み下ろされてパールの飾りが彩っている。仕上げに繊細な金のネックレスとピアスを着けられ、甘い印象のメイクを施された椿は実年齢よりも年若く見えた。
「若作りしてるって言われないかしら」
「お若いんですよ、実際。本当の年齢なんて言う必要もございません。あたしなんて永遠の二十歳ですよ」
「そうですよ。イクバール様もきっとお喜びになります! ああ、お二人が揃われたお姿を自分も拝見できたらいいのに――」
拳を握って力説するルムアに椿が苦笑すると、パリサはルムアをちらりと見やる。
「ルムア、何を他人事のように言っているのです。……あなたも行くんですよ。ほら、準備するからこっちにいらっしゃい。ツバキ様はお休みになっていて下さいましね!」
「え? ……えっ?」
パリサのふくよかな腕に引きずられてルムアが控え部屋へと消えていく。そして半刻後に忠実な従者が戻ってきたとき、椿は声を失った。
「かっ……わいい!! えっ待って。待って無理。可愛すぎる……!」
「…………」
帳の奥からもじもじと現れたのは、水色の侍女用の衣装をまとったルムアだった。
主人である椿よりはもちろん装飾はぐっと控えめだが、もともとの美貌がシンプルな装いでむしろ引き立っている。目立つ金の髪は透けるベールで良い塩梅に隠され、美少女の儚さが際立っていた。
ところどころ椿の衣装とリンクする部分もあり、完璧な美人主従の姿にパリサは誇らしげに胸を張った。
「パリサ天才! 天才の仕事……! あああ可愛い……無理……」
語彙力を失って打ち震える椿の前で、ルムアが手を落ち着かなく組み合わせる。
前職で女として帝都に潜入したと言っていたから女性の装い自体は初めてではないのだろうが、その初々しい様子に椿は自身の姿を見たときの10倍はヒートアップした。
「あの、なぜ自分が……。お妃様に侍女が必要なのは分かりますが、それならパリサさんの方が場馴れしていますし――」
「あたしみたいなおばちゃ――色っぽい貴婦人が行ったら場が静まってしまうでしょうが。美しい女主人には若く美しい侍女が付き従うものですよ。それにルムア、あなたの仕事はツバキ様をお守りすることでもあります。意味は、分かりますね?」
パリサに諭され、ルムアの目にはっと鋭さが戻る。袖からチャッと短剣を覗かせると、無言でうなずいた。
「この身に代えても必ずお守りいたします」
「あたしは外で控えていますから、体調に何かあったときもすぐに知らせなさい。まあ、中にはディルガーム将軍たちもおりますから滅多なことはないでしょうが」
ルムアに付き添われ、離宮から外宮――太守府に移動すると、黄金の扉の前で椿は深呼吸した。
ここから先は、戦場だ。その扉を開く前に、ふと疑問が浮かぶ。
(そういえば、どういうテンションで行けばいいんだろう。イクバールの言う通り、私も宣戦布告しに行く? それとも従順に?)
イクバールもあれから多忙そうで、そのあたりの采配までは指示してこなかった。椿はうーんと考え込む。大勢の人の前に出た経験から言うと――
(あっ、新薬のプレゼンとか!? ……いや駄目だ。自分で自分をプレゼンとか痛すぎる……。じゃあ同業他社との自社製品ベタ褒め&相手下げ合戦とか――。いや喧嘩売ってどうするの)
「――あ。ドクターを招いての超お接待モード……? キャバ嬢も真っ青の」
「……ツバキ様? キャバジョウ、とは――」
椿の不可解な発言にルムアが戸惑いの視線を向ける。考え込んでしまった椿にどう声をかけるべきかルムアが迷っていると、椿は「よし」とつぶやいて顔を上げた。
扉の先で太守府の役人に案内されたのは、宴の会場である大広間ではなく控えの間の方だった。メインの招待客ではない場合、女性は宴席の途中から合流するのが一般的らしい。
その扉を開いた瞬間、いくつもの視線が椿に突き刺さった。
「……っ」
(……あー。こういうこと……)
広くはない控えの間にいたのは、着飾った年若い娘、妙齢の女性、そしてその侍女たち――。全員の視線がいっせいに椿に向けられ、その大きな腹を見て見開かれる。
今日の宴に、椿以外の女性――イクバールのお妃候補が来ることは、サーリフから事前に知らされていた。その人たちのおよそ半分は、椿の存在すら知らないだろうということも。
イクバールの生誕の宴で、今日初めて見る女の腹が膨らんでいることの意味を悟り蒼白になっている娘もいれば、逆に憎らしげな視線を向けてくる女性もいる。
その女性たちの顔を見渡し、椿は穏やかに微笑んだ。
「ごきげんよう、皆さま」
「……っ!」
――勝ち誇ってはいけない。だが恐縮してもいけない。自分はイクバールに望まれた妃なのだから。もう仮初めの寵姫ではないのだから。
椿の微笑みに虚を突かれたような空気の中、顔を上げて堂々と部屋の中央を横切ると、敵意と悲嘆が入り混じる視線が背中に突き刺さる。
この中では間違いなく椿が一番年長だ。妙齢の女性だってせいぜい22、3といったところだろう。椿から見ればホヤホヤの新入社員みたいなものだ。
どれほど美しくても、若さだけが武器の小娘に負ける気はしない。社会に揉まれて踏んできた場数が違うのだ。
それを上回るほどの家格や誇りを持ち出されたら敵わないかもしれないが、少なくとも今夜それで椿を圧倒させるような女性は、この場にはいなさそうだった。
一番端の椅子に腰掛けると、まばゆい金髪の侍女がまめまめしく裾を整える。
華美ではないが贅を尽くされた衣装と、とてつもなく美しい侍女。それを揃えられる泰然とした様子のこの黒髪の妊婦は何者なのだろうと静かに探る視線が飛んでくる中、扉の奥から声が掛けられた。
「――ツバキ様、どうぞ広間へ」
「はい。それでは皆さま、お先に失礼いたします」
再び丁寧に礼をすると、侍女を従えて黒髪の女は扉の奥へと消えていった。
意気消沈した女性たちは、早くも帰り支度のことを考えはじめていた。




