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異世界シンママ(仮) ~バリキャリ妊婦は熱砂の皇子の仮初め寵姫~  作者: 多摩ゆら
第一部

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30.奔流


「サーリフよ。俺はどうしてしまったのだろうな」


「……はい?」


 ある昼下がり、イクバールは政務の合間の休息でかたわらの補佐官に話しかけた。突然話を振られたサーリフは、端正な顔に怪訝な表情を浮かべる。


「体調でもお悪いのですか」


「いや? ああ、そういえばナーラの具合はどうだ。つわりは収まったか?」


「まだ続いておりますが、ツバキにもらった薬でだいぶ楽になったようです。次はいつ会えるのかとせっつかれるほどで」


「ほう。さすがだな」


 妻の興味を持っていかれて少々、いやかなり悔しそうなサーリフににやりと笑いかけると、イクバールは小さくため息をついた。サーリフが片眉を上げる。


「本当にどうしたのですか。何かお悩みですか?」


「悩んでいるわけではないが、困っている。……最近のツバキがな」


「ツバキ? あの女が何かしましたか」


「いや、あいつがどうこうと言うよりは――最近、ツバキが妙に愛らしく見えて困る」


「…………」


 ぼそっとつぶやかれた言葉に、サーリフの視線が凍った。彼は数秒間固まったあとに深く長い息を吐くと、くるりと踵を返す。


「そうですか。では私はこれで」


「待て。困っていると言っただろうが!」


「私の方が困惑しておりますよ! 主君ののろけ話を聞かされて、どう反応しろと!?」


 やけくそのようにサーリフが叫ぶと、イクバールはきょとんと瞬いた。


「のろけ……? のろけているのか、俺は」


「それ以外の何だと? ……勘弁して下さい。そういうのはディルガーム将軍に言って下さい。酒の肴に喜んで聞くでしょうから」


「あいつに相談するとなんでも『よし、ならば抱いてこい!』で終わるだろうが。今抱けぬ女の話をしたい相手ではない」


 本気で嫌そうなサーリフに食いつくと、彼はあからさまに渋々とイクバールの前に戻ってきた。「なぜ分からないんだ」とばかりに大仰にため息をつき、冷静に言い放つ。


「ツバキのことが本気でそう見えているなら、それを愛しいと言うのではないですか。抱きたい、ではなく愛らしいと思えるのでしょう? では性愛ではないということでしょう」


「いや、抱きたいのは抱きたいであるが」


「知りませんよ。子供が産まれてから本人に言って下さい。私に言われても困ります」


「お前も、ナーラがそのように見えるか?」


「当たり前です。私の妻は世界で一番愛らしく、女神もかくやと言うほどにまぶしく尊い存在です。それ以外の女など道端の雑草に見えますね」


「俺はそこまで言ってないぞ……」



 強火の溺愛ぶりを見せつけるサーリフに苦笑すると、イクバールは椿の顔を思い返す。

 ルムアとの打ち合いで見せた子供のような笑み。髪飾りをやったときの、戸惑いの影から思わず滲み出てしまったような不器用な笑み。そして、口付けをしそこねたときのはっとするような女の顔。そのどれもが胸に焼き付いて離れない。


「それほど気に入っているなら、正式に愛妾とすればよろしいのでは? 今さら私も反対はしませんし、まあ愛妾身分であれば、子供に継承権はありませんから他の男の子だと露見してもそう大問題にはならないでしょう。最悪、産まれてから里子に出す手もあります」


「……ツバキは納得しないだろうな」


「手元で育てさせるつもりなら、外に適当な住居を与えて通われても良いのでは。幸い手に職もありますし、将来のお妃とこじれてもし別れることになったとしても、まあ安泰でしょう」


「……そうか。考えておく」


 サーリフの思い描く未来のイクバールの隣に、椿はいない。……それはそうだ。愛妾ならともかく、椿を妃とするには障壁が多すぎる。

 だが――手放したくない。そう思う気持ちを、もう否定できなくなっていた。


 眉を寄せて黙り込んでしまった主に小さくため息をつくと、サーリフは中断していた執務を再開した。






「――っくしゅん!」


 一方その頃、椿は職場で大きなくしゃみをしていた。

 妊娠期間も8か月目になった。いよいよ腹もはち切れそうになってきて、職場まで歩いてくると息切れがする。

 足がむくんだりとマイナートラブルに見舞われながらも椿は仕事を続け、薬師として独り立ちできるレベルに近付きつつあった。


「ツバキ、大丈夫か?」


「はい。ちょっと風邪気味で」


 どうも昨日あたりから、鼻がムズムズする。砂漠の中の街とはいえ夜はそれなりに冷え込み、体温調節が上手くできていないのかもしれない。

 先輩マジュディに指摘されると、椿は汚れないように腕まくりしていた袖を元に戻す。


「ウマル先生。このプエリラとエドリール、少し持ち帰ってもいいですか?」


「そりゃ構わんが……。なんじゃ、熱っぽいのか。今日はもう上がるか?」


「いえ、大丈夫です」


「勤勉なのは結構じゃが、お前さん一体いつまで働くつもりじゃ。心配せんでもちゃんと席は空けておくでの、そろそろ産前休みに入ったらどうじゃ?」


「あー。じゃあキリ良く、月末ぐらいまでですかね……」


 そういえばそろそろ元の世界でも産休に入る時期だった。自分の体調と職場まで歩く距離を考慮してギリギリのラインを告げると、それより2週間前から休みに入るようウマルにたしなめられる。……なかなかホワイトな職場だ。


「あまり根を詰めすぎるな。あんたは働きすぎだ」


 マジュディにまでそう言われ、高収入の対価として長時間労働・不規則な生活が常態化していた前職と比べて椿は我が身の幸運に感謝した。

 本当に幸運だったなら、そもそも異世界に来てもいないとは思ったが。




「ツバキ様、大丈夫ですか?」


「うん、大丈夫よ。ごめんね心配かけて」


 仕事を終えた帰り道、当初よりもだいぶゆっくりになった歩調で通りを歩いているとルムアが心配そうに声を掛けてきた。

 薬房での下働きもすっかり板についたルムアは、前よりも中性的な格好を好むようになってきていた。男女どちらにも見える美貌の従者は、椿の荷物を持つと今日の出来事について話しはじめる。


「もうすぐツバキ様のお仕事もお休みになるのですね。自分は、離宮でできる内職をウマル師に頂こうかと思っています」


「いいわね。私も産前はヒマだろうから一緒にやろうかな」


 ルムアとおしゃべりしたり、寄り道をしながら帰るこの時間も好きだった。

 たった3か月ほどだが、ルムアはずいぶんと表情豊かになったように思う。従者というよりは、可愛い妹か弟ができたようで椿も嬉しかった。


 イクバールからの贈り物で心が揺らいだが、椿の決心は固かった。

 今のペースだと産後までは離宮でお世話になるしかなさそうだが、仕事を再開したら出ていこう。それがイクバールのみならず、ルムアやパリサとの別れになることがつらいが、それしか残された道はないと思った。


 そんなことを考えながら大きなお腹を抱え、医務院の角を曲がったところでルムアがぴた、と立ち止まる。


「――ツバキ様。自分の影に」


「え?」


 小声で低くささやいたルムアが、やや強引に椿を背後に引きずり込む。腰に差した細い短剣をシャッと引き抜くと、ルムアは鋭く声を発した。


「――誰だ!」


「……っ!」


 誰何(すいか)の声と同時に、建物の影からナイフを手にした二人の人影が飛び出した。ルムアは椿を背後に庇うと無言でその男たちを威嚇する。


「……ツバキ様。絶対に自分から離れないで下さい」


「う、うん」


 ルムアは陽の高さを見ると、首に下げた呼び笛を咥えた。ピィー!と高い音がして、男たちが目に見えてひるむ。その瞬間を見逃さず、素早く前に出るとルムアはナイフを持った男たちの腕を切りつけた。


「ぐっ!!」


「ツバキ様! こちらです!!」


「あっ……!」


 ルムアに引っ張られ、太守府に向かって走る。すると呼び笛を聞いたのかバラバラと衛士(えじ)たちが走ってきて、男二人は逃げていった。

 ルムアは足を止めると椿を振り返る。


「ツバキ様、ご無事で――」


「う、ん――。いたっ……!」


 息を切らして腹を抱えると、ズキンと悲鳴のような痛みが走った。その場に膝をついてしまった椿にルムアが蒼白になる。


「ツバキ様……! しっかり! ――誰か! 医者を呼んで下さい……!」




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