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異世界シンママ(仮) ~バリキャリ妊婦は熱砂の皇子の仮初め寵姫~  作者: 多摩ゆら
第一部

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28.知りたくない感情


「ルムアよ。久々に手合わせをしないか?」


「良いのですか? ぜひ……!」



 妊娠7か月も半ばを過ぎる頃。椿の休みの日を狙って、イクバールが離宮を訪れた。

 今日は珍しく軽装で、さらには手に木剣を2本携えている。イクバールの誘いに、傍らのルムアが目を輝かせた。


「へえ、面白そう。私も見ていていい?」


「無論だ。――パリサ。日陰に席を用意してやれ」


 8か月を前にいよいよ腹もグンとせり出してきて、胎動も激しくなってきていた。遠出をするのは難しくなり、職場と離宮の往復ばかりになっていたので刺激が欲しかったところだ。

 パリサが用意してくれたゆったりした椅子に腰かけると、中庭でイクバールとルムアがそれぞれ準備運動をする。


 ルムアの事情を知って以来、椿は何回か綺麗な髪紐やちょっとしたアクセサリーをプレゼントしてきていた。反応は上々で、そろそろ女物の服でも渡してみようかと思っていたところだ。

 だが椿にもらったリボンで髪を飾りながらも、久々らしいイクバールとの手合わせに嬉しそうに応じるルムアは今日は少年のように見えた。


「俺も久しぶりだからな。だが手加減はするなよ?」


「もちろんです。――参ります」


 イクバールのものよりもだいぶ短い木剣を手にしたルムアが、ふっと身をかがめた。素早い身のこなしに椿が目を見開くと、ルムアは地を蹴ってふわりと宙を舞う。


「えっ」


 ――まるで、舞のような動きだった。

 重さをまったく感じさせず空中で身をひねったルムアは、イクバールの首筋めがけて木剣を突き出す。だがイクバールが重そうな剣でそれをはねのけ、二人は距離を取った。


「えっ、すごい。ねえすごい、パリサ!」


「そうでございますねえ。ルムアの身の軽さは他に類を見ないものですし、若様も、剣はお得意でいらっしゃいますから」


 子供のような椿の歓声に、パリサがゆったりと答える。椿には剣術のことはまったく分からないが、これはすごいものを見せてもらっているのではないか。


「当たったら痛そう……。当たらないの?」


「もちろんありますよ。まあ、お二人とも手練れですから加減はできますでしょうが……。身籠られている寵姫様の前で流血などシャレにもなりませんからね」


 カン、カン、と短く剣を打ち合う音が響き、アクロバティックな動きでルムアが後ろに下がる。女の柔軟性と男の力強さ。そのどちらをも併せ持つ美しい従者は、本人が望んだことではないとはいえ、元暗殺者と言われてなるほど納得がいった。

 かたや、イクバールは素人の椿の目から見ても綺麗でブレのない太刀筋をしている。


「ほら、どうしたルムア。一撃が弱くなってきたぞ?」


「くっ……!」


 しばらく打ち合いをしていると、次第にルムアの方が押されるようになってきた。

 体格差と腕力の差。仕留めそこねれば不利になるばかりの前職からして、ルムアはおそらく短期決戦タイプなのだろう。対してイクバールにはまだ余裕が見える。


「しまいだ……!」


「あっ……!」


 イクバールが腰を落とし、下から斜めに剣を振り上げるとルムアの木剣が空高く飛んだ。それはくるくる回ると、ガランと椿の目の前に落ちる。


「わっ」


「!! ……こらーっ! 若様! ルムア! なんてことをなさるんです!」


 パリサがくわっと目を見開いて男子二人を叱る。ルムアが恐縮すると、イクバールはやれやれと木剣を拾い上げた。汗の滲む褐色の肌がまぶしい。


「当たらなかったから良かろう。……面白かったか? ツバキ」


「ええ。すごかった……!」


「当たらなければ良いというものではありませんっ! 驚いてお腹に障ったらどうするのですか!」


「やれやれ、寵姫どのは肝が据わっているのに、ばあやがお怒りだ。……ルムア、場所を変えてもう一戦するか。次は俺が短い方だ」


「はい……!」



 悪ガキ二人が離宮から内宮へと出ていくと、パリサは大きくため息をついた。心地よい日陰の回廊でチャイを飲みながら、椿はまったりと口を開く。


「ありがとう。パリサも座って。……面白かったわ。ルムアは護衛だからもちろんだけど、イクバールも腕が立つのね。身のこなしにキレがあったわ」


「ええ。ご母堂の身体能力の高さを受け継いだようで……。昔からすばしっこくて、剣も走るのもお得意でした」


「へえ、お母様が……。パリサが前にお仕えしてたのよね。亡くなられたって聞いたけど……どんな方だったの?」


「……っ」


 何の気なしに問うと、パリサのふくよかな顔が小さく強張った。迷うように少し沈黙すると、パリサは小声で告げる。


「若様のお母上は――ラハディ側妃様は、苛烈な性格のお方でした。元は舞の踊り手として後宮入りしたところを、皇帝陛下に見初められたそうです。異例の大抜擢だったと聞いております」


「舞を……」


 パリサの硬い表情にそれ以上のことを聞くのはためらわれ、椿は話題を転換する。


「あ……そういえば、側妃ってなに? お妃様とは違うの?」


「側妃もお妃のうちの一人です。この国では皇族の方々は4人まで側妃を持つことができます。愛妾ならもっと。そして、その方々の上に位置するのが正妃様――これはただお一人です。今の皇帝陛下は正妃様を置いておりませんが、これは、確かな出自に加えて高い教養や品のある振る舞いが必要とされるためと言われております」


「へえ……大変そう」


 他人事のように言ってから、椿はふと我に返った。次の皇帝となることがほぼ決まっている第一皇子イクバール。だがその周囲には、椿以外の女の影がない。

 椿は緊張を悟られぬように平静な声で問いかける。


「なら、イクバールは……どうして正妃どころか側妃もいないの? 幼馴染のサーリフさんやディルガーム将軍はずっと早くに結婚しているのに……この国では、もうとっくに適齢期でしょう?」


「それはもちろん……。皇帝陛下や帝都の大臣がたからの催促もすごいはずです。ただ、若様には婚姻を慎重にならざるを得ないご事情がおありになって――」


「事情……?」


 妃レベルならともかく、愛妾を作るのにまで慎重にならざるを得ない事情とはなんだろう。椿が首を傾げると、パリサは言いよどんだ後に意を決したように口を開いた。


「……ツバキ様。これは、あたしの独断でお話しいたしますが――若様には、どうかご内密になさって下さい。ツバキ様には知っておいていただきたいことなので」


「え……」


「若様は――イクバール様は第一皇子でいらっしゃいますが、帝都におられる異母姉妹の他にも、実は腹違いの弟ぎみがお二方いらっしゃいました」


 パリサの言葉に椿は目を見開いた。「いらっしゃいました」――過去形だ。パリサは声をひそめながら続ける。


「他の側妃様がお生みになった第二皇子と第三皇子は、幼少のみぎりにお亡くなりになっております。イクバール様は年の近いお二人とたいそう仲良くされていましたが、二人とも相次いで……。後宮全体が悄然とする中で、ある噂がまことしやかに流れました」


「噂……?」


「はい。ラハディ側妃様――イクバール様のご母堂が、毒を盛らせたのではないか、と。ご兄弟のお母上たちは大貴族のご出身でしたので、イクバール様を確実にお世継ぎとするために行ったのではないか、と――」


「……!」


 椿がぎょっと振り向くと、パリサは指を立てて沈黙を示した。首を振ると、小声で続ける。


「証拠もございませんし、もう20年近くも前のことなので真相は闇の中です。ただ、その噂はおそらく、お小さかったイクバール様のお耳にも入ったはず。それから長じたのちも、イクバール様は(かたく)なに陛下や大臣がたや、在りし日のラハディ側妃様が薦めたお嬢様たちとは姻戚を結ぼうとはなさいませんでした」


「どうして――」


「……弟ぎみたちような子を、自分の御子から出したくないのでしょう。権力を与えると人は豹変しやすいもの。そうはならない、公正で賢いお妃を探しておいでなのだと思います」


「…………」



 パリサの言葉に椿は腹に手を当てて沈黙した。

 いずれイクバールは帝都へと戻り、必ず妃を娶る。そのとき隣に立つのは、確実に自分ではない。

 自分は今この瞬間だけの目くらまし――仮初めの愛妾でしかないから。近いうちに、彼とは離れる運命だから。


(ああ……いやだ。こんな気持ち、気付きたくなかった)


 イクバールの隣に、他の女が並ぶのを――見たくない。

 あの誇り高く、時に意地の悪い金の瞳が知らない女に向けられるのを、低い声がどこかのお嬢様に愛をささやくのを見たくない。


 それは分不相応な願いで、これまでの人生で抱いたこともなかったドロドロとした気持ちだった。


 いつの間にか心に忍び入り、もう気付かぬふりができぬほど育ってしまった気持ちに名前を付けたくない。自覚してしまえば、ただ苦しくなるだけだと分かっているから。


(……離れよう。体が落ち着いたら、できるだけ早く――。今ならまだ思い出にできる)



 唇を噛んでうつむいてしまった美しい女主人に物憂げな視線を向けると、パリサはふぅと息を吐き出した。

 妃の座に一番近いのはあなただ、そして自分たちもそれを望んでいる――そう伝えてやりたかったが、椿の思い悩む様子に、思慮深い侍女はその言葉を飲み込んだ。




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