27.ナーラ
サーリフから予想もしていなかった文を受け取り、椿はその翌日に太守府からもほど近いサーリフ邸を訪ねた。
ルムアを伴って門を叩くと、中からのっそりといつも通り不機嫌そうなサーリフが出迎える。
「……こんにちは」
「ああ。来訪感謝する。……こちらだ。寝室ですまんな」
ちっとも感謝していないような顔で言われるが、今さらなのでもう気にも留めない。離宮ほどの大きさはないが上品な造りの回廊を歩くと、サーリフが言いづらそうに切り出した。
「来てもらってなんだが、その……お前自身の体調はどうなのだ? もう7か月だったか。ずいぶん腹も大きくなったな」
「ええ、まあそれなりに。……あ、仕事で何かやらかしたりはしてませんよ」
「そんなことは言っていない。そうなら呼び出したりもしない」
イライラと苦虫を噛み潰したような顔で答えられ、椿は肩をすくめた。折り入って、妻の症状を診てほしい――そう言われたときは何事かと思ったが、少しは信用してくれたということなのだろうか。
奥まった寝室らしき部屋の前に立つと、サーリフは椿に対するのが嘘のような優しい声で口を開いた。
「ナーラ。入るよ」
「!?」
(声ー!?)
「はぁい。……まあ、ツバキさん。はじめまして。こんな格好で失礼しますね」
(かわ……っ! えっ、奥さん若っ! 妖精!?)
寝台の上に起き上がっていたのは、ふわふわの巻き毛と儚げな表情が印象的な小柄な女性だった。
鈴を転がすような可憐な声で答えたサーリフの妻ナーラは、こちらが申し訳なくなるような表情で丁寧に頭を下げる。
「ごめんなさいね。あなたも身籠っていらっしゃるのに、わざわざ来ていただいて。……もう、あなたったら。薬師様に来ていただくなんて、大げさだって言ったのに」
「でも心配で――。今朝だって何も食べられなかったじゃないか」
頬を膨らませる妻と、その妻を心配――というか溺愛する夫。
普段のサーリフからは想像もつかない姿に、椿は吹き出さないようにするので精一杯だった。背後のルムアも肩を震わせている。
「い、いえ。本当に顔色も良くないですし、おつらそうなので――。呼んでいただけて光栄です。ナーラさん」
「まあ……とてもお優しくて賢い方なのね。太守様とお似合いね、あなた」
「そ、そうだね」
妻を気遣って、思ってもいないだろうに同意するサーリフに椿は再び吹き出しそうになった。
……駄目だ。このままサーリフがここにいては、笑ってしまって診察どころではない。
「ええと、それじゃ女同士の話もあるのでサーリフさんは外でお待ちを……。終わったらお呼びしますので!」
サーリフを追い出して女性だけになると、椿はナーラの診察を始めた。あらかじめ師ウマルや先輩マジュディに診察のコツを聞いてきたため、用意してきた薬を適切に処方する。
「薬湯だと飲みにくいかと思って、粉末にしたものもお持ちしました。試作で作ったんですが成分は同じなので。これなら日持ちもしますし」
「まあ……新しいお薬も作られるの? すごいわ、ツバキさん」
「仕事場にある道具で簡単な加工をしただけですよ。それから、食べられないなら今は無理に食べなくても大丈夫です。つわりはいずれ必ず終わりますから――。その代わり、お水はできれば少しずつでも飲んでください。果汁と塩を少し入れたものだとなおいいんですが……。試しに作ったものをお持ちしたので、味見してみてください」
「……あ、これなら飲めそう……。ありがとう、こんなに持ってきて下さって」
「いえ。つわりの辛さは身にしみて分かりますので」
聞けば、ナーラは童顔だが椿とそう歳も変わらず、結婚5年目にして待望の子宝に恵まれたとのことだった。サーリフは優しくてとても良くしてくれるが、子供ができないことでなかなか大変な思いもしていたようだ。
「ディルガーム将軍の奥様は4人もお子さんがいて軍でお仕事までされているのに、わたしは一人目なのにこんな有様で恥ずかしいです……。昔から体力がなくて、お産に耐えられるかも心配で」
「つわりの重さは人それぞれですから、比べるのはやめましょう。体力だったら……そうだ、つわりが落ち着いたらできる軽い運動をお伝えしましょうか」
「本当? ツバキさんは何でも知っているのね」
「いえ、私もまだまだ勉強中でして……。出産もそのあとの子育ても、私も未経験なので怖いですよ」
「ツバキさんみたいな方でもそうなのね……。少し安心するわ」
ほうっと手を組み、ナーラが天使のような笑みを浮かべる。……ああ、これは守ってあげたくなるタイプの女性だ。サーリフが溺愛する気持ちが椿にもなんとなく分かった。
それから簡単なマタニティヨガの動きをレクチャーして、薬を使用人に預けると椿はナーラの部屋を辞した。
「――あ。終わりました。お待たせしました」
「ああ」
回廊を行くと、そわそわと待っていたサーリフがスン……といつも通りの顔で椿を出迎えた。その落差に内心で笑ってしまう。
診察の結果と対応を手短に説明すると、早く妻のところへ向かいたいであろうサーリフに配慮して早めに退出を申し出る。
「それじゃ、これで――」
「……待て。今日の礼だ。何がいいか分からなかったから、これで入り用のものでも買ってくれ」
「あ……どうも。ありがとうございます」
謝礼を手渡され、遠慮なく受け取るがサーリフはまだ何か言いたげだ。椿が辛抱強く待っていると、彼は端正な顔に少しの迷いを浮かべて告げた。
「その……今日は助かった。あまりにもつらそうで……来てもらえて良かった。ナーラも気が紛れたようだ。改めて感謝する」
「いえ……。私の仕事をしただけですから」
「あと――。その、色々……すまなかった。初めの頃、お前を冷遇して……。こうなってみて、なんと己は狭量だったのかと悔いている。今さらではあるが、申し訳なかった」
「……っ」
感謝の言葉に加えて謝罪までされて、椿は目が点になった。急に不安になり、問いかける。
「え、だ、大丈夫ですか? 何か悪い物でも食べました? お薬出しましょうか?」
「食べてない。私は正常だ」
「はあ。……いや、補佐官としては正しい対応だったようにも思いますが……。ちょっとムカつきはしましたけど」
「ちょっとか」
「いや……だいぶ?」
正直に告げると、サーリフは仏頂面をますますしかめた。それを見て、椿は思わず苦笑する。
「いいですよ、もう。過ぎたことです。嫌味な人の相手なら元の世界でも慣れてますから」
忖度せずに「あなた嫌味だったわよ」と告げると、サーリフはむっすりと押し黙った。
これ以上言うと、怒られそうだ。今度こそ椿は退出を切り出す。
「それじゃ本当に――」
「……また、会ってやってくれるか。故郷の帝都から離れて、ナーラは友人が少ない。できれば……また話し相手になってやってくれないか」
「ふふっ。……もちろん。私たち、もうお友達になりましたから。今度はサーリフさんがいなくても大丈夫ですよ。子供が生まれたらママ友として一緒に遊ぼうって約束しましたから。あなたの赤面エピソードをたくさん聞き出してみせるわ」
最後にニヤリと笑いかけると、椿はルムアと連れ立って歩き出した。
その背後で、サーリフがぽかんと彼女の背中を見送った。
「ままとも……とは? えぴ、そーど……? 異界の言葉は難解だな……」




