23.偽りの寵姫
店を何軒かはしごした椿は、ルムアを休憩に誘った。もう何度かスークにも来ているのでお気に入りの茶店がある。
日陰のテラス席に腰を落ち着けると、これもこちらに来てお気に入りになったミントティーを傾ける。
「――ふう。ごめんね、ちょっと今日胎動が激しくてお腹が張っちゃって」
「いえ……。大丈夫ですか? 馬車を呼びましょうか」
「少し休めば大丈夫。ルムアも飲んで。ここは私のおごりよ」
椿の言葉にルムアは恐縮したように同じものを頼んだ。
……そういえば、元の世界でもこんな風に後輩をランチや飲みに誘うのが好きだった。慕ってくれるのが嬉しくて、ついつい姉御風を吹かせてしまっていた。彼らは今、元気にやっているだろうか。
「そうそう、ルムアに贈り物があるの。いつもお世話になってるから、受け取って。嫌じゃなければ使ってもらえると嬉しい」
「えっ。これ――」
椿が差し出したのは、先ほど買ったばかりの水色のリボンだった。珍しくルムアが熱心に見つめていたそれを、ほんのお礼として渡したくなったのだ。
だがルムアは首を振ると申し訳なさそうに固辞する。
「い、頂けません。こちらがお世話になっているのに悪いです。それにこれ、女物ですし……。男でも女でもない自分が着けていたら、周りにどう思われるか――」
「え、すごく似合うと思うけど。……ルムア。あなたは男でも女でもないんじゃなくて、男でも女でもあるんじゃない? 今だったら離宮にいてうるさく言う人もいないし、もっと自由な格好をしてもいいと思うんだけど……髪飾りぐらいでも、だめ? 悪目立ちしないし、ルムアの髪によく似合うと思うの」
「…………」
リボンを受け取り、ルムアがそれをじっと見つめる。やがて美しい従者は首を振り、はにかんだ笑みを浮かべた。
「いえ……ありがとうございます。……嬉しいです。とても綺麗――」
「良かった。……結んであげる」
「えっ」
椿はさっとルムアの背後に回ると、肩下までの金髪を手に取った。サラサラと素晴らしい手触りのそれに感嘆しながら、手櫛で器用に編み込みを作ると最後に刺繍のリボンでまとめる。
そうして正面に戻るとルムアが心配そうに見上げた。
「……ど、どうですか? 変じゃないですか」
「うん、やっぱり似合う。可愛い!」
「……っ」
ルムアの顔がボッと赤く染まる。返す言葉を失って縮こまってしまった従者に、椿はウキウキと心が沸き立つのを抑えられなかった。
(かーわいー! ああ……もっと着飾らせたい。離宮の中ぐらいなら許してくれないかな。可愛いもの好きそうだし、女物の服も絶対似合うと思うんだけど)
控えめなリボンに彩られたルムアが居心地悪そうにミントティーを口に含む。そして一息つくと、ぼそっと切り出した。
「あの……自分相手では構いませんが、髪飾りを人に贈るのは気を付けた方がいいですよ」
「え? なんで?」
「その……この国では、求愛を意味するそうで……。その髪に触れたい、その髪に触れるのは自分だけ――という気持ちの表れらしいです」
「へー。そうなんだ。私の国での、服を贈るみたいなものかぁ」
もう少し色っぽい意味だけど、と小声で付け足すとルムアの顔がまた赤くなった。……可愛い。
椿はもう少し、ルムア自身のことについて話をしてみたくなった。
「私の国では、ルムアみたいにどちらの性も持つ人は本人や親の希望で生きる性を決めるの。もちろん全部が全部上手くいくわけじゃないけど、その性に近付くように薬を使ったり手術をする人もいるわ。……ここではそういう対応は難しいけど、念のためあなたに聞いておきたい。ルムアは……私にどちらの性で見られたい?」
「えっ……」
これは意思確認だ。彼または彼女の望むように接したい。可愛いものが好きだからといって女の子と決めつけるのは早計だ。
性自認を問うと、ルムアは難しい顔で黙り込んでしまう。
「分かりま、せん……。ずっと、どちらでもないと思って生きてきたので――。男の格好をしていますが、それは動きやすいとか働きやすいからという手段であって、自分自身の意思かと言われると違う……気がします。現に髪紐を頂いて嬉しいですし。これって心は女だということなんでしょうか?」
「それは私にも分からない。私が決めつけることはできないわ。――あ、じゃあ……好きな人とかいる? どちらの性により魅力を感じるか、とか――」
「…………」
ルムアはまた黙り込んだ。ちら、と椿を見上げるともじもじと唇を動かす。
「あの……お怒りにならないで下さいね」
「ん?」
「その、イクバール様が――。……あっ、誤解しないで下さい。そんな大層な意味ではなくて!」
「えっ」
漏れ聞こえた名前に椿が目を見開くと、ルムアは真っ赤になって手を振った。見つめると、消え入りそうな声で続ける。
「あ、憧れ……みたいなものなんです。人としての。自分に、生きる意味を与えて下さったから。だからあの方とどうにかなりたいとか、そんな気はまったくなくて! お願いです。信じて下さい」
「う、うん。分かった」
必死になって否定され思わずうなずくと、ルムアはほうっと息を吐き出した。
ほんのり染まった顔とリボンも相まって、少女の恋バナに付き合っている気分になる。
「あ……でも、それなら本当は残念だったんじゃない? 私の護衛に付いたから、イクバールの側にいられなくなっちゃって。私こそ、ルムアが望むならイクバールにそう説明して元に戻してもらうように――」
「いえ。自分は、今のお役目に満足しています。……イクバール様の側仕えはもっと有能で屈強な方たちがたくさんいますから。ツバキ様の護衛として働けるのは自分一人ですし、唯一無二のお役目をお任せ頂けて、心から嬉しいです」
「そう……?」
無理に気を遣わせてはいないか。そう案じて問うと、ルムアはふるふると首を振る。
「それに、表では見られないイクバール様の表情を見られるのも、このお役目の特権だと思ってます。その……ツバキ様と一緒のときのイクバール様は雰囲気が柔らかいというか、お楽しそうで……それを見ていると、自分もなんだか幸せな気分になります」
「え。そ、そう?」
今度は椿の方が赤くなる番だった。
雰囲気が柔らかい? 楽しそう? ……分からない。椿から見ると面白がられているようにしか感じられないが、第三者からだとそんな風に見えるのか?
赤くなった椿にたたみかけるように、ルムアが力説する。
「はい。とてもお優しい眼差しで、ああ本当に愛されていらっしゃるのだなあ……と。ツバキ様、分からないのですか?」
「ごめん全然分からない。というか、うん、そのぐらいにしましょう。恥ずかしいから……」
顔が美しいぶん圧がすごく、椿はせり負けて両手で顔を覆った。
……耳が熱い。ルムアを見て微笑ましく思っていたのに、どうしてこうなった。
ふーと息を吐いて気持ちを落ち着かせると、ルムアは控えめな笑みを浮かべる。
「その……イクバール様のところには、賢く美しいお方に来ていただきたいと思っていたので、ツバキ様のような理想のお方がいらっしゃって嬉しいです。無事に御子がお生まれになったら、そのまま側妃に――そしていずれは正妃となっていただきたいと、僭越ながら願っています」
「……っ」
心からそう思っていると分かるルムアの声に、椿は息を止めた。そしてルムアに気付かれないように、そっとそれを吐き出す。
……胸が痛い。この親愛なる従者たちを騙しているのが。
椿が正妃どころか妃になる日は絶対に来ない。なぜならお腹の子はイクバールの子ではないから。自分が彼に愛されているわけでもないから。
そしてルムアたちとも、そう遠くない未来に別れることが決まっている。どれだけ心を寄せてくれても、自分はしょせん仮初めの――偽りの寵姫でしかないのだ。
「……そろそろ行きましょうか。たくさん話したわね。またお話してくれる?」
「はい。もちろん……!」
ならばせめて、少しでも「仕えていて良かった」と未来で思ってもらえる主になりたい。ルムアが思い描く人生の助けとなれるような――。
思ったよりは寡黙でなかった忠実な従者に笑いかけると、ルムアは年相応の愛らしい笑みを浮かべた。




