22.ルムア
クファール帝国に来てからひと月が過ぎ、妊娠6か月に突入した。
今日は仕事は休みで、ウマルに紹介してもらった産婆のところまで診察を受けに行く予定だ。椿が起きると、帳の向こうからルムアの声がする。
「おはようございます、ツバキ様。……すみません、今日はパリサさんがご主人の看病のためにお休みで。自分がお支度を手伝わせていただきます」
「え……。えっ? あ、うん。旦那さん、大丈夫なの?」
「はい。軽い風邪のようです。――あ、お湯を注ぎますね」
椿がうなずくより先に、ルムアが室内に入ってきて朝の洗面道具を置いた。寝起きのすっぴんだが、まあいいか……と少年の前で顔を洗うと、ルムアが着替えを差し出してきて椿はギョッとする。
いつもはパリサが帯を結んでくれるのだが、ルムアの手が寝衣にかかりそうになり、椿はなるべく穏やかに言った。
「えっと、ルムア……今日は自分でやるからいいわ」
「え? でもパリサさんはいつも――」
「うん。でもあの、さすがに男の子に着替えを手伝わせるのは私もちょっと……。ごめんね、ルムアを変な目で見てるわけじゃなくて、私がこっちの流儀に慣れないだけで」
「え。……あっ! も、申し訳ありません……!」
ルムアがはっとしたように手を離し、その場で平伏した。金の頭が下がり、過剰な反応に椿もまた慌ててしまう。
「あっ、いいのいいの、そんなに畏まらないで! ルムアが悪いんじゃないから!」
「いえっ、そうではなく……! すみません、イクバール様が最初にお伝えされていたものだとばかり……!」
「え……?」
「その、自分は……男では、ありません……」
「……え。……ええー!?」
小さく絞り出したルムアに顔を上げさせると、椿は座り込んで彼――いや、彼女?と視線を合わせた。椿よりも小柄な美しい金髪の従者は、恐縮しきったようにグレーの目を泳がせる。
「お、女の子だったの……? え、ルムアいくつ?」
「18です……。あの、女と言うのも語弊がありまして」
性別不明の美貌ではあったが、小姓のような格好をしていたのでまだ声変わり前の少年だと思い込んでいた。
思っていたよりも年長だったルムアは、少年のように伸びやかな手足を困ったように見つめる。
「……あの、ツバキ様は両性具有……という言葉をご存知ですか?」
「両性――あ、性分化疾患? 半陰陽……とは今は言わないんだっけ。うん、知ってるわ」
「さすがは医学に明るいですね。……自分は、そのような生まれで。男でも女でもなく、生殖能力がありません。子供のような容姿のまま、この歳になってしまって……」
「…………」
恥じたように手足をさするルムアを、椿は驚きと共に見つめた。
喉仏はなく、おそらくは下半身に男性の象徴もない。しかし胸は平坦で、第二次性徴直前の少年少女といった感じの体型だ。
最初に性別不詳だと思ったが、本当に不詳だったとは。
(そうか。ホルモン補充療法とか、ないもんね……。染色体で判別もできないし。どちらかの性に寄せて成長することが難しかったんだ……)
考え込んだ椿に、ルムアが不安げな目を向ける。
「気持ち悪い……ですか? 申し訳ありません。実態がどうであれ、今までツバキ様が男と思っていらしたならとんだ失礼を……! 今からでもイクバール様に頼んで代わりの女護衛を――」
「待って待って、落ち着いて。気持ち悪いとか、ないから。他の人に代わるのも駄目よ。……他に体に不調とかはないの?」
「はい。すこぶる健康体です」
そわそわするルムアを落ち着かせるようにその肩を撫でると、椿は息を吐いて視線を合わせた。
「健康なら良かった。……イクバールは、もちろん知ってるのよね?」
「はい。パリサさんやサーリフ様も……。前にパリサさんがお話ししましたが、自分は元は戦争奴隷で。このような体ですので、生まれ国で暗殺者として訓練を受けて女として帝都に潜入したところを、イクバール様のご配下に捕らえられました」
「えっ」
「そのまま始末される運命だったところを、イクバール様が興味を持って下さって生かされて。この体を持つ自分だから成せることもあると――。男として生きるか女として生きるか迷っていましたが、かの方のお側に仕えるために男の格好をすることにしました。イクバール様も、その方が身の危険も少ないだろうと」
「そうだったの……」
イクバールとしては、ルムアの意思ならおそらくどちらでも良かったのだろう。
だがこれだけ美しい容姿だ。女として皇子が配下にしたとなれば、余計な軋轢がルムアにも及ぶと考えたのだろう。その配慮は椿にもなんとなく想像できた。
わざわざ敵方から引き抜いた秘蔵の部下を、椿につけてくれたのか。そしてルムアもそれに従ってくれたのか。人付き合いが苦手そうで、愛妾の側仕えだなんて慣れていないだろうに一生懸命心を砕いて。
椿は優しい気分で、まだ不安そうなルムアに穏やかに呼びかける。
「ありがとう、話してくれて。……ああ、時間がなくなっちゃうわね。着替えを手伝ってもらえる? ルムア」
「あ――、は、はい!」
にっこり笑ってルムアに背を向けると、はっとしたような少女――少年……もうどちらでもいい、ルムアは小さく笑ってきびきびと動き始めた。
産婆の診察は問題なく終わり、まだ日も高いので椿はルムアとスークを散策してから帰ることにした。そろそろ子供用の産着やその生地の下見をしておきたい。
「これ、既製品はないのね。布から縫うの大変じゃない? ちょっとの間しか着ないのに」
「庶民の間ではお古が使い回されますが、イクバール様がお許しにならないでしょうね……。布を決めていただければ、こちらで針子を手配しますので」
「そう。じゃあ性別も分からないし、どっちでもいける感じで――。ルムアはどれが好き?」
「えっ、自分ですか?」
柄を検討していると、突然矛先を向けられてルムアが目を見開く。
正直、椿には子供向けの可愛い柄の良し悪しはよく分からない。特に子供好きだったわけでもないし、性別が分かったら適当に売れ筋のものを選ぼう。そう淡白に考えていた。
ルムアは椿よりもよほど真剣に、何枚もの布を見比べて悩んでいる。
「これとこれ、でしょうか……。ツバキ様のお好みか分かりませんが」
「あら、可愛い」
「あっ、華美すぎましたか? それではもっと落ち着いたものを――」
「ううん、これがいい。私じゃ選ばないから、あなたの審美眼を信じる」
ルムアが選んだのは、候補の中でも温かく優しい色味の布たちだった。男女どちらにも合いそうだ。それをルムアが店主に言って手配している間に、椿は他の布や商品を眺める。
(あ、リボン。へー、可愛い)
布製品全般を扱っているその店には髪飾りや装飾品も置いてあった。その中で、薄い水色に繊細な刺繍が施されたリボンに目が留まる。
「お待たせしました。……それは? そちらもお求めになりますか?」
「ううん。私みたいな顔立ちや年齢の人には合わないわ。こういうのはきっと、もっと若くて繊細な顔の子が――」
「そんなことはないと思いますが……。……綺麗ですね。こんなに細かく刺繍できるんだ……」
興味を惹かれたようにルムアがそのリボンをうっとりと眺める。そのグレーの瞳と繊細な水色が、ぴたりと重なったような気がした。
「……やっぱり買うわ。これは私のお金で。ちょっと待ってて!」




