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異世界シンママ(仮) ~バリキャリ妊婦は熱砂の皇子の仮初め寵姫~  作者: 多摩ゆら
第一部

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21.胎動


 椿は自嘲の笑みを苦く唇に浮かべた。

 少し時間が経ったからなのか、それとも自分の環境が変わったからなのか、元夫について冷静に考えることができるようになっていた。


 ――優しい人だった。優しすぎて、優柔不断で時折イラつくこともあった。

 子供を持とうとしたのも椿の主導によるものだった。「幸せな人生の型」に自分を当てはめようとして、夫もそのパーツの一つだと、いつしか捉えるようになってはいなかったか。


 つわりで苦しむ椿を、オロオロしながらも労わってくれていたのに。その彼にどんな態度を取ってどんな言葉を投げつけたのか、記憶が抜け落ちたように思い出せない。

 彼は子供を与えてくれたのに、彼を大事にしてこなかったのは自分だった。今にして思えば、捨てられたのは当然の報いだった。


(私だって離婚したくなる。こんな当たりのキツい妻――)



「――お前が高慢で利己的だったのは、まあそうだとしか言いようがないが」


「……っ」


 ふいにイクバールが口を開き、椿は声を詰まらせた。彼は至極冷静に淡々と続ける。


「俺はお前の元夫を知らんが、お前ばかりに否があったわけでもないだろう。単にそいつが、お前に不釣り合いな男だったというだけだ」


「え……?」


「元の国でもその調子で男と対峙していたなら、お前は圧が強すぎる。そこいらの男では負けて当然だろうな。お前の鼻っ柱の強さを受け止めるには、そいつが役者不足だったんだろう」


 真顔で言い切られ、椿はぽかんと金の目を見つめ返した。イクバールは小窓を見上げると、そこから覗く夜空を指差す。


「――星が合わない、という言葉がある。たいていの星は決まった時間に出て決まった時間に消えていくが、時おり他とは異なる軌道を描く星があるだろう?」


「……? それ、金星とかじゃない? 星じゃなくて惑星――」


「ワクセイ? ……さあ、俺は星読みの神官ではないから分からんが。とにかく、今この瞬間は空に並んでいるように見える星でも、いずれすれ違い二度と交わらないものがある。……人も同じだ。寄り添っているように見えても、合わなかった者たちのことを『星が合わない』と言う」


「へえ……」


 この世界の慣用句みたいなものだろうか。椿が感心すると、イクバールは視線を戻して金の目で平坦に告げる。


「お前とそいつも、星が合わなかっただけのこと。そういう出会いと別れは人生に幾度となくあるから気にするな。お前はその代わり、ここに流れ着いて俺に出会った。それで十分だろうが」


「何それ。……よくもそれだけ自信を持てるわね」


「皇子だからな」


 しれっと言われて椿は思わず笑ってしまった。くすくすと小さく声を漏らすと、ふと気が付く。


「……もしかして私、励まされてる?」


「俺が? なぜ」


 問いかけると、さも意外そうにイクバールが片目を開く。彼は先ほどと変わらぬ平静な声で続けた。


「過去の己を顧みて、高慢だった、利己的だったと悔いるのはいい。だが背中を丸める必要はない。そうでない自分を目指してこれから生きていけばいいだけだ。……ツバキ。傲慢さと間違えて誇りまで捨てるなよ。お前が歩いてきた道が、今ここでお前が生きていこうとする根幹になっていることを忘れるな。それは誇るべきお前の財産だ」


 じっと真剣な瞳で見つめられ、椿はわけもなく胸が熱くなった。上辺を剥ぎ取られ、虚飾をなくした自分にもまだ誇れるものがあったのか。


 これが励ましでなくて、なんというのだ。言った本人には自覚はないようだが、人を奮い立たせるその言葉が胸に響くのは、彼自身が確固たる誇りを身の内に持っているからだ。

 誇り高い、砂漠の国の皇子。その鷹の目は見る者の背筋までピンと伸ばさせる。


「は……。年下の男に説教されるなんてね」


「なに? お前はまだそんなことを――」


 だが椿は素直にうなずくことなく、自嘲のように笑った。

 イクバールがピク、と眉を寄せる。それを見て、こらえきれぬ笑みが吹き出した。


「ふっ……。ふふっ……!」


「……?」


「冗談よ。……ふふっ! あはは! どうかしてる。28にもなって、年下の男に励まされるなんて。感傷が過ぎたわ」


「お前……」


 年下、と連呼されてイクバールが不快そうに口を開く。椿は笑いを収めると、斜に構えた笑みで――それはまったく本来の彼女らしい、この世界に来てからの初めての表情でイクバールに笑いかけた。


「ありがと。元気出た」


「……っ」


 ニッと目を細めた椿に、虚を突かれたようにイクバールが瞬く。それはほんの一瞬で、すぐにいつもの余裕ある笑みを浮かべるとイクバールは鼻を鳴らした。


「それでこそ俺の寵姫だ。そのぐらいふてぶてしくなくては、つまらんからな」


「あなたを面白がらせるためにいるんじゃないんだけど」


「……だが、それと年下扱いをされるのとはまた別の話だ。俺とお前の間にどれほどの差もないことを、分からせる必要があるな」


「え? ……ちょっと!」


 ぐい、と急に顔を近付けられてのけ反ると、イクバールの唇が首筋を狙っていることに気付き椿は思わずその頬を押しのけた。


「一つ付けたんだからもういいでしょ!?」


「足りん。虫除けにするには、さっきのは薄すぎた」


「いや本当にそういうの結構だから! ちょっといい加減に――。……?」


 イクバールを押しのけながら、椿はふと腹に感じた違和感に言葉を止めた。なおも迫ってくる皇子をぞんざいに押しやると、目を閉じてその感覚に集中する。


「どうした」


「ちょっと待って。…………。動いた?」


「? 何が」


「いや、お腹――。……?」


 コポ、と泡が弾けるようなかすかな感覚を感じたような気がしたが、集中してみても二度目はなかった。首を傾げる椿に、興を削がれたようにイクバールが離れる。


「胎動か? 自分で分からんのか」


「分からないわよ。初めてなんだし。でも、そろそろあってもおかしくない時期――。あ、またコポッてした」


 確証はないが、今までにない感覚に目を見開く椿にイクバールが嘆息する。まだ服の上からでは分からない椿の腹を見下ろすと、彼はやれやれと肩をすくめた。


「まるで見計らっていたかのような時に。……いや、母が他の人間のことを考えるのが許せないんだな。独占欲の強い子供だ」


 そう言って笑うと立ち上がる。帳を上げるとイクバールは穏やかにつぶやいた。


「もう夜も遅い。あまり根を詰めずに休めよ」


「ええ。おやすみなさい」


「ああ」


 手を上げると、振り返りもせずにのしのしと去っていく。

 椿は腹に手を当てるとほうっと安堵の息を吐いた。胸が温かく、久々に満ち足りた夜だった。






「――イクバール様、お帰りですか?」


「ルムアか。……ああ、我が寵姫のご機嫌伺いが済んだんでな。お前も毎日の同行、ご苦労」


「いえ、自分にとっても新鮮ですので。ツバキ様も、お勤めに慣れてだいぶお元気になられた気がします」


 離宮から内宮に戻ろうとすると、まだ起きていたらしいルムアに声を掛けられた。金髪の美しい従者はいつも通りの控えめな態度でイクバールに頭を下げる。

 顔を上げたルムアはイクバールをちらりと見上げると、小さく首を傾げた。


「あの……どうかいたしましたか? 嬉しそうですね……?」


「うん? そうか?」


 指摘されて、思わず顎に手をやった。緩んではいない――はずだ。いつも通りの顔のはずなのに、何か滲み出てしまっていたか。


「……なに。なかなかいいものが見られたと思ってな」


「……?」


 机に向かって集中する凛とした横顔。過去を悔いて、今はもういない男を想う顔。そして、こらえきれぬように漏れた笑い声と、あの女本来の挑発的な笑み。

 どれも初めて見る表情で、目を惹かれた。心が動いたことを、イクバールは否定しなかった。


「気にするな。これからも励めよ、ルムア」


「――はっ。御心のままに」


 首を巡らせて勤勉な従者に笑いかけると、若き太守は今度こそ離宮を後にした。




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