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異世界シンママ(仮) ~バリキャリ妊婦は熱砂の皇子の仮初め寵姫~  作者: 多摩ゆら
第一部

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19.煙の語らい


 医務院薬房での薬師見習いとしての仕事は昼までで、気温が上がる午後は離宮に講師が来て文字を教えてもらえることになった。

 もっと詰め込んでもいいと椿は訴えたのだが、イクバールの指示だからとサーリフは受け入れなかった。体調を考えて休み休みやれ、ということなのだろう。


 貴族御用達の家庭教師の中でも温厚な女性の講師が来てくれて、椿はごく初歩的な文字からクファール語を教わることになった。子供向けの教材を用いて、文字を書き写すところから授業は始まった。


 海外の本社とやり取りしていたこともあり椿は英語が堪能だったが、クファール文字の習得は非常に難渋しそうだった。

 「星の乱れ」の副産物なのか話し言葉はなぜか通じるのだが、文字に起こすとなると本来のクファール語の発音や意味を理解していないとどうにもならないのだ。


 結局、まったく馴染みのない新たな言語を習得するのと変わらない手間がかかると分かり、椿は長期戦を覚悟した。話し言葉が分かるだけ100倍マシだと思うしかない。

 子供向けの単語リストと文字のお手本をもらうと、その日の授業はお開きになった。中庭から夕焼けを眺め、椿は心地よい疲労感に身を任せると大きく伸びをした。


 ――そうだ、つわりで中断していた日課のヨガも再開しよう。柔軟性や呼吸法はきっと出産にも役立つはずだ。

 できることを、一つずつやっていくしかない。この世界で生きていくと決めたのだから。






「――イクバール様。初日の様子をお伝えしてもよろしいでしょうか」


「おう。入れ入れ、お前も吸うか?」


 一方その頃。外宮の太守府では一日の政務を終えたイクバールが、控えの間で水タバコ――シーシャに口を付けていた。窓は開け放たれ、風がそよぐ中にコポコポと水で煙がろ過される小さく心地よい音が響く。

 少し考え込むように眉を寄せたサーリフは、ゆったりと煙を吐き出す主の隣に腰を下ろすと側仕えにもう一本管を持ってこさせた。


「ご一緒させていただきます。……? これ、タバコではないですね?」


「ああ。茶葉と果実の皮を混ぜたものだ。こっちの方が喉に来ないし依存性が少ないんだと。毎日吸うわけでもなし、俺はこれで十分だな」


「こういう吸い方もあるのですね。……しかし、甘い……。よくこんなに甘いの吸えますね」


「そうか? もっと甘くてもいいぐらいだがな」


 イクバールは息を吐き出すと背後のクッションに寄りかかった。

 少しの苦味を含んだ甘い煙が喉から口へと抜け、ランプで灯された天井へと上っていく。タバコの葉を含まないため痺れるような特有の酩酊感はないが、気分転換にはこの程度でいい。


 そうしてしばらく二人で煙をくゆらせてから、イクバールは金の目を懐刀へと向けた。



「それで、首尾は?」


「――は。ウマル師から上がってきた報告によると、薬草や医学の知識があるのに相違はないと。あの女の知らぬ薬草も多々ありますが、半分ほどは見覚えがあるようです。それを調合して作る薬についても見識が深いようでした」


「ふっ、人の寵姫を『あの女』呼ばわりするな。……そうか。本当に薬師だったか。苦し紛れの嘘の線も捨ててはいなかったのだがな」


「失礼しました。それから、文字については本当に知識がないようで……一から教える必要があると知らせが。ただ、異国語の習得経験はあるようで要領は良さそうだとの話でした」


 どこか面白くなさそうなサーリフの報告を聞き、イクバールは口をわずかにつり上げた。


「馬鹿でも、いつまでも泣いているほど愚かでもなかったか。それなら結構」


「このまま様子を見させますか? ウマル師からは、独り立ちには一年ほどを要す見込みと聞いています。産前産後で働けない期間を考えると、かなり長期間こちらで保護することになりますが――」


「仕方あるまい。あいつが本当に『禍つ者』だろうとそうでなかろうと、この国に迷い込んでしまったのは事実だ。ならば俺は太守として皇子として、あいつが自活できるようになるまで面倒を見る責務がある。あいつがどうしても愛妾の立場は嫌だと言ったなら、ウマルに言って住み込み弟子にでもしてやるさ」


「そんな贅沢をほざいたら、あなたがどうこうする前に私が城門から叩き出します」


 ちっ、と心底嫌そうな顔でサーリフが薄い唇から煙を吐き出す。

 何がそこまで気に入らないのか――いや同族嫌悪か、椿に対してはやけに辛辣な補佐官に小さく笑うとイクバールは吸い口を置いて立ち上がった。


「離宮に向かうのですか?」


「いや、このままディルガームと打ち合いでもしてくる。初日で疲れてるところに行って、さらに疲れさせるのもなんだしな。パリサがうるさいからちょくちょく顔は出してやるが、毎日は会えない方が俺のありがたみが分かるだろう?」


「……あれがそんな殊勝な性格ですかね」


 サーリフの呆れたようなつぶやきに肩をすくめると、イクバールはもう一人の側近であるディルガーム将軍と剣の稽古をするべく、太守府隣の練兵場へと足を向けた。




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