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異世界シンママ(仮) ~バリキャリ妊婦は熱砂の皇子の仮初め寵姫~  作者: 多摩ゆら
第一部

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18.新たな道


 夕食が済むと、イクバールはパリサの引き留めをやんわりと断った。いわく、「俺の寵姫のわがままを叶えるために根回しをしなくては」と。

 そうしてもう一度、椿の手に口付けを落とすと彼は太守の私的な空間である内宮へと帰っていった。



「――まったく、全然お泊りにならないんですから」


「仕方ないわよ、私が頼んだことだから。むしろすぐ動いてもらえてありがたい」


 呆れたように言うパリサに首を振ると、椿は静かになった中庭でほう……と息を吐いた。


 イクバールが泊まっていかないのは椿の頼みを叶えるためでもあるが、そもそも泊まる必要がないからだ。

 仮初めの関係に必要以上の接触は必要ない。今日は触れられなかった首筋を撫でると、椿はまだ少し腫れぼったい目を閉じる。


 今日は色々なことがありすぎた。襲われて、叫んで、泣いて、そしてこの街を見た。この世界に触れた。

 灼熱の昼からは想像もつかぬほど気温の下がった夜の空気を吸い、空を見上げると椿は目を見開く。


「あ……。すごい――」


 回廊で四角く切り取られた夜空に、幾千もの星が散りばめられていた。デジタル機器から離れてわずか数日だが視力が良くなったのか、椿の目にもはっきりと満点の星空が見える。

 この世界は、こんな空をしていたのか。夜は何度か過ごしたのに、見ようともしていなかった。


 星の瞬きの下で深呼吸をすると、椿はぎゅっと両手を握りしめた。


「――よし」






 翌日から、椿の生活は一気に慌ただしくなった。


(……げっ)


「…………」


 朝食を済ませて支度を整えていたら、むすっと不機嫌そうなサーリフが姿を現した。朝から見たくない顔だが一応はこちらから挨拶をする。


「……おはようございます」


「ああ。お前な――私の忠告を聞いていなかったのか!? イクバール様に失礼なことをするなと言った矢先に、離宮(ここ)から抜け出してあの方を捜索に駆り出させるなど! しかも師と働き口をねだっただと!? 厚かましいにも程があるぞ!」


「……っ。……すみません」


 予測はしていたが、今日もまた開口一番叱られた。体を引きつつも素直に謝ると、サーリフは整った涼しげな顔をしかめ、深緑の衣をひるがえす。


「……支度はできているのか」


「え? あ、はい」


「だったらさっさとついてこい。もちろん護衛も連れて行け。お前が逃げ出さないよう監視させておけと言われているのでな」


 嫌味ったらしく言うと、イクバールの補佐官はすたすたと歩き始める。ルムアを伴って椿が続くと、一行は裏口から太守府の外へと出た。


「……お前、薬師だったのか」


「いえ、どちらかというと薬を売るのが専門でしたが――学んだという意味では、はい。こちらで通用しそうなら、それを仕事にできればと思って」


「ふん。イクバール様に毒でも盛った日には城壁に吊るすからな。肝に銘じておけ」


「……失礼ですよ。仲間が開発した新しい薬を、病に苦しむ人たちへ届けるために働いてたんですから。人に害なすものを扱うと思われるのは心外です」


「…………」


 あんまりな言葉に負けじと言い返すと、じろりと睨まれた。サーリフは短くため息をつくと顔を前に向ける。


「……まあ、働こうと思い直した点だけは褒めてやる。いつまでもイクバール様の興味が続くとは限らんからな」




 離宮からほど近い大きな建物の中に入ると、サーリフは木の扉をノックした。返答を待つ間、椿はきょろきょろと周囲を見回す。


「ここは?」


「太守府が管理する医務院だ。ここの薬房の長にお前を預ける。市中にも他に薬師はいるが、何かあったときに面倒なのでな。例によって、お前の正体は伏せてある」


「……はい」


 早口で説明を受けると、扉が向こうから開いた。前を見た椿は、思ったよりも下から声を聞こえてきて目を瞬く。


「やあやあやあ、これはこれは。久し振りですのう、サーリフ殿」


「ウマル師。ご無沙汰しております。このたびは急な願いをお聞き入れいただき感謝いたします」


「なんのなんの。この老体が太守のお役に立てるなら何よりですじゃ」


 しゃがれた声を発していたのは、サーリフの3分の2ほどしか背丈のない腰の曲がった老人だった。綺麗な白髭をたくわえた老爺(ろうや)は、温厚そうなつぶらな瞳でサーリフに笑いかける。

 サーリフが腰をかがめて礼を取るのを見て、椿も慌てて膝を折った。……この人が、高名な薬師なのだろう。


「それで、ワシに任せたいというのはそこの小姓さんかのう? ……ふむ、細いが体は丈夫そうじゃな。薬師などより表に出る方が向いていそうな綺麗な顔じゃが」


「いえ、そうではなく――こちらの女性(にょしょう)です」


 ルムアが下がり、サーリフに紹介されると椿は丁寧に頭を下げた。

 仕事、しかも見習い身分ということでパリサに頼んで地味な服を用意してもらったが、それでもまだ椿の外見は貴婦人然としていた。TPOが甘かったと反省すると、ウマルと呼ばれた老薬師はパチパチと小さな目を瞬かせる。


「なんと。こちらの美しいお嬢さんじゃったか。はて、このような地味な仕事が務まりますかのう」


「はじめまして、ウマル先生。私は椿と申します。故郷では仲間が開発した新しい薬を世に広める仕事をしておりました。こちらの薬は故郷で見知っていたものとは違うかもしれませんが、新たに覚えて街の一助となりたいと思っております」


 もうお嬢さんという歳ではないことを自覚している椿は、礼節を持ってウマルに頭を下げた。ウマルは小さく息を吐くと、ひとまずはと椿たちを中に通す。


「すみませんが、私は執務があるためこれで。詳しくは太守からの書状をご覧ください。何か問題がありましたら太守府までお願いいたします」


「しかり。まあお預かりしてみましょう」


 サーリフがウマルに巻いた紙を手渡し、椿には無言で「問題を起こすなよ!」と鋭い一瞥をくれてから去っていく。

 ウマルに案内されて続きの部屋――作業部屋に移った椿は、懐かしい匂いにはっと目を見開いた。


(これ――知ってる。薬草園の匂いだ!)



 作業部屋には年若い者から中年まで、ウマルの弟子らしき人たちが何人もいて乾燥した薬草を管理したり、それをナイフや薬研(やげん)で細かくしたりしていた。

 窓際では、そうして加工された生薬を混ぜ合わせて調合している。


 わずかに渋いハーブの匂いは、学生時代に漢方薬学の教授に引率されて訪れた薬草園や、その加工工場で嗅いだ匂いと一緒だ。

 椿は作業の邪魔にならないよう調合する前の生薬を観察すると、その中で嗅ぎ慣れた香りに気付く。


「これ……葛根ですか?」


「カッコン? いや、それはプエリラという」


 ウマルが小さな目を瞬かせ、首を振る。聞き慣れぬ単語に椿は少し落胆するが、それでもやはり匂いに覚えがある。見た目も。


「プエリラ――。効能は、頚部や背筋のコリをほぐす……? あとは発汗を伴う呼吸困難感にも」


「さよう。……知っとるのか」


「はい。私の故郷とは呼び方が違いますが」


 他の生薬やその前段階の薬草に目を向けると、どこか見覚えのあるものがいくつか見える。椿は必死で記憶の彼方を探った。

 思い出せ、思い出せ……! 10年近く前に徹夜で叩き込んだ知識を今まさに総動員するときだ。


「これは……甘草(かんぞう)? 腹部のけいれんや痛みに効く――」


「リチキュラじゃな」


「じゃあこれは、大黄(だいおう)ですか。胸腹部の膨満や腹痛、乏尿に処方される」


「レーインヌ。……なんじゃ、お前さん本当に薬草の知識があるのじゃな。少し見聞きした程度で薬師ぶっている異国のお嬢さんかと思ったわ」


 ――通じた。分からないものも当然多々あるが、それでも元の世界と通じるものが、ここにもあった!


 感心した様子のウマルのうなずきに、椿は泣きそうになった。それをこらえて、スーツのポケットの奥に奇跡的に残っていた販促品の三色ボールペンを取り出すと、ざらついてはいるがこちらでは貴重な紙に小さな文字で対応する薬草名を書きつけていく。


「なんじゃ、その筆は。……面白いのう。お前さんの故郷のものか?」


「はい。大事なものなんです。この猫ちゃんが可愛いでしょう?」


 ボールペンの上にあしらわれた製薬会社のマスコットキャラを見せると、椿はそっと鼻をすすった。

 ――きっと、やっていける。生きる場所を強制的に変えられても、すべて失ったわけではなかった。取っ掛かりを見つけられた。


「……ふむ。まずは薬草の管理からと思うとったが、調合からの方が良さそうじゃな。身籠っているそうじゃし、力仕事よりは良かろう。――これ、マジュディ。薬草について教えてやってくれ。そこの綺麗な小姓の坊やは薬草の加工を手伝いなさい。力仕事はできるかの?」


「はい、問題ありません。自分は小姓ではなく護衛です。ルムアと呼び捨て下さい」


「分かった。ルムア、ここには主を危険に晒す者はいないぞ。そうピリピリせんでも良い」


 警戒を緩めないルムアを穏やかにあしらうと、ウマルは皺だらけの手をパンと叩いた。


「そろそろ患者が来るぞい。処方は間違んようにな。午後に向けて、在庫を増やしておくのじゃぞ」


「はい、師父(しふ)!」


 鶴の一声ならぬ老爺の一声に、室内にいた弟子たちがキビキビと動きはじめる。

 椿も寡黙そうな先輩――マジュディに並ぶと、新たな仕事へと対峙していった。




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