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異世界シンママ(仮) ~バリキャリ妊婦は熱砂の皇子の仮初め寵姫~  作者: 多摩ゆら
第一部

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15.対価


「……戻りましょうか。パリサとルムアに早く謝らないと」


「――待て」


 ふいに、手首を掴まれた。椿が見下ろすと、イクバールは己の行動に驚いたかのように少し目を見開いてその拘束を解く。


「なに?」


「あ、いや……報告はもう行っているはずだ。それより、お前に文字の師と薬師を紹介してやると言ったな」


「……ええ」


 まさか、やっぱりできないと言われるのだろうか。だったらどうしようか――椿が眉をひそめると、イクバールは彼本来の調子を取り戻したように薄く目を細める。


「俺はお前の願いを聞き入れる。ならばお前も……俺に何か対価をよこせ」


「えっ」


 先ほど対価など返さなくていいと言われたばかりなのに、急に手のひらを返された。椿は困惑しながらも譲歩を持ちかける。


「あの……だったら、少し待ってもらえない? 自活できるようになったら、少しずつ返すから――」


「違う、そうじゃない。誰が金をよこせと言った。お前が今払えて、俺が望むものを渡してもらおうか」


「……? なに?」


「体を許せ」


「はっ!?」


 真顔でさらりと告げられた言葉に椿はぎょっと目を見開いた。

 おりしも塔の上に二人きりで、叫んでも誰にも気付かれない。逃げようにも階段ですぐ追い付かれるだろう。

 助けてくれたと油断なんてするんじゃなかった。イクバールから距離を取ると、椿は鋭く叫ぶ。


「だから嫌だってば! この野獣! 野蛮人!」


「なんだと。……おい、誤解するな。誰が抱かせろと言った。孕んでる女を、しかも無理やり犯す趣味は俺にはない」


「……? だったらどういう――」


「体の一部に触れるのを許せ、という意味だ。首だけじゃ割に合わんからな。お前の願いを俺が一つ聞くごとに、箇所を増やしてもらおうか」


 まったく心外だとでも言うような顔で告げられ、椿はぽかんとその双眸を見返した。……意味が分からない。


「なんでそんなもの欲しがるの……?」


「お前に触れたいと思ったからだ。しかしお前の許可がなければもう手出しはせんと、前に言ってしまったんでな。それを俺から(たが)えるわけにはいかないから、こうして交換条件にした」


「……っ」


 ――触れたい、とストレートに言われて椿の頬に朱が上った。その反応を満足げに見つめ、イクバールが唇をつり上げる。


「触れる、って……さっきだって、勝手に抱き上げたじゃない。腕だって――」


「ああいうとっさの動きは勘定外だ。お前が許すことに意味がある」


 迷いなく告げられ、ますます困惑する。

 イクバールはこの街の太守で、国の皇子で、今は椿の庇護者で対外的には情人だ。そんな立場にいる人が、なぜ取るに足らない自分などの許しを得ようとするのか。


 無言を貫く椿に焦れたのか、イクバールは手を伸ばすと椿の顔の前で止める。大きな手が顎にかかりそうになり、その体温までもがほのかに伝わってきて椿を追い詰める。


「決まったか? ……唇か? それとも頬か。抱擁でもいいぞ。脚――はさすがに官能的に過ぎるか」


「……っ」


 告げられたそばから、まるでそこに触れられているような気分になり椿は赤い顔で後ずさる。

 ――逃げられない。絡め取られるような視線から目を逸らせないまま、かすれた声で答えた。


「手――。手なら」


「手? 一番手軽なところから来たな。……まあいいか」


 唇は駄目だ。一度は奪われたが、そこを許すとあとはもう最後の砦しか残されない気がする。

 抱擁も今さらという気がしたが、何も考えられなくなりそうな気がして――自分が馬鹿になりそうな気がして、うなずけなかった。


 一番ソフトと思われる部位を告げると、イクバールは不服そうな様子もなく椿の両手を取ってしげしげと見つめる。


「前から思っていたが、この爪はなんだ? 盛り上がって……根本は透明で水晶のようだな」


「それは、ネイル……。上から着けてるの。伸びてきたら、たぶん剥がれちゃうけど」


「ほう。美しいものだな。お前のこの手が薬草臭くなるのは少々残念だ」


 そうつぶやくと片手を下ろされ、椿はほっとした。こんなもので済むなら手を選んで正解だった――そう思った次の瞬間。

 おもむろに右手を持ち上げたイクバールが、その甲に口付けを落とした。柔らかく湿った感触にビクッと手が跳ねる。


「!?」


「……? なんだ、()つ国ではこう挨拶するんじゃないのか? 俺が外交で行ったときにはそう仕込まれたぞ」


「しっ、しない! 私の国ではしない!」


 真っ赤な顔で慌てて手を引き寄せると、イクバールはきょとんとしたあとに片目を細めた。意地の悪い笑みが唇に浮かぶ。


「それはそれは。手に口付けられたぐらいで真っ赤になるとは、お前もお前の過去の男も、大した経験はお持ちではなさそうだ」


「……!」


 ふっと鼻で笑われて絶句すると、イクバールは再び椿の手を取ってその体を抱き上げた。すっかり宵に変わった眼下の街を視界に閉じ込めると、彼は悠然と階段を下りはじめた。


「さて、いい加減帰るか。パリサが飯を用意して待っている。お前は叱られる覚悟を決めておくんだな」




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