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異世界シンママ(仮) ~バリキャリ妊婦は熱砂の皇子の仮初め寵姫~  作者: 多摩ゆら
第一部

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14.決別


 イクバールに手を取られ、椿は城壁の上で元来た道を少し引き返した。

 先ほど通り過ぎた塔の前で止まると、イクバールは腰から鍵を取り出して扉に下げられた錠前に差し込む。ガチリと音がして鍵が開くと、刺青が覗く腕まくりをした腕でその重そうな扉を開いた。


「入っていいの……?」


「誰に聞いている。俺は太守で皇子だぞ? ここに上れるのは今は俺の許可を受けた者だけだ」



 三方を砂漠に、背後を崖に囲まれたこの州都ジクラは周囲をほぼ正方形の城壁で囲われていた。その一角に城壁から内側に張り出すようにして、空へとそびえ立つ塔が建っている。


 塔といっても椿の知る日本のタワーとはまるで違い、四角い灯台のような形だ。

 城壁と同じく茶色いそれは高さ50メートルにも満たないだろうが、高層ビルのないこの街においては街中のどこからでも見えた。太守府と並んで街のシンボルと言ってもいいだろう。


 木でできた扉をくぐると、遥か上方へと階段が続いている。その果ての見えなさに椿がうっと躊躇すると、ふいに足元が浮き上がった。


「えっ。……っ!?」


 まるでそうするのが当然とでも言うように、イクバールが軽々と椿を抱き上げた。そのまま足を踏み出され、椿は声にならぬ声を上げる。


「ちょっと……! 下ろして!」


「なんだ。暴れるな、落ちたいのか? ……まさかお前、この段差を上れると思っていたんじゃないだろうな。身重でなくとも女にはなかなか厳しいぞ」


「だからって、急に――! ひえっ。やだっ!」


「ははは。なかなか()い悲鳴が出たな」


 イクバールが階段を上るのに合わせて体が揺れ、椿は思わずその首にしがみ付いた。――怖い。

 ムスクの香りがして慌てて体を離そうとするが、イクバールは逆に椿を抱え直す。少し体勢が安定して、椿は遠慮がちにその肩に手を添えた。


「もっとしっかり掴まってろ。逆に歩きにくい」


「……っ」


 指摘され、イクバールの顔を見られないままおずおずとその首に再び手を回す。イクバールが鼻で笑い、椿は猛烈に恥ずかしくなった。


 椿は日本人女性としては比較的長身な方だ。ヒールを履けば男性より身長が高くなることもざらにあり、抱き上げられるなんて生まれて初めてだった。

 そんな椿を苦もなく抱え、イクバールはしっかりとした足取りで階段を上っていく。


 顔が熱く、心臓がバクバクとうるさい。……ああ本当にうるさい。さっきまで帰れないことに絶望していたというのに、今はこんなことで心乱されるなんて!

 無言の道中は5分ほど続き、休憩も挟まずに最上階までたどり着くとイクバールはようやく椿を下ろした。



「風が強いからな。気を付けろ。……見ろ、ちょうどいい時間だ」


「……っ。あ――」


 ガコンと扉が開かれ、椿の目に飛び込んできたもの。それは、砂漠の果てへとまさに今沈まんとする太陽だった。壮大な光景に椿は声もなく目を見開く。

 砂の大地を濃いオレンジ色に染めて、最期の咆哮のように残照が城壁と街を照らす。横を見ると、風に髪をあおられたイクバールの顔も赤く染まっていた。


「どうだ。美しいだろう」


「…………ええ。すごい――。こんなの初めて見た……」


 目を細めて食い入るように沈む太陽を見つめていると、ふと視線を感じた。振り向くと、イクバールが同じように目を細めて椿を見つめている。

 バルコニーからなびく椿の長い髪を指に絡め、イクバールは小さく笑った。


「なに……?」


「いや? 美しいと思ってな」


「うん……それはもちろん。……あ、沈む――。沈むときは一瞬なのね」


「違う、お前だ。お前は赤が似合うな。苛烈で、熱を秘めた――。その心の内に、他にはどんな表情を宿している?」


「……?」


 不可解な言葉に怪訝に眉を寄せると、イクバールは髪を解放して肩をすくめた。


「鈍すぎるぞ。少しは照れてでも見せろ」


「え? ……あっ」


 残照ではなく自分のことを褒めたのだとようやく気付き、椿は戸惑う。イクバールは嘆息すると片目を歪めて笑った。


「俺は世辞は言わん。褒め言葉は素直に受け取れ。……さて、砂漠に沈む夕陽もいいが、こっちもまた格別だぞ」


 椿の肩を押し、イクバールは反対側のバルコニーへと進んだ。手すりの向こうの足元を示されておそるおそる覗き込むと、広がる光景に椿は吐息を漏らす。


「街が――。全部見える」


「ああ。これが俺の街だ。中央が太守府、あそこがスーク。足元が……星読みの館だな。ああ、ちょうど祈りの歌の時間だ」


 足元から反対側の城壁まで、塔からは街が一望できた。目を凝らすと、道を行き交う人の姿まで見える。

 陽が沈み、ゆっくりと宵に染まっていく街にポツリポツリとほのかな灯りがともっていく。耳を澄ますと雑踏のざわめきや子供の声、威勢のいいスークの呼び声が聞こえた。それから、足元から空へと広がる歌――祈りの声が。


 髪を風にあおられながらその光景を、イクバールが治める街の人たちの息遣いを見下ろしていると、椿の頬にツ……と涙が伝った。


「……おい」


「違うの。……ごめんなさい。絶望して出たんじゃないから」


 一筋だけの涙を軽くぬぐうと、椿はイクバールに向き合った。オレンジから藍に変わる空を背負った彼に小さく頭を下げる。


「訂正させてほしい。……あなたの街は、美しいのね。活気があって、人が温かくて――。何も見ようとせずに、失礼なことを言ったわ。……本当に申し訳ない」


「…………」


「私も……この街で生きていけるように、努力するから。ありがとう、素敵な景色を見せてくれて。――あっ!?」


「! おい……っ!」


 急にビュウと風が吹き、椿がまとったベールが宙に舞った。それを追って思わず手を伸ばすと、バランスを崩しそうになり強く腰を引かれる。

 イクバールの腕に抱きとめられた椿は、砂漠へと自由に舞っていくベールを見つめて伸ばした手をゆっくりと下ろした。


「ああー……貴重なベールが……。もったいないことしたわ……」


「……おい。この状況で言うことがそれか。お前、本当に危機意識を持った方がいいぞ。太守が管理する塔から墜落死とか、俺の統治を揺るがすつもりか。俺は傾城の寵姫を持った覚えはないんだが」


 呆れたような声が真上から響き、椿はその主を振り仰いだ。

 刺青の刻まれたたくましい腕が腹に回され、抱きとめられている。けれどそれは椿の自由を奪うものではないことを、椿はもう知ってしまった。

 イクバールの腕から抜け出すと、ベールが消えた砂塵の彼方を見つめて椿は笑う。


「……さよなら」



 そうして戻るべき世界と永遠に決別すると、仮初めの寵姫はその情人へと寂しげな笑みを向けた。




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