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異世界シンママ(仮) ~バリキャリ妊婦は熱砂の皇子の仮初め寵姫~  作者: 多摩ゆら
第一部

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13.奈落の城壁


 イクバールについて高い階段を上りきると、開けた空のまぶしさに椿は目を細めた。やがてその明るさに慣れてくると、城壁の端に寄り――外の世界を見て愕然とした。


「砂漠……」


「ああ。どこまでも続く――な。次の街まで、馬かラクダでも半日はかかる。ここは交通の要所だが、元は果てなき砂漠にできた小さなオアシスでしかなかった。そこから地下水路を引いて砂地を開拓して、ここまでの大きさの街になったんだ」


「…………」


 陽が傾きはじめた空の下は、どこまでも延々と続く赤茶けた砂の大地だった。

 次の街でも馬で半日だなんて、乗馬に慣れていない、しかも妊婦の自分が耐えられるはずもなかった。


 城壁の上には見張りの衛士が等間隔にポツポツと立っているのが見える。思いのほか近くにあの空へとそびえる塔が建っていて、その先は角でまた別の方角へと続いていた。椿は呆然とそちらを指し示す。


「あっちも砂漠……?」


「行ってみろ。見れば分かる」


 風に煽られながらとぼとぼと角に向かって歩くと、イクバールが歩調を合わせてついてくる。

 塔を通り過ぎて5分ほどするとようやく角にたどり着き、その城壁の先を見て椿はへたり込んだ。


「……っ。……崖……」


「ああ。三方を永遠の砂漠、背を崖に囲まれた天然の要塞だ。谷は深くて下りることもできん。……満足したか? これがお前の見たかった、この街の真実だ」


「…………」


 城壁の上に膝をついた椿は、完全に打ちのめされていた。

 逃げる場のない街、戻ることはできぬと宣告されてしまった運命。先ほどの短剣が本当に胸に突き立てられたかのように、これまでの当たり前が粉々に打ち砕かれていく。


「なんで――」


「うん……?」


「なんで、こんな世界に……! なんで私が……っ! こんな暑くて、不便で、文字も分からない、知る人もいない街に――! ふっ……、うああ……っ!」


 へたり込んだ椿の目から涙があふれた。

 突然知らない世界に飛ばされた不安。自分一人の体ではないのに安心もできない環境。職も住まいも失い、この先の生き方が根幹から揺らぐ絶望。そして生まれて初めて向けられた殺意。


 わけの分からぬ状況に対する怒りで今まで覆い隠されていたものが、不安と絶望が一気に噴き出し、椿は子供のように声を上げてむせび泣いた。そんな椿に頭上から平坦な声が降ってくる。


「こんな国とは、言ってくれるな。俺の先祖やその同胞たちが、不毛の砂漠から血の滲むような思いをして築き上げてきた街に対してすいぶんな言いようだ。……一体、何が不満だ? お前には仮初めではあるが愛妾として何不自由ない生活を与えてやっている。なぜお前は自らの境遇を受け入れようとしない?」


「……ッ! そんなの私には関係ない! 私が望んだわけじゃないのに! どうしてこんな場所に――。…………帰りたい……」


 しゃくり上げる椿を怒鳴るでもなく慰めるでもなく、イクバールはただ淡々と見下ろした。小さく息を吐くと、冷ややかな声で続ける。


「はあ……。なんで、どうしてとうるさい女だ。……お前の言うように、たしかに不便な環境だが俺も民たちも望んでここに生まれたわけではない。それでも必死で生きている。少しでも良い暮らしを、己にそして妻や子に与えるためにだ。……お前が食った飯も今着てる衣服も、その必死に生きる民たちが作ったものだ。この街のみならず、俺の民をまで馬鹿にするなら許さんぞ」


「……っ」


 誇り高い為政者の目で冷たく見下ろされ、椿は恐怖に固まった。言い返すこともできず、座り込んだまま涙を流し続けるとイクバールはふいに鼻で笑った。


「とんだ買いかぶりだった。お前が美しいのはその外見(そとみ)だけだな。『なぜ自分が』、『望んでもないのに』――被害者面だけは一人前で、自分のことは顧みない。なんと薄っぺらで空虚な自尊心か」


「…………。なんですって……」


 せせら笑うような響きに椿はゆらりと顔を上げた。

 目は充血し、涙の筋もあらわで決して人に見せたくない、見せたこともないみっともない顔だったが、人格を全否定されるような言葉にチリ、と心の奥底に火が灯る。

 そんな椿を覗き込むように、イクバールは腰をかがめると唇を歪ませてさらにたたみかける。


「みっともない泣き顔だな。思っていたより数倍早く、お前の澄ました顔が歪むのを見られた。自尊心ばかり高いその鼻っ柱がへし折られた今の気分はどうだ? ん?」


「……! 嫌な男! 最低……!」


 カッと炎が燃え上がり、叩きつけるように言うとイクバールは何が面白いのか目を細めた。

 一言だけ反撃したが、続けられる言葉がなく唇を噛むと椿は再び項垂れる。




 城壁の上を、沈みはじめた西日が容赦なく照らしていく。ぬるい風が衣を揺らし、椿がすすり泣く声と風の音だけが周囲を満たした。

 イクバールはしばらく椿のか細い背中を見下ろしていたが、いつまでも無駄に待っているわけにもいかない。


(本当に期待外れだったな。十分な支度金でも手渡して、離宮から出してやるか――)


「……身投げなぞ考えるなよ。回収する衛士たちが不憫だ。やるなら崖に向かってやってくれ」


「……自殺なんて……しない。この子のことまで殺すことになるもの。ただでさえ無事に産まれてこられるかも分からないのに、母親に殺されるんじゃそんなのあんまりだわ……」


「そうか。それなら結構」


 うつむきながら答えた女に小さくため息をついて手を差し出すも、椿は首を振ってそれを拒んだ。

 舌打ちして無理やりその手を掴もうとすると、それよりも早く椿はゆっくりと一人で立ち上がった。――自らの足で。


「……っ」


 グスグスとまだしゃくり上げながらも衣と髪を整え、顔をぬぐう。椿は気を落ち着かせるように長く息を吐き出すと、ゆっくりとイクバールを見上げた。

 その、涙に濡れた――しかし自分をまっすぐに見つめる瞳の力強さ。


「……お願いがあります。もう少しだけ――あの離宮に、住まわせてください」


「ん……?」


「それから文字を教えてくれる先生と、薬剤師――薬を専門に扱う人を、いなければ医者を、紹介していただけませんか。厚かましい願いですが、仕事を得るにはそれが一番の近道なので――。生活が落ち着いたら、それまでに掛けていただいた対価は必ずお返ししますので。……お願いします」


 言葉遣いを改めて、椿が頭を下げる。イクバールは呆気に取られながらもその言葉を反芻する。


「……お前、薬師(くすし)だったのか?」


「薬師――。いえ、その勉学を修めましたが、仕事にはしていませんでした。でも、活かせる知識はきっとあるから。……私がここで生きていくには、この道しかないんです」


 椿がイクバールを見上げる。涙に濡れながらも、その目は未来を見据えていた。この国で生きていくという未来を。


「分かった。すぐ用意してやろう。……対価なぞ返さんで構わん。俺はそんなにケチな性格ではないのでな。その代わり――その格式ばった言葉遣いをやめろ。『嫌な男』と言い放った唇で言われると気持ち悪い」


「……っ。……すみません」


 失言を詫びて椿が気まずそうに視線を逸らす。

 ……いい傾向だ。発破をかけるためにあえてこの女を貶める言葉を選んだが、イクバールの思惑通り、ちゃんと奮い立った。自らの考えと意志を持って。


「この国で生きる覚悟を固めたんだな? もう不満はないのか」


「まさか。まだ不満だらけよ。そんなに簡単に消えるわけがない。でも……どこにも帰れないなら、ここで生きるしかないじゃない。だったらあなたの言う、より良い生活を目指してできることはやろうって決めただけよ」


「ほう。いい心掛けだな」


「どうも。……ご温情、ありがたく頂戴いたします」


 もう一度椿が頭を下げ、顔を上げた。その目はもう濡れてはいなかった。

 暮れていく太陽に照らされて、椿がまとった真紅の衣が燃えるような鮮やかさで揺らめく。地味なベールが風で煽られて舞い上がり、あたかも西国の戦士のようになびいた。


 強い眼差しで前を向いた黒髪の女に、イクバールは満足げに笑いかけた。


「いい目だ。ようやく人間らしい顔が見られたな。……ついてこい。城壁まで来たついでに、いいものを見せてやろう」




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