12.星の言葉
「えっ……。イクバール!?」
「貴様! その女から離れろ!!」
「……っ!」
聞き覚えのある低い声に椿が振り向いた瞬間、ものすごい勢いでイクバールが階段を駆け上がってきた。
勢いを保ったまま踊り場までたどり着くと、椿の腰を掴んで乱暴に引き寄せる。そしてもう片方の腕で、彼はザラムの腕をひねり上げた。
「ぐっ!」
「いった……!」
「言え! 何をしようとしていた!」
左腕に椿を抱えたままイクバールが叫ぶ。その剣幕に椿がたじろぐと、腕を掴まれたザラムが苦痛の表情で手から何かを取り落とした。
ガシャンと音を立てて落ちたそれは、鈍く光る短剣だった。
「えっ……」
「大神官ザラムよ。誰の許しを得て、このような暴挙に及んだ!?」
「…………」
イクバールの強い腕の中で、椿は呆然とその短剣とザラムの顔を見比べた。この剣で――殺されるところ、だった?
イクバールに手を離されたザラムが、険しい顔でこの街の太守を睨みつける。
「言え。星読みの館には我ら皇家や太守府とは独立した権限を与えてはいるが、このような勝手まで許した覚えはないぞ」
椿を抱えながら、イクバールは初めて見る冷たい瞳でザラムを追及する。支配者だけが持つ圧倒的な上からの圧に、ザラムはそれでも敢然と立ち向かった。
「……星が。星が告げておりまする。儂は申したはずです。そのおなごは『禍つ者』となりうると。いずれこの国に来るやもしれぬ災厄を、あらかじめ取り除くのも星を読みし我らの――大神官である儂の役目。私心など一切ございませぬ。すべてはこの国のために行いしこと!」
「そうか。だが、『来るやもしれぬ』の仮定で俺の客人に――この国に迷い込みし異界からの来訪者に手を出すことは、たとえ大神官のお前であろうと許さんぞ。俺に弓引く行為と心得よ」
「そのおなごが、いずれあなた様に災いをもたらすかもしれないとしてもですか。……星の道は閉ざされ、もう元の異界にも戻れぬ身。ここで生かせば、その可能性は今後もあなた様に付きまといますぞ」
「こいつが本当に災いを運んでくると言うなら、それを予見できなかった俺が愚かということだ。そんな愚かな皇子ならば自滅して、次の皇帝になぞならない方が民も救われるだろうよ」
にや、と犬歯を見せて笑いイクバールが椿を抱く腕に力を込める。ザラムはそんなイクバールと、その腕の中で困惑する椿を見据え、すっと小さく頭を下げた。
「……しからば、儂からはもう何も申しますまい。これまでの役目をまっとうさせていただきまする」
「ああ。私心なきお前のこれまでの働きには感謝している。この件は忘れてやるから今後とも励め」
「……御意」
短剣を拾い上げ、ザラムがゆっくりと階段を下っていく。圧倒されたようなお供の神官たちと共にその姿が見えなくなると、階段の踊り場で椿はイクバールの腕から解き放たれた。すると、頭の上から本気の怒声が降ってくる。
「この……馬鹿が! 星読みの館はお前を『禍つ者』扱いした奴らだと説明しただろうが! 何をのこのこ付いていっている!! 殺されるところだったのだぞ!?」
「……っ」
「そもそも、なぜ一人で抜け出した!? 族にでもかどわかされたのかと、パリサとルムアが蒼白になっていたぞ! ルムアの機転で、星読みの館関連の施設に向かったのではないかと言われて探してみれば、刺される寸前で! そうでなくとも、ここから全力で押されでもしたら証拠も残らぬ転落死だ! お前は馬鹿か!? 自分がどれだけ危ない橋を渡ったか気付いてないのか!」
低く吐き捨てるような本気の叱責に、椿は怯えた。その言葉の一つ一つすべてが図星で反論の余地もなく、椿は無言で項垂れる。
しばらくして出てきたのは、絞り出すような自責の念だった。
「……ごめんなさい。浅はかな行動だった」
「…………、ちっ。もういい」
苛立ちを紛らわすようにイクバールが舌打ちする。彼は深く長いため息を吐くと、静かな声で問いかけた。
「……なぜ、こんなところにいた。星読みの館の奴らと話をしたかったのか?」
「え? いえ……。ただ、高いところから街の外を見てみたくて。そうしたら、たまたまあの人たちに止められて――」
「誰か外部の者が階段を上ろうとしたら、気付くようになっている。……なぜ外など見たいんだ? この街から逃げ出すつもりか」
「それは――」
また図星を突かれて椿が言いよどむと、イクバールは短く嘆息しておもむろに階段を上りはじめた。踊り場で立ち尽くす椿を見下ろし、金の目で低く告げる。
「ついてこい。街の外を見たいんだろう? ……現実を見せてやる」




