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異世界シンママ(仮) ~バリキャリ妊婦は熱砂の皇子の仮初め寵姫~  作者: 多摩ゆら
第一部

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11.大神官


(……無理。無理無理無理。やっぱり無理っ!)


 椿が異世界の帝国クファールに転移してしまってから五日が過ぎた。

 その間、椿はこちらの文化を知ろうと努力したり、街に出て文明レベルを詳しく観察したりしてきたが、知れば知るほどこの世界で出産と子育てをしていくのは到底無理なように思えてきた。


 水は清潔なものがオアシスから地下水路で引かれているし、トイレもまあ我慢できないレベルではない。何より今の環境では生活全般を手伝ってくれるパリサたちがいるため、その点で困ることはほぼない。

 それでも、自分にとってかなり大きな比重を占める医療の面では不安が尽きなかった。


 椿は薬学部の出身だ。薬剤師の資格を持ちつつも収入面を求めて製薬会社に就職したため医療現場で働いた経験はないが、それでも一般の人よりはよほど知識はあると自負している。

 その自分から見ると、この国の医療水準や薬のバリエーションは非常事態を考えると、それこそ非常に心もとなかった。


(抗生物質は? 子供が無事に生まれたとしてもワクチンは? 輸血は!? 出血多量だったら死ぬの? 漢方……ってか生薬中心のラインナップなんて不安しかない)


 文字が読めないからこの街にある薬を把握することもできないし、命に関わる事態になったら完全に積む。

 それがこの世界の(ことわり)なのかもしれないが、それを受け入れることは今の椿にはまだできそうもなかった。


(もっと西洋的な国に――。いや、せめて帝都とやらまで行ければ。この街よりは医療も発展してるかも)


 イクバールも忙しいようで、初日の夜に来て少し話して以降、顔も合わせていない。それもあって椿は焦っていた。

 彼が椿への興味を失ったら、一瞬にして今の環境から追いやられるかもしれない。そんな足元の不安定さに、とにかくこの街から脱出したいという気持ちが大きくなっていた。


(せめて、街の周囲の状況が分かれば。お腹が大きくなって上れなくなる前に、高い建物に――そう、塔は無理でも、あの城壁に上るぐらいなら……)


 良くしてくれるパリサやルムアには悪いが、ちょっと偵察に行くだけだ。逃げるわけじゃない。

 そう自分に言い訳して、「午後は自室で休みたい」と二人に断ると、ルムアたちの目が離れた瞬間を狙って椿は目立たぬ裏門から街へと抜け出した。




「急がないと――」


 どこか後ろめたい気持ちを抱えながら、まだ陽も高い雑踏に紛れる。今着ている美しい刺繍が施された服では上質すぎて目立ってしまうため、与えられた中では最も地味なベールをまとって椿は足早に、日干しレンガの茶色い城壁へと向かった。


(ヨーロッパの城壁にだって一般の人が上れる階段があった。どこか、上れそうなところは――)


 街を四角く囲む城壁は小さな家程度の厚みがあり、壁というよりは長屋のようだった。3階建てほどの高さのその中は住宅や店舗になっているところが多く、椿はキョロキョロと階段を探す。

 すると店舗でも住居でもないような一角に、上へと続く広い階段の入り口があった。周囲に人影はなく、椿はゆっくりとその段を上りはじめる。


 長い段を上りきり、最初の踊り場に差し掛かろうというその時――



「――止まりなさい! 何者ですか?」


「!」


 突然背後から呼び止められ、はっと振り返った。見下ろすと、揃いのローブをまとった男女二人組が鋭い目で椿を見上げている。


「ここは星読みの館の管理区域です。誰の許可を得て立ち入っていますか!?」


「えっ。いえ――」


「ここに立ち入り禁止と書いてあるでしょう! すぐに下りなさい」


 厳しい声で告げた女性の方が、上り口付近にある石版を示す。椿が素直に下りていくと、たしかに絵と共に何か書いてあるが、椿にはそれを理解することができなかった。


「すみません、気が付きませんでした。字も読めなくて……」


「そういう方にも分かるように絵でも描いてあるのです。城壁は許可を受けた者以外は立ち入り禁止ですよ」


 怒りを収めたらしい女性が表情なく淡々と椿を諭す。街の人たちとも太守府の役人たちとも異なる独特な圧に椿は素直にうなずいた。


(この人たち――星読みの館の人? 質問、とか……できそうな雰囲気じゃないな)


「まあまあ。そう追い詰めるでない」


「……?」


 無言で椿を警戒していた男性の背後から、しゃがれた声がした。ちょこんと、小柄な老人――おそらくは老爺(ろうや)が姿を現し、前にいた男性が慌てる。


「大神官様。前に出られては――」


「なんじゃ。武器を持っているわけでもないおなご相手に大げさな。……ん? おぬし――」


「……?」


 椿の肩ぐらいまでしかない小柄な老爺が皺だらけの目を細める。それをはっと見開くと、次の瞬間に底知れぬ光をたたえた。


「……おぬし、異界より()し迷い人じゃな?」


「……っ。分かるのですか」


「なっ――。では、彼女が『禍つ者』……!」


 無言で正体を見破った老爺に椿は驚きの声を、そして同行の男女は不審と警戒の声を上げた。ざっと老爺を守るように立ちはだかった二人を、彼は再度引き下がらせる。


「下がりゃ。おびえさせるでない。……(ワシ)は星読みの館の主で、ザラムと申す。こやつらは部下の神官よ。さて、異界の迷い人よ。なにゆえこのような場所に一人で? そなたの身は太守の預かりになったと報告を受けたが」


「あ……。その、街の外の様子を知りたくて――。上れそうな高い建物が、あの塔を除けば城壁ぐらいしかなかったので」


「なるほど」


 静かな圧に押され、椿が素直に言うと老爺――大神官ザラムは顎にたくわえた白い髭を撫でた。椿をじっと見上げると、ザラムはくるりと背を向ける。


「良かろう。ついて参れ。積もる話もありそうじゃしな。……ああ、お前たちはそこで待っていろ」


「大神官様! せめて我らを護衛に――!」


「少し城壁で話をするだけだ。外を見れば気も済むじゃろう」


 ひらひらと手を振ってお供の神官たちを下がらせると、大神官は椿が下りてきた階段を上りはじめる。それに椿が続くと、はるか上にある踊り場でザラムが振り返った。椿が追いつくのを待ってくれている。


(……なんだ。「禍つ者」って言い出したのは星読みの館だって聞いたけど――そんなに敵視はされてない、っぽい? イクバールが大げさに言うから――)


「はよう()りゃれ。はよう」


「あっ、はい……!」


(なんだ、これだったら帰る方法も聞けるかも……!)


 期待が膨らみ、足取りも軽くなる。その段差を上りきり、大神官に手が届こうかというところでギラリと何かがザラムの手元で光った。

 その瞬間、階下から響いた鋭い声に椿ははっと足を止めた。


「――ツバキ!!」




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