9.鷹の目の皇子
「おお、皇子よ……! 『禍つ者』の正体はいかがでしたか!?」
「イクバール殿下、はよう彼の者をこのジクラから追放なされませ……!」
「…………」
内宮にある青の離宮から外宮――政務の場まで戻ってくると、出迎えたやかましい老人たちにイクバールは冷ややかな一瞥をくれた。
朝議の場には入れない彼らは、官職を退いた老人たちで構成される長老会と呼ばれている。首長のみならず皇子や皇帝に対しても、第三者的な視点から意見を述べる立場にあるが、イクバールにとっては過去の栄光にすがるだけの煩わしい者たちでしかなかった。
前任の太守とべったり共依存していた彼らを切り捨てるのは実は簡単だが、たまには帝都の老獪な大臣たちや父である皇帝からの追及の盾に予期せずなってくれることもあるので、生かさず殺さずでこの太守府に置いている。
そんな彼らは前時代的に迷信深くもあり、星読みの館から突如として告げられた「禍つ者」の話に震え上がっていた。
「朝から元気だな、ご老人方。『禍つ者』の噂、そのよく聞こえん遠い耳にもさっそく入っているようだが、なに、案ずることはない。この俺が直々に見届けてきた」
「そ、それはどういう――」
「うん? ――ひん剥いて、隅々まで検分してきたさ。呪いの痣も何もない、真っ白で美しい肌だったぞ。ただの女だ」
手振りで暗に「己がものにした」と示すと、老人たちからホウ……と安堵の声が漏れた。
最低な爺どもだ。しかしその中でも、まだ疑り深い爺が渋面で訴える。
「嫌疑が晴れたとしても、万が一ということもあるやもしれませぬ。早急に、この国から――いいえ、せめてこの街から叩き出すべきです」
「それは断る。行く当てもない、か弱き女だ。ちょうど気が向いたのでな――俺が直接、囲うことにした」
「なっ……!? そのような得体の知れない女、帝都のお父上に知られたらなんと言われるか……!」
イクバールの言葉に老人たちの顔色がさっと変わった。目論見の破綻を隠せてもいないその様に、イクバールは小さく笑う。
「ようやく寵姫を持ったか、と褒められることだろうよ。父上にも大臣どもにも、ずいぶんとせっつかれていたからなあ。お前たちの息がかかった深窓のご令嬢たちは毛嫌いしそうな女だがな」
「……!」
今から他の女を送り込んできても受け取らないぞ――そう言外にほのめかすと、老人たちの皺だらけの顔が軽く引きつった。それを抑え込み、わざとらしい笑みを浮かべた老爺が揉み手で続ける。
「しかし、寵姫がたったお一方というのも少々心もとない――。何よりお世継ぎがまだお生まれではありません。ここは一つ、他の女も検討してみては――」
「俺がその女に飽きたらな。……『禍つ者』が恐ろしいのだろう? ならば俺が直々に動向を監視していた方が良かろう。運が悪ければ、俺にその災いが降りかかるやもしれんしな。そうすれば、新しい太守が立ちお前たちもやりやすくなるかもしれんぞ」
フッと笑って老人たちとの会話を切り上げると、悔しげな彼らを置いてイクバールは扉をくぐった。そこには無言でサーリフが待機している。
「なんだ、盗み聞きか?」
「朝議に遅れそうなのでお迎えに上がったまでです。……老い先短い者たちにわざわざ喧嘩を売ることもないでしょうに」
「少し釘を刺しただけだ」
「そうですか。……しかし、良いのですか? あの者がイクバール様のお手付きになったことが、すでに諸官にも知れ渡っておりますが。帝都の陛下のお耳に入るのも時間の問題と思われます」
広間へと続く回廊でサーリフが声をひそめて耳打ちする。足を進めながら、イクバールは表情も変えずにうなずいた。
「別に構わん。そのつもりで招いたことだ。ただし、こちらからの情報は噂程度にとどめておけ。はっきりしないでおいた方が後々の処理も楽だろうしな」
「では、子供のことはいかがするのですか? あなた様の御子でないことは出産すればおのずと分かりますが、今公表しても時期が合わないとまた追及されます。どのようにお考えなのですか」
眉をひそめて問われ、イクバールは立ち止まった。椿にはああ言ったが――面倒事など少ないに越したことはない。
「ならば、そちらは隠しておけば良かろう。どうせツバキの顔を知る者も他にいないんだ。いずれは市井に紛れさせてやれば良い。お前の方で上手いこと処理しろ」
そう答えると、サーリフは途端に苦虫を噛みつぶしたような顔になった。大きなため息をつくと苛立たしげに口を開く。
「そんな適当な――。あなた、実は深く考えずに始めたでしょう!? 面倒事は全部私に押し付けて――ああそうだ、そういう方でしたよあなたは!」
「信用しているんでな、義兄上を」
二ッと笑いながら言ってやると、サーリフは眉を寄せてものすごく嫌そうな顔をした。
このサーリフ、自分より2歳上ではあるが、イクバールの乳母の子で実の兄弟のように共に育ってきた仲だった。軍事面での右腕はまた別にいるが、政務の面では最も頼りにしている相棒でもある。
再び歩みを進めるとイクバールは傍らの義兄弟に話しかける。
「――ああ、そういえばツバキはお前と同い年だそうだ。年増と言ったらパリサに怒られた」
「当たり前ですよ。私も、私の妻がそのように言われたら怒ります」
「お前、意外なほど愛妻家だものな。俺より先にお前が結婚したときは驚いたものだが」
「他の男に取られたくなかっただけですよ。……そんなにあの女が気に入ったのですか?」
「うん?」
足を進めながらの問いかけにイクバールは振り向いた。サーリフは探るように薄い色の瞳でイクバールを見据える。
「『禍つ者』かもしれないということを差し引いても――他の男の子供を身ごもっている、そう若くもない女です。どこにあなたが気に入る要素が? 長老会の息のかかっている娘以外にも、女なら他にもいくらでもいるでしょうに――」
全身全霊で「やめておけ」と言いたげな自らの右腕に、イクバールはふっと鼻で笑う。
「生意気なところが気に入ったから、かな。少し変わった毛色の、その毛を逆立てている猫を面白いと思っただけだ」
「酔狂で愛妾を決めるのはおやめ下さい。ではあなたは、あれが以前おっしゃっていた『理想の女』だと言うのですか?」
昔、酔っぱらってうっかり話してしまった「正妃に求める条件」を持ち出され、イクバールは鼻を鳴らす。
……酒の席でのことをよく覚えているものだ。さすが自分の懐刀と言われるだけのことはある。
「馬鹿を言え。俺はあいつのことをまだ何一つ知らんし、今のところキャンキャン突っかかってくるばかりの少しばかり美しい女でしかない。俺の理想は、厄介なしがらみがなく、自分で立てる力を持った賢く美しい女なのでな。そんな女はそうそういるものではないさ」
「あの女ではなく?」
「無論。そう簡単に会えるとも思っていない。俺を強く惹きつけ、俺の方から『結婚してくれ』と懇願するような、いずれ皇帝の隣に立つのにふさわしい女でなくばいかん」
「はあ……。壮大で星を掴むような話ですね。陛下がしびれを切らす前に、それなりの女で妥協した方が余計な労力を取られずに済むと思いますよ」
年下の主が、突然現れた得体も知れない不吉な女に心酔しているわけではないと分かり、サーリフの頬にわずかな安堵が浮かぶ。イクバールは歩みを速めると金の目に野心的な光を浮かべた。
「だが、外つ国から来たあいつの話には興味がある。使えそうな知識は搾り取ってやるまでよ」
そうしてこの国の皇子であるイクバール・サクル・シャムスは、腹心の部下たちが待つ朝議の場へと足を踏み入れた。




