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【第6話】

 ソクラテスは言った。「無知の知」こそが真の知恵への第一歩である、と。

 だが、現代魔術という「論理ロジックで塗り固められたファンタジー」が支配するこの世界において、無知とは知恵の種などではなく、単なる「システム上の致命的な脆弱性」でしかない。

 そして僕は今、その脆弱性をこれでもかと晒し出しながら、学年首席という名の最強のデバッガーによって、文字通り「再起動リブート」されようとしていた。

「——いい? 夜行くん。もう一度だけ説明するわよ。耳の穴から脳漿が漏れるくらい、集中して聞きなさい」

 放課後の第一図書室。

 周囲には「浮遊型静音ブックシェルフ」が規則正しく巡回し、古書とオゾンの香りが混ざり合う、この学校で最も知的な空間。

 その一角で、八代ルイはマナフォンのホログラムディスプレイを空中に何枚も展開し、複雑怪奇な数式をポインターで指し示していた。

「そもそも魔力マナとは、大気中に偏在するエーテルを、個人の持つ『魔術刻印』というインターフェースを介して、物理現象へと変換コンパイルする際のエネルギー源を指すの。あなたのマナフォンに表示されている『保有量C』っていうのは、その変換効率が極めて平均的……つまり、何の工夫も捻りもない、出力1に対して入力1しか返せない、面白みのない凡人のスペックだってこと」

「……耳が痛い。物理的な意味じゃなくて、精神的な鼓膜が破れそうだ」

 僕は机に突っ伏しながら、目の前で踊る幾何学的な数式を眺めた。

 前世で学んだ物理学の常識が、魔術という名の「バグ」によって書き換えられていく。

 例えば、この世界において「火を出す」という行為は、ライターで可燃物に火をつけることではない。大気中の分子の振動係数を強制的に書き換え、エネルギー保存の法則に「魔力」という賄賂を渡して、無理やり局所的な熱を発生させる、極めて強引なハッキング行為なのだ。

「で、問題はあなたの『術式構築コード・ライティング』能力よ」

 八代ルイは、僕の拙い「エコ・ロジカルな一撃(笑)」のログを画面に引き出した。

「昼間のあれ、マニュアルモードの補助アプリを使ったのは判断としては悪くないわ。でも、詠唱パス・コードが酷すぎる。『いでよ炎』? 『我が敵を穿つ紅蓮の牙となれ』? ……ねえ、これ、どこのレトロゲームのパクリ?」

「……パクリじゃない。伝統へのリスペクトだ。あるいは、人類が数千年にわたって積み上げてきた『火に対する畏怖』を言語化した、叙情的なメタファーと言い換えてもいい」

「そういう中身のない屁理屈を『詭弁きべん』って言うのよ。魔術詠唱っていうのはね、脳内の演算領域に、特定の現象を固定するための『アンカー』として機能させるものなの。あなたのその恥ずかしいポエムには、演算の最適化に必要なパラメータが一つも含まれていない。だからあんな、お年寄りの散歩みたいな速度の火球しか出ないのよ」

 八代ルイはため息をつき、僕のマナフォンを指先で操作した。

「……書き換えておいたわ。次からは、マニュアルモードの入力欄に【θ=0.5, P-Ref:22.4】って打ち込んで。それが、あなたの現在の魔力出力で最も効率よく標的に着弾させるための最短コードよ」

「……何それ。呪文ですらない、ただの関数ファンクションじゃないか。情緒もへったくれもない」

「魔術に情緒を求めるなんて、洗濯機に哲学を求めるくらい無意味よ。正確に洗い上がればいい、正確に標的が砕ければいい。それが現代魔術の正解。……さあ、講義は終わり。約束通り、次は私の『オリジナル術式』の検証に付き合ってもらうわよ」

 八代ルイの瞳に、獲物を見つけた肉食獣のような怪しい光が宿った。

 僕は嫌な予感しかせず、椅子を引いて後退りしようとしたが、彼女の手が素早く僕の制服の襟を掴んだ。

「大丈夫よ。死にはしないから。たぶん、精神的な負荷が一時的に増大して、一晩中『自分の黒歴史を大音量で朗読される幻聴』に悩まされる程度で済むはずよ」

「……それを世間では『死より辛い罰』と呼ぶんだよ、八代さん。今すぐ帰らせてほしい。僕は今、人生で初めて、勉強よりも散歩の方が高尚な行為だと確信した」

「問答無用。……さあ、接続コネクトしなさい。あなたのその、真っ白で、空っぽで、何の防御壁ファイアウォールも張られていない、無防備な演算領域を……私に開放するのよ」

「言い方が! 言い方がエロティックかつ暴力的なんだよ君は!」

 図書室の片隅で、僕の悲鳴と、彼女の冷酷なコード入力の音が響き渡る。

 非日常を回避するための土下座の代償は、僕が想像していたよりも遥かに高く、そして精神的に削られるものだった。

 僕の異世界サバイバルは、どうやら「勉強不足」による死ではなく、「過剰な学習」による精神崩壊との戦いへと、そのフェーズを移行させたらしい。

 

 ……窓の外では、魔力で輝く街の灯りが、僕の絶望を嘲笑うように美しく瞬いていた。

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