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【第5話】

矜持プライド」という概念は、人間が社会生活を営む上で、時に百害あって一利なしのデバフとして機能する。

 特に「自分が無知であること」を隠蔽するためのプライドは最悪だ。それは致命的なバグを放置したままシステムを運用し続けるようなものであり、いずれ必ず、取り返しのつかない破滅クラッシュを招く。

 前世で幾度となく「知ったかぶり」をしては恥を繰り返してきた僕の、血と涙の教訓である。

 だからこそ、僕は決断した。

 見栄だの、体裁だの、モブとしての平穏な立ち位置だの、そんな不確定な未来への投資は全て損切りする。今この瞬間、生き延びるためだけの最適解を、最も摩擦係数の低い方法で選択するのだ。

 放課後。

 夕日に染まる誰もいない教室で、僕は帰り支度をしていた八代ルイの机の前に立ち塞がった。

「ちょっと。どいてくれない? 私はこれから『量子エーテル力学』の補習チュートリアルを受けに行かなきゃいけないんだけど」

 相変わらず、亜麻色の髪を揺らしながら冷ややかな視線を送ってくる八代ルイ。

 その氷点下の瞳を真っ向から受け止めながら、僕はゆっくりと、流れるような美しい動作で——両膝を床についた。

「……は?」

「助けてください。何もわかりません」

 額を床に擦り付けんばかりの、完璧なフォームの土下座。

 声のトーンは、道端で捨てられている子猫よりも哀れに、そして切実に。

「……あなた、何やってるの?」

「見ての通り、極めて物理的かつ伝統的な、服従と懇願のポーズだ。現代魔術の粋を集めたこの第一魔術科高校において、僕という存在はバグだ。異物だ。エラーコード404だ。君のその卓越した頭脳と慈悲深い心で、僕を1から……いや、マイナス100から再インストールしてほしい」

 僕が顔を上げずに一息でまくしたてると、頭上から「はぁぁぁぁぁ……?」という、心底呆れ果てたような長いため息が降ってきた。

「昼間の実技試験で『持続可能なエコ魔術』だの『小宇宙コスモとの対話』だの、偉そうに御託を並べていた男の末路がこれ? 冗談でしょう。立ちなさいよ、気持ち悪い」

「立たない。君が頷くまで、僕はここから一歩も動かない。必要とあらば、このまま床に根を張り、光合成で生きる植物にクラスチェンジしても構わない」

「勝手に植物化してなさいよ。だいたい、なんで私なのよ。教師に聞きに行けばいいじゃない」

「社畜のオーラを纏ったあの担任に『魔力ってなんですか?』などと聞けば、即座に精神鑑定送りにされるのは明白だからね。僕には君しかいないんだ、八代さん。君のその『手動操作モードへの切り替え』というファインプレーがなければ、僕は今頃、マナフォンと摩擦熱で心中していた」

 僕は顔を上げ、すがりつくような——もはや尊厳の欠片もない視線を彼女に向けた。

「頼む。この通りだ。僕の魔術知識は『ファンタジーRPGのチュートリアル前』レベルで止まっている。このまま明日を迎えれば、僕は確実に社会的に死ぬ。いや、物理的に爆死する可能性すらある」

「…………」

 八代ルイは、無言で僕を見下ろしていた。

 その目は、ただのゴミを見る目から、生ゴミを見る目へ、そして最終的には「分別もされていない、悪臭を放つ産業廃棄物」を見るような目へと、見事なクラスチェンジを果たしていた。

「……わかったわよ」

「本当かい!?」

「その代わり」

 八代ルイは、冷たい声で条件を提示した。

「一つ。私のオリジナル術式のデバッグ(実験台)に付き合うこと。

 二つ。学食の新作スイーツが発売されるたびに、私のパシリとして並ぶこと。

 三つ。……これ以上、私の前でその『中身のない理屈っぽい喋り方』で誤魔化そうとしないこと。馬鹿なのがバレバレで、聞いてて腹が立つから」

「……御意」

 僕は深く、深く頭を下げた。

 僕の安っぽいプライドは、ここに完全な死を迎えた。

 しかし、引き換えに僕は「学年首席クラスの専属チューター」という、この理不尽な世界を生き抜くための最強の生命線チートを手に入れたのだ。

 非日常を鼻で笑う気概はとっくに折れた。

 ここからは、泥水とエーテルを啜ってでも生き延びてやる。

 僕の異世界学園生活は、かくして「優秀なヒロインのパシリ」という、極めて情けない形で本格的にスタートしたのであった。

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