【第28話】
「序列」というシステムは、人類が発明した中で最も悪辣で、かつ残酷な情報圧縮技術である。
複雑怪奇な人間の個性、努力の過程、あるいは当日の体調や運といった無数の変数をすべて捨象し、「点数」という一次元の無機質なデータへと強制的に変換する。そしてそれを、あろうことか全校生徒の目に触れる廊下の巨大な掲示板に張り出すのだ。
これは中世ヨーロッパで行われていた市中引き回しや、さらし首の刑と本質的に何ら変わらない。現代魔術社会はテクノロジーこそ進歩しているが、人間の尊厳を蹂躙するエンターテインメント性においては、いまだ暗黒時代から一歩も抜け出せていないらしい。
「……ふむ」
週明けの月曜日。
昼休みの第一魔術科高校・中央エントランス。
群がる生徒たちの頭越しに、僕はその「さらし首のリスト(成績掲示板)」を極めて冷静な目で観察していた。
一年生、総合順位。
第一位:八代ルイ。
(筆記評価:S 実技評価:S)
知っていた。驚きは一ミクロンもない。
あの絶対零度の暴君が、このような低レベルのバロメーターで他者の後塵を拝するわけがないのだ。評価の「S」という、規格外のアルファベット二文字が、彼女の暴力的なまでの才能を雄弁に物語っている。
そして、僕の視線は、リストの遥か下層――深海魚が生息するような、光の届かない中間層のさらに下へとスライドしていく。
第百五十二位:夜行トオミ。
(筆記評価:B+ 実技評価:C)
総合評価:C+
「……完璧だ」
僕は思わず、自分の口から感嘆の吐息が漏れるのを止められなかった。
美しい。あまりにも美しい数字の羅列である。
実技試験の「C」は、あの【θ=0.5】の待ち伏せ戦法と、前世の黒歴史(空中回し蹴り)による極めて強引な加点によるものだ。そして筆記の「B+」は、天音マフユ先輩による「オーバースペックすぎる事前ハッキング」の賜物である。
結果として、僕は「赤点(魔力再開発キャンプ行き)」という最悪のデッドエンドを完璧に回避しつつ、上位陣の目にも留まらない、完全なる『モブ』の地位――平均値という名の絶対的聖域――を確保することに成功したのだ。
「何を一人で薄気味悪い笑みを浮かべているの。自分の順位の低さに、ついに脳の自己防衛機能がショートしたのかしら?」
背後から、エントランスの喧騒を切り裂くような、氷点下の声が響いた。
振り返らなくてもわかる。学年首席様の登場だ。
「やあ、八代さん。首位防衛おめでとう。しかし、君のその冷徹な分析は今回ばかりは的外れだね。僕は今、自身の構築した『低空飛行』のプランが見事に結実したことに、純粋な芸術的感動を覚えているところさ」
「……筆記がB+。実技がC。総合で真ん中より少し下。……本当に、呆れるほど器用で、無価値な成績ね。あれだけ私が実技の基礎を叩き込んだのに、どうして評価がCで止まるわけ?」
八代ルイが、腕を組みながらジト目で僕を睨みつける。
「言っただろう。僕の目的は他者に勝つことではなく、社会の歯車として目立たず生き残ることだ。それに、君の教えは極めて有用だったよ。事実、僕はあの『自律魔砲塔』の飽和攻撃を、魔力を完全に遮断することでやり過ごした。これ以上ないくらい、君の『無駄を省け』という哲学を体現したつもりだけれど」
「だからって、ただの石ころに擬態しなさいとは教えていないわよ」
彼女は呆れたようにため息をついたが、その表情には、いつもほどの「苛立ち」は含まれていなかった。
僕が赤点を回避し、引き続き彼女の「パシリ兼、術式のデバッガー」としての契約を更新したことに、少なからず安堵している――というのは、僕の都合の良い幻覚だろうか。
「あ、夜行くん! 八代さん!」
そこへ、エントランスの奥から、ふわりとした足取りで天音先輩が駆け寄ってきた。
手には、二年生の成績表のコピーが握られている。言うまでもなく、彼女もまた筆記において学年トップを爆走しているはずだ。
「夜行くん、見ましたよ! 筆記試験、B+評価じゃないですか! やりましたね、あの『位相空間の歪み』の応用問題、ちゃんと解けていたんですね!」
「……ええ、まあ。天音先輩の『幼児にもわかる(※ただし幼児が大学院レベルの知能を持っていた場合に限る)エーテル力学』のおかげで、問題文が母国語のように読めましたから。感謝してもしきれません」
僕が深く頭を下げると、天音先輩は「えへへ」と照れくさそうに笑った。
しかし、その直後、彼女の口から飛び出した言葉が、僕の平穏な聖域を無慈悲に破壊した。
「でも、実技が少し惜しかったですね。……そうだ! 次の期末試験に向けて、今のうちから『魔力出力の数学的増幅アプローチ』についての特別講義を始めましょう! ちょうど今日の放課後、図書室の奥の部屋が空いているので……」
「……」
僕は、石化した。
中間試験が終わった、今日。
この「試験休み」の余韻も冷めやらぬ月曜日の昼休みに、早くも「期末試験」に向けた地獄のスケジュールが宣告されたのだ。
「あら、名案ね。私も、夜行の身体をもっと効率的に酷使するための、新しい演算モデルを思いついたところだったの。今日の放課後は、実技と座学の二本立てで徹底的に『再構築』してあげるわ」
八代ルイが、悪魔のような――しかし、どこか楽しげな微笑みを浮かべて同調する。
右に、理論と証明の狂信者。
左に、直感と効率の絶対君主。
僕は、成績掲示板に張り出された自分の「第百五十二位」という平和な数字を見上げながら、心の中で血の涙を流した。
赤点を回避し、地獄の合宿から逃れられたからといって、僕の日常が平穏になるわけではなかったのだ。僕が勝ち取ったのは「休息の権利」ではなく、「二人の天才から、引き続き極上の拷問を受け続ける権利」でしかなかったのである。
隣の芝生は、青いどころか、僕を捕食する
ための蔦を、今日も元気に伸ばし続けていた。




