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【第1話】

「制服」というシステムは、個人のアイデンティティを没却し、集団への帰属意識を強制的に植え付けるための、極めて前時代的かつ暴力的な装置である。

 ……なんていう、青臭い反骨精神を気取るつもりは毛頭ない。むしろ僕は、毎朝クローゼットの前で「今日着ていく服の正解」を導き出すという、高等数学より難解な命題から解放されるという意味で、制服制度を全面的に支持している側の人間だ。

 だが、洗面台の鏡に映る自分——つまり「夜行トオミ」という、見知らぬ、けれどこれから一生付き合っていくことになった青年の姿を見て、僕は深くため息をついた。

「いくらなんでも、設定過多オーバー・スペックじゃないか?」

 第一魔術科高校、指定制服。

 ベースは極めてオーソドックスなブレザースタイルだ。しかし、生地の裏地にはびっしりと銀糸で「物理衝撃緩和ショック・アブソーブ」や「環境適応サーモ・コントロール」の術式が編み込まれており、胸元のエンブレムは所有者の生体魔力とリンクして微かに明滅している。

 現代の科学技術と、ファンタジーの魔法陣が、デザイナーの狂気によって一つの衣服にマッシュアップされた結果がこれだ。通気性が良いのか悪いのかもわからない。ただ一つ言えるのは、僕のような「平和主義を拗らせた事なかれ主義者」が着るには、どうにも戦闘的すぎるデザインだということだ。

「まあいい。どうせ、モブキャラAとして背景に溶け込むだけの人生だ」

 僕は自分にそう言い聞かせ、電子錠——の形をした魔力認証ロック——を解除して、ワンルームマンションの扉を開けた。

 外の世界は、今日も狂っていた。

 上空を見上げれば、見えない空中回廊エア・ルートを魔力駆動のドローンが飛び交い、遠くに見えるテレビ塔のような巨大建造物は、周囲の大気からエーテルを回収して街のインフラへと変換している。

 僕は最寄りの「霊脈駅レイライン・ステーション」へと向かった。改札を抜けるのは、SuicaでもPASMOでもない。スマートフォン型魔力端末(通称:マナフォン)をかざすだけだ。やってくる電車は車輪を持たず、地中に張り巡らされた霊脈の磁場に反発して浮遊しながら滑り込んでくる。

 車内は、前世の満員電車とさして変わらない光景だった。

 ただ、サラリーマンが読んでいる日経新聞の代わりに空中にホログラムの経済ニュースが浮かんでおり、女子高生が熱心に見つめているスマホの画面では、TikTokの代わりに最新の「基礎魔術の効率的な詠唱省略テクニック」のショート動画が流れているだけだ。

 うん。やっぱり頭がおかしくなりそうだ。

 僕は視線を落とし、ただひたすらに「自分は周囲の景色に擬態したナナフシである」という自己暗示をかけ続けた。

 駅を降り、第一魔術科高校へと続く桜並木の坂道を登り始めた時、それは起きた。

 トラブルというものは、いつだって前触れなく、そして物理法則を無視して空から降ってくる。

 僕の数メートル前を歩いていた少女。

 同じ高校の制服を着た、亜麻色の髪を肩口で切りそろえた小柄な彼女のポケットから、キラリと光る金属製のカードのようなものがこぼれ落ちた。学生証(兼・校内アクセスキー)だ。

「あ、落とし——」

 僕が声をかけようとした、その瞬間。

 地面に向かって自由落下していたはずのそのカードは、突如として空中でピタリと静止した。

 そして、あろうことか、意思を持った生き物のように「ふわり」と浮き上がり、坂道の上部……つまり彼女の進行方向とは逆の、空の彼方へと向かって、緩やかに、しかし確実に飛び去ろうとし始めたのだ。

「……は?」

 思考が停止した。

 風に飛ばされた? いや、カードは金属製だ。ドローンが仕込まれている? いや、そんな厚みはない。

 僕が困惑している間に、カードは僕の頭の横を通り過ぎようとした。僕は反射的に手を伸ばし、その飛び去ろうとする銀色の板をガシッと掴んだ。

 指先に「ブツン」という、目に見えない糸が千切れるような嫌な感触が伝わる。

「……ちょっと」

 声が降ってきた。

 振り返ると、落とし主の少女が、感情の抜け落ちたビー玉のような瞳で僕を睨みつけていた。

「私の『自動帰還オート・リターン術式』に、無断で干渉しないでくれないかな。不正アクセスで通報されたいの?」

 第一声がそれか。

 僕は手の中のカードと、目の前の少女を交互に見比べた。

「いや、ちょっと待ってほしい。僕の認識が間違っていなければ、君のこのカードは今、地面に落ちる代わりに空に向かって飛んでいこうとしていた。これは帰還しているのか? 一体どこへ? 大気圏外に実家でもあるのか?」

「……馬鹿なの? 術式の座標軸設定がZ軸(垂直方向)で反転するバグが発生していただけよ。放っておけば成層圏の手前で魔力切れを起こして、本来のX軸(水平方向)の座標である私のポケットに戻ってくる計算だったのに」

「そんな壮大な迂回ルートを通る帰還術式があるか。というか、それバグじゃなくて完全に欠陥プログラムだろう。僕が掴まなかったら、今頃君の学生証は人工衛星の仲間入りを果たしていたぞ」

「うるさいわね。私が組んだオリジナル術式マクロにケチをつける気?」

「ケチというか、事実を陳述しているだけだ。というか君、自分のミスを他人の不正アクセスにすり替えようとしなかったか?」

 少女は「チッ」と、ひどくわかりやすい舌打ちをした。

 見た目は可憐な優等生風なのに、中身はプライドの異常に高いポンコツ・プログラマーのそれである。

「返すわよ」

 少女は僕の手から学生証をひったくるように奪い取ると、マナフォンの画面を操作し、ぶつぶつと文句を言いながら去っていった。

 「信じられない、なんでZ軸の係数がマイナスになってたのよ……あの男の魔力波長が干渉した? いや、だとしたらもっと根本的な……」

 彼女の背中を見送りながら、僕は深く、今日二度目のため息をついた。

 前世で僕が培ってきた常識の通用しない世界。魔術という理不尽なテクノロジーが蔓延る社会。そして、初日から絡んでしまった、性格に難のあるクラスメイト(おそらく)。

 僕が思い描いていた「背景モブとしての平穏な学生生活」は、どうやら開始5分で成層圏の彼方へ飛んでいってしまったらしい。

 全く。

「……帰りたいなぁ」

 入学式すら始まっていない高校の校門を見上げながら、夜行トオミとしての僕の非日常は、ひどく泥臭く、そして言い訳がましく幕を開けたのである。

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