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【第26話】

「魔術」というものは、突き詰めれば「遠隔地から対象に物理的、あるいは熱的な干渉を与えるための、極めて迂遠な手段」に過ぎない。

 大気中のエーテルを収束し、術式を構築し、事象を改変して対象に叩きつける。その一連のプロセスには必ず「タイムラグ」と「魔力の減衰」が生じる。ならば、最も効率よく対象に運動エネルギーを伝達する方法とは何か?

 結論から言おう。己の質量を加速させ、直接ぶん殴ることである。

「――これより、実技試験最終日、対人戦デュエルを開始する。第一試合、マクラザキ対、夜行トオミ」

 金曜日の午後。第一演習場。

 ドーム型闘技場の中央で、僕は深く、今日で百回目くらいのため息をつきながら対戦相手と向かい合っていた。

 マクラザキ。過日、放課後の教室で「八代さんにあやかりやがって」と僕に絡んできた、魔力ステータスB(中の上)のプライド高きクラスメイトである。

「お前のハッタリもここまでだ、夜行。待ち伏せだの、息を止めるだの、そんな姑息な真似が対人戦で通用すると思うなよ! 俺の圧倒的な火力で、お前のその『スリーパーセル』なんていうくだらないメッキを剥がしてやる!」

 マクラザキが、ひどくヒロイックな、少年漫画の主人公のような台詞を吐いてワンドを構えた。

 僕はだらりと両手を下げたまま、無表情で首を振った。

「勘違いしないでほしいな、マクラザキくん。僕のメッキは剥がすまでもなく、最初からプラスチック製の安物だよ。それに、君のその長ったらしい詠唱を聞いていると、どうにも欠伸が出てしまう」

 ――内心は、心臓が口から飛び出そうなくらいにバクバクと脈打っていた。

 (やばいやばいやばい! ステータスBの直撃なんて喰らったら、骨が二、三本じゃ済まない! 帰りたい! 今すぐ布団に包まってマナ・ゼリーを吸いたい!)

「――開始!」

 社畜担任の無慈悲な合図が下る。

 マクラザキが素早く杖を振りかざし、大気を切り裂くような詠唱を紡いだ。

「【第三種・烈風刃ウィンド・カッター】!」

 不可視の真空の刃が、三日月の軌道を描いて僕の首を刈り取りにくる。

 ――しかし。

 僕の身体は、思考よりも先に「勝手に」動いていた。

 右へ半歩踏み込み、上体を大きく逸らす。頬を微かな風圧が通り過ぎ、背後の結界に「ガガァンッ!」という凄まじい衝撃音が響いた。

「なっ……!?」

 マクラザキが驚愕に目を見開く。

 無理もない。オールCの落ちこぼれが、不可視の風の刃を「見てから」避けたのだから。

 だが、僕から言わせれば、彼の魔術はあまりにも「遅く」、そして「素直」すぎた。

 天音マフユの地獄の座学で叩き込まれた空間位相と流体力学の知識が、マクラザキの杖の向きと魔力の収束点から「不可視の刃の軌道」を〇・五秒前に予測ハッキングする。

 そして、八代ルイから毎日浴びせられ続けた致死量の雷撃と火炎球。あの「回避に失敗すれば即黒焦げ」という理不尽なスパルタ環境下で、僕の肉体は生存本能によって強制的に最適化され、一般的な生徒を凌駕する反射神経と運動能力を獲得してしまっていたのだ。

「遅いよ。君の詠唱完了から発動までのコンマ八秒のラグ、八代さんの【連鎖雷撃】と比べたら、まるでダイヤルアップ回線のようなモタつきだ。それに、軌道が一直線すぎてあくびが出る」

「くそっ、調子に乗るな! なら、これならどうだ! 【連爆炎槍フレイム・ランス・バースト】!!」

 マクラザキが逆上し、魔力を限界まで練り上げた。

 空中に五つの炎の槍が展開され、逃げ場を塞ぐように全方位から殺到してくる。

 回避不能の飽和攻撃。並の生徒なら、ここで魔力障壁を張って耐えるしかない場面だ。

 (ひぃぃぃぃっ! 熱い熱い熱い! 掠っただけで髪の毛がチリチリ言ってる!! 冗談じゃない、こんなの受け止めたら僕の貧弱な魔力回路ごと蒸発する!!)

 僕は絶叫しそうになるのを必死に堪えながら、前に出た。

 後ろに下がれば炎の網に捕まる。ならば、網が広がる前に、投網の主の懐に潜り込むしかない。

 僕は魔術的防御を一切放棄し、純粋な脚力のみで、炎の槍の隙間を縫うようにして地を蹴った。

「な……防御もせずに、突っ込んできただと!?」

 マクラザキは驚愕した。

 魔術師の戦いにおいて、相手との距離を物理的に詰めるなどという発想は、極めて前時代的なのだ。彼は慌てて自らの前に『第一種・魔力防壁マナ・シールド』を展開した。

 甘い。

 魔力防壁は、魔術的な干渉エーテルに対しては無類の強度を誇るが、純粋な物理的運動エネルギー(質量×速度)に対する耐性は著しく低い。

 僕はマクラザキの目前に到達した。

 拳で殴るか? いや、腕の筋肉量などたかが知れている。人間の肉体において、最も太く、最も重く、最も絶大な運動エネルギーを生み出せる部位は『脚』だ。

 しかも、ただの蹴りではない。

 僕は前世において、深夜の動画サイトで見かけた「テコンドーの空中回転回し蹴り」――通称540度キックを、「めちゃくちゃカッコいいから」という理由だけで、一人部屋の中で狂ったように練習していたという、誰にも言えない黒歴史スキルを保持していた。

 遠心力。自重。そして助走の速度。

 全てのエントロピーを右足のつま先に収束させる。

「――【第零種・物理的フィジカル質量打撃】だ」

 僕は空中に跳び上がった。

 身体を独楽のように回転させ、遠心力を極限まで高めた右脚が、空を切り裂く。

 魔術的なバフなど一切ない。ただの、極めて原始的で、泥臭くて、そして前世の自己顕示欲の塊のような、フルスイングのハイキック。

 バギィィィンッ!!!

「が、ぼァッ!?」

 僕の踵が、マクラザキの展開した脆い魔力防壁をガラスのように粉砕し、そのまま彼の顔面の横(極めて安全な防具の上)に、強烈な一撃を叩き込んだ。

 体重と遠心力が完全に乗り切ったその打撃は、マクラザキの意識を刈り取るには十分すぎる威力だった。

 彼は白目を剥き、錐揉み回転しながら数メートル吹き飛び、ドームの床に沈んだ。

 静寂。

 第一演習場を、完全なる沈黙が支配した。

 魔術の飛び交う対人戦において、まさか「飛び蹴り一閃」で勝負が決するなど、誰が予想しただろうか。

 僕はゆっくりと着地し、倒れ伏したマクラザキを見下ろしながら、小さく息を吐いた。

「言っただろう。魔術は迂遠だと。運動エネルギーの伝達効率という観点において、人間の肉体という原始的なデバイスは、いまだ捨てたものではないのさ」

 完璧なドヤ顔。完璧なセリフ。

 周囲の生徒たちは「い、一撃……?」「やっぱり、あいつヤバい暗殺術の使い手だ……!」と、戦慄の声を漏らしている。社畜担任すら、ぽかんと口を開けてマイクを落としかけていた。

 (……い、痛えええええええええ!! 久しぶりに空中回し蹴りなんかやったから、右の股関節と太ももの裏が完全に攣った!! ていうか着地の衝撃で膝もぶっ壊れそう!! 誰か助けて! 今すぐ保健室のベッドに僕を水平に搬送してくれ!!)

 内心で凄まじい絶叫を上げ、冷や汗を滝のように流しながら。

 僕は、絶対に足の震えを周囲に悟らせないよう、極めて自然な(ように見える)足取りで、勝者としての立ち位置へと戻っていった。

 かくして。

 僕の長くて地獄のような中間試験は、前世の黒歴史という名の「隠し球」によって、極めて理不尽かつ強引に幕を下ろしたのである。

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