【第23話】
「試験」という制度を設計した人間は、間違いなくサディストである。
だが、この第一魔術科高校のカリキュラムを構築した人間は、サディストであると同時に、時間というリソースの価値を全く理解していない狂人であると僕は断言したい。
中間試験。
その全日程は、なんと「五日間」にも及ぶ。
前半の二日間が「筆記試験(座学)」、そして後半の三日間が「実技試験」という、まるで中世ヨーロッパの籠城戦のような絶望的な長期スケジュールが組まれているのだ。高校生の中間試験に平日を丸々一週間も費やすなど、狂気の沙汰である。魔術師という生き物は、効率を追求するくせに、こういった伝統的な嫌がらせにかけては無駄に労力を割くらしい。
「――それでは、第一科目『魔術史概論』の試験を開始する。端末の電源は切り、机の中にしまうこと。不正行為は即座に退学処分とする」
月曜日の朝。
教壇に立つ、相変わらず目元の隈が深い社畜担任の無慈悲な合図と共に、教室内に裏返された試験用紙が一斉に表にされる音が響いた。
僕は深呼吸を一つし、机の上の解答用紙に目を落とした。
第一問。
『近代魔術黎明期における、第一種エーテル燃焼理論の確立が、当時の社会インフラに与えた影響を、位相空間の変位という観点から論じなさい』
……通常であれば、この時点で僕は静かに鉛筆を置き、解答用紙の裏に「先生さようなら」と遺書を綴って精神的な死を迎えていただろう。
「魔術史」のテストでありながら、ナチュラルに物理学と数学の概念を要求してくる、この第一魔術科の理不尽極まりない出題傾向。オールCのモブ生徒には到底太刀打ちできない、言語の暴力である。
しかし。
今日の僕は、絶望しなかった。
『――え? でも、エーテルの歴史を正しく理解するためには、その根底にある位相空間の歪みから説明しないと、本質的な魔術の成り立ちが掴めないじゃないですか』
僕の脳内に、柔和な笑顔を浮かべた天音マフユ先輩の、あの狂気じみた名言がフラッシュバックする。
そう。あの休日のカフェでの、地獄のような「教育的指導」。
僕は歴史のテスト勉強をしていたはずなのに、なぜか彼女の手によって「エーテル代数学」の三次方程式を百問近く解かされ、空間位相の概念を脳髄に直接叩き込まれていたのだ。
「……読める」
僕は、自分でも信じられない思いで、問題文を睨みつけた。
まるで、古代の暗号が、突然母国語に翻訳されたかのような感覚。
天音先輩が僕の脳に施したそれは、単なる「テスト勉強」ではなかった。出題者の意図を先読みし、基礎概念(OS)そのものを強引にアップデートさせるという、極めて高度な『事前ハッキング』だったのだ。
僕は震える手でシャーペンを握り、解答欄に向かって文字を書き連ね始めた。
完璧な正答(A評価)など狙っていない。僕の目標はあくまで「赤点回避」であり、モブとしての平穏を維持するための「最低限の生存ライン(C評価)」の確保である。天音先輩から注入された知識の欠片を、僕自身の「詭弁」と「文字数を稼ぐための修辞法」でコーティングし、もっともらしい文章へと錬成していく。
カリカリ、カリカリ。
教室に響く、筆記音のオーケストラ。
斜め前の席では、八代ルイが涼しい顔でシャーペンを走らせている。あの孤高の天才からすれば、こんな筆記試験など、息をするのと同じくらい無意識の動作なのだろう。
そして、怒涛の二日間が過ぎ去った。
魔術史、エーテル物理学、基礎呪教学、現代魔術倫理……。
計十科目にも及ぶ座学の試験を、僕は(精神をすり減らしながらも)なんとか全て解答欄を埋めることで乗り切った。天音先輩の『オーバースペックすぎる事前入力』がなければ、間違いなく三科目は白紙で提出していたはずだ。
「……終わった」
火曜日の放課後。
最後の試験の終了チャイムが鳴った瞬間、僕は机に突っ伏し、深いため息と共に魂を口から吐き出しそうになった。
脳内の糖分は完全に枯渇し、シャーペンを握り続けた指は痙攣している。
「何を燃え尽きているのよ。ただの座学が終わっただけじゃない」
僕の机の前に、八代ルイが立っていた。
彼女は僕の疲労困憊した姿を鼻で笑い、無慈悲な宣告を下す。
「明日から三日間は、本番の実技試験よ。あなたのその空っぽの魔力回路で、どこまで私の教えを再現できるか……見ものね。もし赤点なんて取ったら、残りの高校生活すべてを私の実験動物として捧げてもらうわ」
「……鬼か、君は」
僕は机に突っ伏したまま、かすれ声で抵抗を試みた。
「筆記試験の疲労で、今の僕の魔力はマイナスにまで落ち込んでいる。明日からの実技試験なんて、丸腰で戦場に放り出されるようなものだ」
「言い訳は聞かないわ。せいぜい今夜はマナ・ゼリーを浴びるように飲んで、明日に備えることね」
八代ルイはそう言い残し、踵を返して教室を出て行った。
彼女の言葉は相変わらず冷酷だが、その足取りがいつもより僅かに軽いのは、筆記試験という退屈な作業が終わり、彼女の得意分野である「実技」が始まることへの高揚感からだろうか。
五日間に及ぶ中間試験。
その前半戦である「二日間の筆記(座学)」は、母性という名の暴力(天音先輩)のおかげでなんとか首の皮一枚繋がった。
だが、本当の地獄はここからだ。
明日から始まる「三日間の実技」。それは、僕の付け焼き刃の魔術が、冷酷な採点基準の前に晒される、真の審判の日である。
僕は重い身体を引きずって立ち上がり、帰路についた。
夕日に染まる校舎を見上げながら、どうか明日、世界が滅亡して試験が中止にならないかと、極めて確率の低い奇跡を本気で祈りながら。




