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【第19話】

「試験」という言葉には、およそ人類が発明した中で最も不愉快な響きが含まれている。

 それは単なる学力の測定ではない。社会という名の巨大な演算装置が、個人の価値を「数字」という無機質なデータに変換し、容赦なく序列化するための、極めて効率的で非人道的なプロセスだ。

 前世において、僕はそのプロセスを「適当にやり過ごす」ことで、壁のシミとしての平穏を維持してきた。だが、この現代魔術社会における試験は、僕のような「存在そのものがエラーコード」な人間にとって、文字通りの生存競争サバイバルを意味していた。

「……ふふ。夜行くん、その『火種』の術式、さっきよりも安定してきましたね。一分前は今にも消えそうなマッチの火でしたけど、今は……そうですね、誕生日のロウソクくらいには輝いていますよ」

 放課後の第三図書室。

 天音マフユ先輩が、僕の指先に灯った小さな、本当にささやかな赤い光を見つめて、慈愛に満ちた拍手を送ってくれた。

 マナフォンを介さない、純粋な魔力行使。

 学年首席のスパルタ教育デバッグと、母性溢れる先輩の献身的な指導。その地獄と天国を交互に往復し続けた結果、僕の「オールC」の魔力回路は、ようやく「静電気を自ら発生させる」程度の能動的な出力を獲得しつつあった。

「誕生日のロウソク、か。僕の人生という名の暗闇を照らすには、いささか光量が不足している気がするけれど。……まあ、ライターを持ち歩く手間が省けたと思えば、一歩前進と言えるかもしれないな」

「もう、夜行くんたら。自分を低く見積もりすぎですよ。……でも、この調子なら、来週の『中間試験』の実技も、なんとか乗り越えられるかもしれませんね」

「…………」

 天音先輩がさらりと口にした、その四文字。

 僕の脳内にある「平穏維持システム」が、即座に最大級のアラートを鳴り響かせた。

「……中間、試験。……ごめん、天音先輩。今、僕の耳が一時的な魔力ノイズによって、聞いたこともない不穏な単語を受信してしまったようだ。今のは、何かの高度なギャグか、あるいはこの世界の終末を告げる予言オラクルかな?」

「えっ……? あ、あの、夜行くん……。もしかして、知らないんですか? 来週の月曜日から始まる、全学年一斉の中間試験のこと……」

 天音先輩の困惑した顔。

 その隣で、それまでずっと「私はここに居ませんよ」というオーラを出しながら、端の席で分厚い魔道書を読んでいた――しかし、ナチュラルに僕たちの会話の射程圏内に居座っていた――八代ルイが、本を閉じる音を「パツンッ」と響かせた。

「……信じられないわね。あなた、この一週間、一体何を見て生きてきたの? 教室の掲示板にも、マナフォンのポータル通知にも、あれほど大々的に告知されていたはずだけど。あなたの脳細胞は、都合の悪い情報を自動的に『存在しないもの』として処理する、特殊な不可視化術式ステルス・マクロでも搭載しているのかしら」

 眼鏡の奥から放たれる、絶対零度のツッコミ。

 八代ルイは、心底ゴミを見るような目で僕を蔑みながら、椅子を回してこちらを向いた。

「いい、夜行。中間試験は、この学校における最初の『間引き』よ。筆記はともかく、実技で基準値ベンチマークを下回れば、夏休みは強制的な『魔力再開発キャンプ』行き。……私のパシリとしてのスケジュールが、そんな無意味なイベントで埋め尽くされるのは、私のプライドが許さないわ」

「……ま、待ってくれ。実技試験と言ったか? 何をするんだ。まさか、あの巨大ルンバ・ゴーレムと格闘したり、標的に向かって火球を時速三キロでぶつける速度を競ったりするわけじゃないだろう?」

「もっと最悪よ。指定された術式の構築速度と、魔力変換効率の厳密な測定。……あなたのその、ロウソク程度の出力で、どうやって制限時間内に演算を終わらせるつもり?」

 焦燥が、冷や汗となって背中を伝う。

 マナフォンの補助アプリがあれば、最低限のラインはクリアできるかもしれない。だが、試験では「外部端末の使用制限」があるのが通例だ。僕の素の魔力、素の知識で、この難局を乗り切れるのか?

「……無理だ。今すぐ退学届を提出して、実家の農家でも継ぐべきかもしれない。魔術がない世界で、土をいじりながら余生を過ごすのも悪くない」

「……何、情けないこと言ってるんですか、夜行くん! 私も、精一杯サポートしますから! まだ一週間あります。一緒に頑張りましょう?」

 天音先輩が僕の両手を握り、力説する。

 その温かさと、八代ルイの冷たさが、僕の脳内で激しく火花を散らす。

 パニックに陥りかけ、逃避行のルートを計算し始めた僕の耳元で、八代ルイが再び口を開いた。

「……夜行。そこまで焦る必要があるのかしら」

 不意に、毒舌から鋭利な刃を抜いたような、落ち着いた声。

 彼女はマナフォンを操作し、僕の目の前に一枚の「演算ログ」をホログラムで投影した。それは昨日、演習場で僕が彼女の魔力暴走を受け止めた時の、同期シンクロデータの一部だった。

「あなたが毎日、誰に教えを請い、誰の術式をデバッグし、誰の暴走をその身で調律し続けてきたのか……それを思い出しなさい」

「え……?」

「学年平均(オールC)の無能が、学年首席である私のオリジナル術式に耐え、それを手動マニュアルで制御してみせた。……その事実が、何を意味するか。あなたのその空っぽな頭で、少しは論理的に導き出しなさい」

 八代ルイは、ほんの少しだけ、本当に観測誤差レベルで口角を上げると、再び魔道書に目を落とした。

「いい? 試験なんて、ただの既定路線のなぞり書きよ。私が教えたことを、一ミリも違わずに再現すれば、あなたが赤点を取る確率は……私がクマのぬいぐるみを捨てる確率よりも低いはずだわ」

「…………」

 傲慢だ。どこまでも傲慢で、上から目線の、しかし圧倒的な説得力を伴った「福音」。

 天音先輩が「えっ、ぬいぐるみ……?」と首を傾げているが、今の僕にはその情報の重要性は二の次だった。

 なるほど。

 僕が毎日浴び続けてきたのは、猛毒であると同時に、世界で最も過酷で、最も高度な「特別講義」でもあったわけだ。

 

「……御意。お姉さま方の期待に沿えるよう、僕という名の凡庸なリソースを、最大限に試験という無駄なイベントに投入することを誓おう。……せめて、赤点という名の『社会的死』だけは回避できるようにね」

 僕は指先に灯った小さな火を消し、深くため息をついた。

 非日常のサバイバルは、ついに「学業」という名の最も身近な地獄へと突入しようとしていた。

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