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翌朝
教室に入るとすでに殆どの生徒がいた。
静かに読書をするもの、窓際で腕を組みながらべちゃくちゃ喋る男子達、そして、その近くに座る原田さんは友達と楽しく話していた。
昨日と変わらない原田さん。
いつもの原田さんだ。
楽しそうに笑いながら、相槌を打っている。ただそれだけなのになぜか、昨日の光景が頭に浮かんだ。
街灯の下で、こちらを振り返った原田さん。
少し驚いた顔。
それから、照れくさそうに浮かべた笑顔。
『……なんか変だな』
昨夜、自分で口にした言葉を思い出す。
結局、家へ帰ってからも胸のざわつきはなかなか消えなかった。
風呂へ入っている時も。
ベッドへ横になった後も。
気を抜くと、原田さんと目が合った瞬間を思い出してしまった。
おかげで、いつもより寝つくのが遅くなったくらいだ。
俺は軽く息を吐き、自分の席へ向かおうとする。
その時だった。
「あっ」
原田さんが、こちらに気づいた。
一瞬だけ目が合う。
昨日と同じだ。
ただ目が合っただけ。
それなのに、俺の心臓が小さく跳ねた。
「……お、おはよう」
なぜか少し声が上ずった。
「おはよう、白金」
原田さんも、どこかぎこちない。
普段ならもっと自然に返してくれるはずなのに、今日は笑顔が少し固い気がする。
もしかして、原田さんも昨夜のことを気にしているのだろうか。
……いや、考えすぎか
単に朝だから、まだ眠いだけだろう。
俺はそう自分に言い聞かせ、席へ向かおうとした。
「白金」
背後から呼び止められる。
振り返ると、原田さんがこちらを見ていた。
「あの……昨日はありがとう」
「昨日?」
「一緒に帰ってくれたこと」
「ああ。そのことか」
一瞬、振り返ったことを言われるのかと思った。
そうじゃないと分かって、少しだけ安心する。
「別にお礼を言われるようなことじゃないよ。同じ方向だったし」
「それでも。話し合いの後、一人で帰るより楽しかったから」
「……俺も楽しかったよ」
俺がそう答えると、原田さんは一瞬だけ目を丸くした。
「そ、そっか」
それから、小さく笑った。
「うん。よかった」
その笑顔を見た瞬間、昨夜と同じざわつきが胸の奥に広がる。
やっぱり変だ。
昨日までは、普通に話せていたはずなのに。
どうして今日は、こんなにも原田さんの顔をまともに見られないんだ。
「じゃ、じゃあ俺、席に行くから」
「あ、うん」
逃げるように自分の席へ向かう。
鞄を机の横へ掛け、椅子へ座ったところで、俺は小さく息を吐いた。
「朝から何を慌ててるの?」
突然、隣から声を掛けられた。
顔を上げると、島崎さんが俺の机に片手を置き、興味深そうにこちらを見下ろしていた。
「別に慌ててないけど」
「ふーん?」
島崎さんは疑うように目を細める。
「な、何?」
「いや? 美玖と何を話してたのかなって」
「昨日、一緒に帰ったから、そのことを少し話してただけだよ」
そう言うと島崎さんは真顔でこう言ってきた。
「それで、何か進展はあった?」
「何かって?」
「いや、手を繋いだとか、告白されたとかラブラブ展開」
「あるわけないだろ」
「じゃあ、二人で夜道を歩いただけ?」
「そうだよ」
「本当に?」
「本当だって」
ただ一緒に帰っただけ。
別れた後、お互いに振り返って目が合ったことは――なぜか言えなかった。
別に隠すようなことではない。
それなのに、あの瞬間だけは誰にも話したくなかった。
俺と原田さんだけが知っていることにしておきたい。
そう思ってしまった。
「……怪しい」
島崎さんが俺の顔を覗き込む。
「何が?」
「白金、なんか隠してない?」
「隠してないよ」
「目、逸らした」
「近いからだよ」
俺が少し身体を引くと、島崎さんはさらに顔を近づけてきた。
「じゃあ、私の目を見て言ってみて。昨日は本当に何もありませんでした、って」
「なんで尋問されてるんだよ」
「いいから」
「何もなかったよ」
「ちゃんと目を見て」
「優奈、朝から何してるの?」
今度は別の声が割って入った。
振り向くと、小林さんが呆れた顔で立っている。
「白金が何か隠してるみたいだから、問い詰めてたの」
「朝から面倒な絡み方しないの」
「だって昨日、美玖と二人で帰ったんだよ!ならば何かあったはずだよ!」
「確かに気になるねー」
小林さんの視線が俺へ向く。
どうして二人とも、そこまで反応するんだ。
一緒に帰ったくらいで、何も珍しいことはないだろう。
「途中まで方向が同じで、普通に帰っただけだよ」
「……ふうん」
小林さんはそれ以上何も言わなかった。
けれど、どこか納得していないような表情をしている。
「おっはよー!」
教室の入り口から、元気な声が響いた。
末永さんだ。
こちらに気づくと、そのまま一直線に近づいてくる。
「何の話してるの?」
「白金と美玖が、昨日二人で帰ったって話」
島崎さんがすぐに答えた。
「あっ、そう言えばそうだったね!」
末永さんは楽しそうに笑う。
「いいなあ。私も一緒に帰りたかった」
「末永さん、帰る方向が真逆だったでしょ」
「そうなんだけどさ」
末永さんは残念そうに肩を落とす。
しかし、すぐに何かを思いついたように顔を上げた。
「じゃあ、今度はみんなで一緒に帰ろうよ!」
「今度って、いつ?」
「商店街の調査の日! 調査が終わった後なら、途中まではみんな一緒でしょ?」
「ああ、なるほど」
確かに現地で解散するなら、商店街を出るまでは全員で帰れる。
「それで、そのまま何か食べて帰ろうよ!」
「調査中にも食べ歩くつもりじゃなかったの?」
小林さんが冷静に指摘する。
「それはそれ、これはこれだよ」
「どれだけ食べるつもりなのよ」
「商店街には魅力的な食べ物がいっぱいあるからね!」
胸を張る末永さんを見て、俺は思わず苦笑する。
昨日、原田さんと話していた通りになりそうだ。
ふと原田さんの方を見る。
すると、向こうもこちらを見ていた。
目が合った瞬間、原田さんは末永さんを指差し、困ったように笑う。
まるで――。
『やっぱり、昨日話した通りになったね』
そう言っているように見えた。
俺も小さく笑いながら頷く。
言葉を交わしていないのに、原田さんの言いたいことが分かった。
そのことが、なぜか少しだけ嬉しかった。
けれど――。
「……白金?」
島崎さんの声に、俺は我に返る。
「何?」
「今、原田さんと目で会話してなかった?」
「してないよ」
「してたよね?」
「気のせいじゃない?」
「絶対してた」
島崎さんが不満そうに頬を膨らませる。
その隣では、小林さんも黙ったまま俺と原田さんを交互に見ていた。
「なんで二人とも、そんな顔してるんだよ」
「別に」
二人の声がぴたりと重なる。
その直後、教室に予鈴が鳴り響いた。
島崎さんたちは、それぞれ自分の席へ戻っていく。
俺も机から教科書を取り出しながら、もう一度だけ原田さんの方を見た。
原田さんは友達と話していて、こちらを見てはいなかった。
昨夜までは、こんなに気にしていなかったはずなのに。
どうして俺は、何度も原田さんを目で追ってしまうんだろう。
その理由は、やっぱり分からない。
ただ一つ分かるのは――。
昨日の帰り道を境に、原田さんとの距離がほんの少しだけ変わった。
そんな気がするということだった




