第1話『祝杯の埴輪』 ~Section 3:支配人の冷や汗と、三十年前の亡霊~
「三十年前の土に、現代のハニワか」
僕はタブレットの画面をオフにして、リュックにしまった。
アイドルの待ち受け画面が一瞬見えたが、今はそれどころではない。如月さんの『鑑定モード』のスイッチが入ってしまった以上、この謎が解けるまで僕の平穏な休日は戻ってこないのだ。
「つまり、如月さんの見立てでは、このホテルのどこかに三十年前から時が止まった『空間』があって、そこで誰かが今もハニワを作ってるってことですか?」
「空間があるだけでは足りぬ。そこで呼吸し、粘土を捏ねる『人間』がおらねばな」
如月さんは、手にした銀の匙を懐のハンカチで丁寧に拭い、見えないポケットにしまった。
「サクタロウ。ハニワとグラスを持て。行くぞ」
「へ?どこへ?」
「決まっておろう。この城の『番人』に話を聞きに行くのじゃ。三十年前の建設当時を知る、古株の生き字引にな」
彼女は有無を言わさず歩き出す。
深紅の絨毯の上を滑るように進むドレス姿は、やはり直視するには刺激が強すぎる。僕はなるべく彼女の足元、あるいは少し先の空間に視点を合わせながら、泥だらけのグラスとハニワを両手に持って、慌てて後を追った。
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パーティー会場のバックヤード。
厨房と控え室を繋ぐ従業員用の通路は、表の煌びやかさとは無縁の、殺伐とした空気が漂っていた。
銀色のステンレスの壁。慌ただしく行き交う黒服のボーイたち。オーブンから漏れるローストビーフの脂の匂いと、飛び交う怒号。
そこに、ホテル・セレーネの総支配人である初老の男性、宗像が立っていた。
白髪交じりの髪を隙なくオールバックに撫でつけ、仕立ての良いタキシードを着こなしているが、今の彼はひどく余裕がないように見えた。額の汗をハンカチで何度も拭いながら、インカム越しに部下へ料理の補充指示を飛ばしている。
そんな修羅場に、場違いなドレス姿の令嬢と、ジャージ感覚のパーカーを着た僕が足を踏み入れたのだ。
「あ、あのテーブルの空きグラスを早く下げて!次のシャンパンの準備は!」
宗像支配人は声を張り上げていたが、如月さんの姿を視界に捉えた瞬間、カエルのように口をパクパクさせて言葉を失った。
そして、飛び上がるようにして姿勢を正し、直立不動になる。
「こ、これは瑠璃お嬢様!会場を抜け出されたと伺っておりましたが、なぜこのような裏方へ!」
「宗像。堅苦しい挨拶は不要じゃ」
如月さんは冷淡に遮り、僕に目配せをした。
出番だ。僕は恐縮しながら、両手に持っていた汚れたグラスとピカピカのハニワを、支配人の目の前に突き出した。
「ひっ!な、なんですかな、その泥だらけのグラスは!?お嬢様のお召し物を汚しでもしたら一大事。すぐに片付けさせます!」
「心配無用。これは45階の廊下に置いてあった『展示品』じゃ」
「展示品?まさか。そのようなゴミ、当ホテルには一つも」
「ゴミではない。宗像、お主はこのホテルが開業する前、祖父の命を受けて『当時の開発責任者』として建設の陣頭指揮を執っておったな?」
如月さんの瞳が、ルーペのように鋭く支配人を射抜く。
大の大人であるはずの宗像支配人が、高校生の如月さんに見下ろされ、蛇に睨まれた蛙のように縮み上がっていた。彼女のこういう『絶対的な権力者の顔』を見るたび、僕は住む世界の違いを痛感させられる。
「このグラスに見覚えはないか?特注のステム、底に刻まれた『Selene』の刻印。これは、三十年前の開業当時のオープニング・セレモニーで使われたものではないか?」
宗像支配人は老眼鏡を胸ポケットから取り出し、震える手でかけ直すと、僕の持つグラスをまじまじと見つめた。
そして、ハッとしたように息を呑む。
「た、確かに。このカッティングと重厚なフォルムは三十年前のもの。現在の軽量化されたクリスタルグラスとは違います。しかし、なぜこんなに泥だらけで」
「問題はそこではない。三十年前、このホテルの建設中に、何か『トラブル』はなかったか?例えば、人が消えた、とかな」
その言葉が出た瞬間、宗像支配人の顔から、サッと血の気が引くのがわかった。
彼は周囲の従業員たちをキョロキョロと見回し、慌てて僕たちを厨房の奥にある狭いリネン室へと押し込んだ。
「お嬢様。そのお話は、一体どこで?」
「グラスが語ったまでじゃ。隠しても無駄じゃぞ。この泥の成分は、基礎工事の杭打ち現場のものじゃ」
如月さんのカマかけに、宗像支配人は観念したように深い溜息をついた。
彼は僕の方をちらりと見たが、如月さんの『下僕』だと判断したのか、重い口を開いた。
「実は、開業直前に、一人の建築デザイナーが失踪しました」
「建築デザイナー?」
「はい。有栖川という男です。彼は天才的な空間デザイナーでしたが、同時にひどい奇人でもありました。『このホテルは古代の神殿を模して作るべきだ』と主張し、建設現場に泊まり込んで、職人たちと酒を酌み交わすような男でして」
僕は思わず口を挟んだ。
「その有栖川って人、どうなったんですか?」
「わかりません。完成披露パーティーの昼、彼専用に用意されたグラスで乾杯した後、ふらりと姿を消しました。警察も内密に探しましたが、結局見つからず。現場の職人たちの間では『神隠し』だと噂されました」
「神隠しか。都合の良い言葉じゃな」
如月さんは鼻で笑った。
「だが、三十年前に神隠しにあった人間が、現代に新品のハニワを作ることはできぬ」
彼女は僕の手からハニワを取り上げ、宗像支配人に見せつけた。
「有栖川という男、陶芸が趣味ではなかったか?」
「あ、ああッ!そういえば、彼はよく現場の粘土を捏ねて、奇妙な人形を作っていました。『これは俺の分身だ』と言って、休憩時間中ずっと土を弄っていたのを覚えています」
ビンゴだ。
如月さんは満足げに頷き、ドレスの隠しポケットから万年筆を取り出して、空中で指揮棒のようにクルリと回した。
「サクタロウ。タブレットを出せ。このホテルの設計図じゃ」
「えっ、そんなもの持ってませんよ。ネットにも落ちてないし」
「宗像が出す。そうじゃな?」
如月さんが冷ややかな視線を向けると、宗像支配人は完全に抗う気力を失い、「はい」と頷いた。
彼は自身の業務用タブレットを取り出し、何重ものセキュリティパスワードを入力して、ホテルの内部設計図を表示した。
「これが、全フロアの図面です。お嬢様の権限でも、外部への持ち出しは厳禁ですが」
「ここだけで十分じゃ。サクタロウ、プロの目で見よ」
僕はタブレットを受け取り、画面をスクロールした。
ハッキングはできないが、デジタル化された図面から異常な箇所を見つけ出す『ウォー○ーを探せ』的な作業なら、僕の得意分野だ。自作PCの配線図を睨むのに比べれば、はるかに見やすい。
地下から低層階、客室フロアへと順番に確認していく。
「あ」
僕は46階、最上階の図面で指を止めた。
「如月さん、ここです。46階の角部屋『ロイヤル・スイート』。この部屋だけ、他の部屋と壁の厚さが違います」
僕は画面を最大までズームした。
「ほら、スイートの奥にあるウォークイン・クローゼットから、ホテルの外壁までの間。配管のパイプスペースにしては、不自然なほどの『空白』があります。これ、大人が十分生活できる広さの隠し部屋ですよ」
「決まりじゃな」
如月さんは、ハニワを奪い取るようにして自分のポケットにしまうと、優雅な動作でターンした。
ドレスの裾がふわりと舞い、石鹸と高級な香水の香りが僕の鼻をかすめた。
「宗像。案内せよ。三十年間、お主らがひた隠しにしてきた『開かずの間』へ」
宗像支配人は蒼白な顔で立ち尽くしていたが、如月コンツェルンの令嬢による絶対的な命令には、ただ従うしかなかった。
「わかりました。ですが、覚悟してください、お嬢様。あそこには、あそこには『亡霊』が出ると、一部の従業員の間で専らの噂ですので」
「亡霊?くだらぬ。わしが恐れるのは、無知と退屈だけじゃ。そこにいるのは、ただの『にんげん』じゃよ」
如月さんは不敵に笑い、僕に顎で合図した。
僕はリュックのベルトを握りしめ、小さく溜息をついた。如月さんに逆らえない以上、幽霊退治だろうが何だろうが、付き合うしかないらしい。せめて、これ以上ドレス姿に動揺して、情けない姿を晒さないように気をつけなければ。




