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第2巻:如月令嬢は『シャンパンのハニワを飲み干さない』  作者: アリス・リゼル


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第1話『祝杯の埴輪』 ~Section 2:呼び出されたパーカー少年と、ドレスの令嬢~

 電話から正確に十五分後。


 ホテル・セレーネの正面玄関にある大理石の車寄せに、場違いな金属音――キーッ!という自転車のブレーキ音が、悲鳴のように響き渡った。


「はぁ、はぁ……!如月さん、無茶言わないでくださいよ!」


 黒塗りの高級車やリムジンが優雅に滑り込む列に、強引に割り込んだのは、チェーンの油が切れた中古の自転車(通称:シルバーチャリオット号)と、くたびれたグレーのパーカーをフードまで被った少年、僕――サクタロウだった。


 髪は汗でぺたりと額に張り付き、細い目は不安そうに泳いでいる。


 その背中には、ハイスペックなPC機材や工具が詰まった登山用の大きなリュックサック。歩くたびに、チャックに取り付けられた地下アイドルグループ『GyoGyoっとラブ』のセンター・箱崎彩華(はこざき さやか)(はこざき さやか)の実写アクリルキーホルダーが、カチャカチャと音を立てて揺れている。


 煌びやかなドレスやタキシードに身を包んだ宿泊客たちが行き交うロビーで、団地住まいの僕の存在感は圧倒的な『異物』であり、即座に排除されるべき対象だった。


「お客様、困ります!ここは関係者以外立ち入り禁止で……駐輪場は裏手の従業員用へ……」


 血相を変えて飛んできたドアマンが、僕の自転車のハンドルをガシッと掴む。

 僕はビクッと肩を震わせ、縮こまった。大きな声や、制服を着た大人は苦手だ。


「す、すみません!すぐ退きます!でも、待ち合わせがあるんです!45階の……」


「45階は貸し切りパーティー会場です。あなたのような方が……」


 ドアマンが言いかけたその時、彼の耳元のインカムに、フロントから連絡が入ったようだ。彼は一瞬硬直すると、信じられないものを見る目で僕を見つめ直した。


『あー、玄関。そのパーカーの少年は『VIP』の連れだ。通せ。繰り返す、丁重に通せ。さもなくば、我々の首が飛ぶ』


 インカムの音漏れが聞こえたわけではないが、ドアマンの顔色がサッと青ざめ、掴んでいたハンドルから手を離すと、直立不動の姿勢をとったことで察しがついた。


「し、失礼いたしました!どうぞ、お通りください!自転車はこちらでお預かりします!」


「あ、ありがとうございます……」


 僕は引きつった笑みを浮かべ、ペコペコと頭を下げながら、逃げるようにロビーを駆け抜け、エレベーターホールへと向かった。


 間違いなく、如月さんの手回しだ。


 あの人は、ただの高校生のくせに、一体どうやってホテルのセキュリティ部門を脅したのだろうか。弱みを握っているのか、それとも単に『如月』の名の威光なのか。想像するだけで胃がキリキリと痛む。


 高速エレベーターに乗り込むと、強烈なGと共に上昇が始まる。耳がキーンとなる感覚を唾を飲み込んで耐え、45階のボタンを見つめる。


 今日は団地の自室で、父さんが作ってくれた筑前煮の残りを温めつつ、『魚魚(ぎょぎょ)ラブ』の周年記念ライブDVDを鑑賞して、推しの彩華ちゃんの尊さを反芻(はんすう)する予定だったのに。


 ちょうどアンコール、『深海魚の恋』のイントロが流れた瞬間の呼び出しだ。


 彼女からの指令は、いつだって災害のように突然で、不可避だ。


 チン、と軽やかな音が鳴り、扉が開く。

 そこには、別世界が広がっていた。


 深紅の絨毯。天井まで届くクリスタルの照明。そして、遠くのホールから漏れ聞こえる弦楽四重奏の優雅な調べ。


 その長い廊下の真ん中に、一人の少女が立っていた。


「遅い」


 第一声は、氷点下の非難だった。


 如月瑠璃(きさらぎ るり)

僕のクラスメイトであり、この街の支配者の娘。


 彼女は懐中時計をパチンと閉じると、ゆっくりとこちらを振り向いた。

 その瞬間、僕は息を呑み、思わず視線を床に落とした。


「ッ!?」


 いつもの彼女ではない。


 学校での彼女は、少し大きめのブレザーを着崩し、長い黒髪を無造作に垂らしている、ただの『目つきの悪い女子生徒』だ。そのおかげで、女性耐性のない僕でも、最近はどうにか『変人』というカテゴリに入れて会話が成立するようになっていた。


 けれど、今の彼女は違った。


 艶やかに結い上げられた髪。首元で光る真珠。

 そして何より、夜空のような深い青色のイブニングドレス。背中や肩が、信じられないほど大胆に露出していて、透き通るような白い肌が、ホテルの照明を浴びて発光しているようにさえ見える。


(見れない。直視できない……!)


 僕の『女性に対する防衛本能』が警報を鳴らす。

 普段隠されている部分が見えているというだけで、脳の処理速度が追いつかない。


 綺麗だとか、美しいとか、そういう感想を持つ以前に、『やばい、生身の女子だ』という事実が暴力的に突き刺さる。


 彩華ちゃんのような『画面の向こうのアイドル(2.5次元)』なら直視できるのに、リアルな女子の、しかも『おめかし』した姿は、劇薬すぎる。


「お主、どこを見ておる。まさか床の絨毯の繊維数を数えておるわけではあるまいな」


「い、いや、その……」


 僕は顔を真っ赤にして、視線を泳がせた。


 如月さんの顔を見ようとすると、どうしてもデコルテや肩のラインが視界に入ってしまう。だからといって下を見れば、ドレスのスリットが気になってしまう。


 結果、僕は明後日の方向にある観葉植物を凝視することしかできない。


「な、なんか、いつもと雰囲気が違うというか……その、服が……布面積が少ないというか……」


「は?何をゴニョゴニョ言っておる。パーティードレスとはこういうものじゃ。機能性より装飾性を重視した、非合理の極みじゃな」


 彼女は全く意に介していない様子で、呆れたようにため息をついた。


「14分58秒じゃ。カップラーメンなら三つは伸びておるぞ」


「はぁ、はぁ……。勘弁してくださいよ、如月さん。僕の愛車、ギア変速がないんですから……。ここに来るまでの坂道、地獄でしたよ」


 僕は観葉植物に話しかけるような体勢で、なんとか返事をした。


 汗だくのパーカー姿と、涼しい顔のドレス姿。

 傍から見れば、お姫様と、城に忍び込んだ挙動不審なコソ泥の構図だ。


「で?何があったんですか?まさか、このホテルのWi-Fiが繋がらないから直せとか、そういう用事じゃないですよね」


「見ろ」


 瑠璃は顎で足元をしゃくった。

 その冷徹な声色に、ようやく僕の動悸が少し落ち着く。


 そうだ、中身はあの『如月瑠璃』だ。見た目がいくらお姫様でも、中身は偏屈な鑑定マニアだ。そう自分に言い聞かせ、僕は恐る恐る視線を彼女の足元へ移した。


 そこには、汚れたシャンパングラスと、その中に鎮座するピカピカのハニワがあった。


「え?何ですかこれ。ゴミ?」


「お主の目は節穴か。よく見よ」


 瑠璃の命令に、僕は「はいはい」と諦めたようにリュックを下ろした。


 中からタブレット端末を取り出し、カメラモードを起動する。

 肉眼ではなく、デジタル越しに観察するのが僕の流儀だ。怖いものや汚いものも、そして直視できない女子の姿も、画面のフィルターを通せば少し安心できる。高解像度の画面でズームし、補正をかけると、その異様さが際立って見えた。


「うわ、汚いですね。グラスは泥だけじゃなくて、油汚れもひどい。でも、中のハニワだけ新品みたいに綺麗だ。指紋でベタベタですけど」


「左様。このグラスについた泥は、今日昨日ついたものではない。乾燥してひび割れておる。対してハニワは、今しがたまで誰かが愛でていたような艶がある」


 瑠璃は、手にした銀の匙の先端で、ハニワをコツンと軽く叩いた。


 彼女はすでに『鑑定モード』に入っている。その横顔を見て、僕もようやく、いつもの調子を取り戻しつつあった。


「サクタロウ。仕事じゃ。この廊下の防犯カメラを確認せよ。誰がこれを置いたのか、映像が残っておるはずじゃ」


「えっ?防犯カメラって」


 僕は廊下の天井を見上げた。ドーム型の監視カメラがこちらを向いている。


「これ、ホテルのセキュリティシステムですよね?僕が見れるわけないじゃないですか」


「何を言う。お主、パソコンが得意じゃろう?ちょちょいとハッキングして中身を覗けばよいではないか」


「はぁ!?無理ですよ!僕ができるのはゲームとAIのお絵かきくらいですよ!?ホテルのサーバーに侵入なんてしたら犯罪です、犯罪!父さんに迷惑かけられません!」


 僕はブンブンと首を振った。


 この人は僕を何だと思っているんだ。スーパーハッカーじゃあるまいし、そんなことできるわけがない。


「チッ。使えぬ男じゃな」


 瑠璃は心底がっかりしたように舌打ちした。美しい顔での舌打ちは、迫力がありすぎる。


「まあいい。デジタルが役に立たぬなら、アナログで解くまでのこと」


「役に立たないって……。あ、でも如月さん、あのカメラ」


 僕はタブレットのカメラ越しに、天井の監視カメラを最大ズームで映した。


「稼働ランプが消えてます。この機種、録画中は赤いLEDが点灯するはずなんですけど」


「ほう?」


「断線してるか、電源が入ってないか。どっちにしても、今は『死んでる』みたいですよ、あのカメラ」


「誰かが意図的に消したか、あるいは元々壊れておったか、じゃな」


 瑠璃は面白そうに唇を舐めた。


 僕の指摘通り、カメラが機能していないなら、これを置いた人物はそれを知っていたことになる。


「ふん。まあ、カメラがなくても、モノは雄弁に語る」


 瑠璃はドレスの裾が汚れるのも構わず、再び床に這いつくばった。

 その背中の白さに、僕はまた慌てて視線を逸らす。心臓に悪い。


 彼女は、手にした銀の匙ですくい取っておいた『泥』を、鼻先に近づけた。


 僕を呼び出した時点で既に採取しておいたサンプルだろう。


 彼女は目を閉じ、舌先で舐めるマネをして(実際には舐めずに、舌の上の感覚野で分析するように)呟いた。


「鉄分を含んだ赤土。微量のセメント粉末。そして、この鼻をつく古い重油の臭い」


 彼女は目を見開き、僕に向かって断言した。


「これは、園芸用の土ではない。三十年前、この月見坂市がまだ泥沼の埋立地だった頃の『造成地の土』じゃ」


「三十年前?」


「そう。このホテルが建つ前、基礎工事をしていた時代の土じゃよ。つまりこのグラスは、三十年間、どこかの暗闇に埋もれておったのじゃ」


 瑠璃はスプーンを懐のハンカチで拭うと、今度はハニワを指で摘み上げた。


「そして、このハニワ。サクタロウ、お主のスマホで検索せよ。これは歴史的な出土品か?」


 僕はパーカーのポケットからスマホを取り出し、画像検索にかける。


「えっと、違いますね。形は古墳時代の『踊る人々』に似てますけど、こんなにテカテカしてないし……あ、底に小さく『S.K』って掘ってあります。これ、最近誰かが作った手作り品ですよ」


「三十年前の土を纏ったグラスと、現代で作られた手製のハニワ。時系列がねじれておるな」


 瑠璃は立ち上がり、ハニワを照明にかざした。


「面白い。このホテルのどこかに、三十年前から時間を止めたまま、せっせとハニワを焼き続けている『穴蔵』があるようじゃ」



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