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第2巻:如月令嬢は『シャンパンのハニワを飲み干さない』  作者: アリス・リゼル


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第2話『白と黒』 ~Section 5:邂逅の交差点と、空回りの猟犬~

 漆黒の超高級リムジンが、旧市街の入り組んだ石畳の路地を滑るように進んでいく。


 車窓から見える景色は、先ほどまで僕たちがいた純喫茶のある裏通りよりも、さらに時代を遡ったかのような古風な街並みだった。木造の立派な町屋や、黒板塀が続く静かな一角。月見坂市が新市街という名のスマートシティへと変貌を遂げるずっと前から、この街の裏側で権力者たちが密かに集ってきた歴史の重みを感じさせる場所だ。


「お嬢様。目的地の『玄黙亭』に到着いたしました」


 運転席からの報告と同時に、リムジンが静かに停車した。


 黒田さんが外から後部座席のドアを開ける。僕は緊張しながら先に降り、如月さんが降りるためのスペースを空けた。


 目の前には、料亭と見紛うような立派な門構えの和風建築がそびえ立っている。門の横には控えめな文字で『碁会所 玄黙亭』と彫られた木札が掲げられており、漂ってくる微かなお香の香りが、如月さんの言っていた『伽羅の匂い』だとすぐに分かった。


「実に良い佇まいじゃ。新市街の無機質なガラスの箱とは大違いじゃな」


 如月さんは満足げに頷き、身につけている我が校の制服のプリーツスカートを軽く払いながら、優雅な足取りで門へと向かおうとした。


 月見坂市を支配する如月コンツェルン系列のエリート校である僕たちの制服は、無駄に装飾が多くて高級な生地が使われている。そのため、ただの高校の制服であっても、彼女のような圧倒的な美貌の持ち主が着ると、まるでどこかの王族の正装のように見えてしまうのだ。古い石畳と和風の門構えを背景に立つ彼女の姿は、一枚の絵画のように完成されていた。


 だが、僕がそんな場違いな感心に浸っていたその時だった。


「そこを退いてください!警察です!」


 路地の奥から、切羽詰まったような大声と、複数の革靴が石畳を激しく蹴る音が聞こえてきた。


 僕が驚いて振り返ると、二人の男が息を切らしながらこちらへ向かって走ってくるのが見えた。一人はくたびれたトレンチコートを着た無精髭の中年男性。そしてもう一人は、仕立ての良いネイビースーツを着こなし、まるでファッション誌から飛び出してきたような長身の若い男性だった。


 若い方の男性は、周囲を血眼になって見回し、何かを探しているようだった。その瞳は、悪を絶対に許さないという狂信的なまでの正義感でギラギラと燃え上がっている。


「瀬田先輩!この路地にも不審な車両はありません!やはりあの強盗犯ども、もっと複雑な路地裏に車を乗り捨てて潜伏したとしか」


 若い男性が言いかけて、ピタリと足を止めた。


 彼の視線が、路地を塞ぐように停まっている漆黒の超高級リムジンと、その横に立つ数人の屈強なボディガードたち、そして何より、門の前に立つ制服姿の一人の少女に釘付けになったのだ。


「あ、あなたは」


 若い男性の口から、掠れた声が漏れた。


 彼はまるで雷にでも打たれたかのように硬直している。その整った顔立ちが、驚愕から、やがて信じられないほどの歓喜と熱情へと染まっていくのを、僕は特等席で見てしまった。


「まさか。如月コンツェルンの御令嬢、如月瑠璃様ですか!?」


 男性が、弾かれたように如月さんの前へと駆け寄ってきた。


 黒田さんたちボディガードが一瞬で間に割って入ろうとしたが、如月さんが手でそれを制した。彼女は冷ややかな、まるで路傍の石でも見るような目で、スーツの男性を見下ろした。


「いかにもわしが如月瑠璃じゃが。見知らぬ男に気安く名を呼ばれる筋合いはないぞ」


「おお、やはり!お会いできて光栄です!私は警視庁捜査一課の巡査部長、神宮寺海斗と申します!先日の西園寺社長拉致事件では、我々警察の初動を遥かに凌駕する素晴らしい推理と行動力で人命を救っていただき、本当にありがとうございました!」


 神宮寺と名乗ったその刑事は、九十度の見事な直角お辞儀を繰り出した。


 僕はその名前を聞いて、ハッと息を呑んだ。


 神宮寺海斗。先日の事件の後、僕の団地の部屋のスペースを理不尽に奪っている、あの巨大な警察マスコットの『ツキマロくん』のぬいぐるみと、感謝状と暑苦しい長文の手紙を送りつけてきた張本人だ。


 まさかこんなところで、ご本人と遭遇してしまうなんて。


「神宮寺、じゃと?」


 如月さんは不快そうに眉をひそめた。


「ああ、思い出したぞ。わしが処理したゴミの塊を、さらに別の無価値なぬいぐるみ(ゴミ)に変換して送りつけてきた、あの空気の読めない愚か者か」


「ゴ、ゴミ!?」


 神宮寺刑事は一瞬ショックを受けたような顔をしたが、すぐに「なるほど、これがあの噂に聞く天才特有の照れ隠しですね!」と、勝手にポジティブすぎる解釈をして顔を輝かせた。どうやらこの人、顔はめちゃくちゃカッコいいのに、中身は相当な天然ボケのようだ。


「おい海斗、お前何やってんだ。こんな所で油売ってる場合じゃねえだろ」


 遅れて追いついてきたトレンチコートの中年刑事、瀬田さんが、呆れたように神宮寺刑事の肩を掴んだ。


「瀬田先輩!見てください、如月瑠璃様ですよ!やはり私の勘は正しかった。彼女はこの旧市街で強盗犯が乗り捨てた車両の情報を聞きつけ、我々を助けるために独自の捜査網を使って現場へ駆けつけてくださったのです!」


「はぁ?」


 瀬田刑事だけでなく、僕も思わず間抜けな声を上げてしまった。


 強盗犯?乗り捨てた車両?


 この人たちは一体何の話をしているのだろうか。僕たちがここに来たのは、喫茶店のテーブルの下に落ちていた『厚みの違う碁石』の持ち主をからかいに来ただけなのだ。


「勝手にわしの行動を捏造するな、犬のおまわりさん」


 如月さんは氷点下の声で言い放った。


「わしはお主らのような泥臭い事件の捜査など一ミリも興味がない。強盗犯がどうなろうと知ったことではないし、正義の味方ごっこをする趣味もないのじゃ。わしはただ、この『玄黙亭』に用があるだけじゃ。さっさと道を空けよ」


 普通なら、ここまで冷たくあしらわれれば怒るか引き下がるかのどちらかだろう。


 だが、神宮寺刑事の瞳に宿る熱情は、消えるどころかさらに激しく燃え上がっていた。彼は如月さんの冷徹な言葉すらも、崇高な使命感を隠すためのストイックなポーズだとでも思い込んでいるらしい。十歳も年下の女子高生に対して、完全に一目惚れの『ガチ恋』状態に陥っているのは、鈍感な僕の目から見ても明らかだった。


「素晴らしい。いかなる権力や賞賛にも媚びず、ただ己の信念のみを貫くその気高さ。まさに私の理想とする正義の体現者だ」


 神宮寺刑事はうっとりとした表情で呟き、そして如月さんに向かって熱烈に訴えかけた。


「瑠璃様!現在、この旧市街のどこかに、銀行を襲撃した凶悪な武装強盗グループが人質を連れて潜伏しています。我々警察の威信にかけて必ず捕らえてみせますが、相手は銃器を持った危険な連中です。どうか、この神宮寺海斗に、貴女の身を護る盾となることをお許しください!」


「不要じゃ。わしにはすでに優秀な番犬がおるからな」


 如月さんは黒田さんを顎でしゃくると、鬱陶しそうに手でシッシッと神宮寺刑事を追い払う仕草をした。


「それに、盾という意味なら、そこにいるサクタロウで十分じゃ」


 如月さんが無慈悲にも僕を指差した瞬間、場の空気が凍りついた。


 神宮寺刑事の燃えるような視線が、如月さんから一転して、そのすぐ斜め後ろで縮こまっていた僕へと向けられたのだ。


「君は」


 神宮寺刑事の声が、地を這うように低くなった。


 先ほどまでのキラキラした熱血刑事の顔が消え、まるで親の仇でも見るかのような、嫉妬と敵意に満ちた鋭い眼光が僕を貫く。僕は女性に対する耐性が皆無で、クラスの女子と話すだけでも緊張してしまうようなただのオタクだ。そんな僕が、大人の、しかも第一線で活躍するエリート刑事から本気の殺気を向けられるなんて、恐怖で胃に穴が開きそうだった。


「なぜ、君のようなただの一般市民の少年が、瑠璃様のこんなお側にいるんだ。盾だと?君のようなか弱き少年が、銃弾飛び交う現場で瑠璃様をお守りできるとでも言うのか!」


「いや、あの、僕は別に盾になろうなんて思ってなくてですね。ただの同級生というか、荷物持ちというか」


 僕が震え声で弁解しようとするが、神宮寺刑事は聞く耳を持たなかった。


「許せん。私がどれほど瑠璃様のお役に立ちたいと願っても冷たくあしらわれるというのに、君はそんな無気力な顔で、彼女の隣という特等席に陣取っているなど。警察官として、いや、一人の男として断じて見過ごせん!」


「海斗、お前マジでいい加減にしろよ。職権乱用して一般の高校生に嫉妬してどうするんだ。恥ずかしくないのか」


 瀬田刑事が頭を抱えながら神宮寺刑事の首根っこを掴んで引っ張るが、神宮寺刑事の僕への理不尽な敵意は収まる気配がなかった。


 なぜ僕がこんな目に遭わなければならないのだろうか。僕はただ、喫茶店でメロンクリームソーダのファインプレーを決めただけなのに。如月さんの無茶振りに巻き込まれている最大の被害者は間違いなく僕だというのに、このエリート刑事にはそれが全く理解できていないらしい。


「サクタロウ。お主、そんな馬鹿に関わっている暇はないぞ。さっさと来い」


 僕の胃痛など一ミリも気にする様子もなく、如月さんは制服のスカートを翻し、『玄黙亭』の立派な門をくぐっていった。


「あ、はい!今行きます!すみません刑事さん、僕たちはこれで!」


 僕は神宮寺刑事の刺さるような嫉妬の視線から逃れるように、何度もペコペコと頭を下げながら如月さんの背中を追った。


 門をくぐり、打ち水がされた美しい日本庭園の飛び石を歩きながら、僕は深く、本当に深いため息をついた。


 後ろからは、「瑠璃様!どうかご無事で!私が必ず旧市街の安全を確保いたします!」という神宮寺刑事の暑苦しい声と、「お前は仕事しろ馬鹿野郎」という瀬田刑事の怒号が聞こえてくる。


 旧市街の奥深くに潜む凶悪な銀行強盗。


 僕たちを追う、正義感と恋心で空回りする厄介な熱血刑事。


 そして、それらの騒動に一切の関心を持たず、ただ『〇・三ミリの厚みが違う碁石』のルーツを探るためだけに老舗の碁会所へと足を踏み入れる、絶対君主の令嬢。


 盤外で絡み合う複雑なノイズをよそに、如月瑠璃の極上の鑑定が、いよいよ核心へと迫ろうとしていた。



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