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第2巻:如月令嬢は『シャンパンのハニワを飲み干さない』  作者: アリス・リゼル


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第2話『白と黒』 ~Section 2:新市街の凶行と、一蹴された提案~

 月見坂市の空は、いつだって嘘くさいほどに青い。


 この街を支配する如月コンツェルンが設計したスマートシティである『新市街』は、すべてが『最適解』で構成されている。空気を汚さない電気自動車が音もなく滑り、AIが管理する清掃ロボットが、道端の塵一つ、あるいは人々の心に生じるわずかな『ノイズ』さえも見逃さずに処理していく。


 超高層ビルのガラス壁は、太陽の光を効率よく街の隅々にまで反射させるように計算され、地上には影さえも許されないかのような、徹底した清潔さと規律が守られていた。完璧に調律された、ディストピアに近いユートピア。それがこの新市街というエリアの絶対的なルールである。


 だが、その完璧な世界のど真ん中で、絶対にあってはならない強烈な『ノイズ』が発生していた。


 新市街の大通りに面した国内最大規模のメガバンク、『月見坂第一銀行』本店の豪奢なエントランス前は今、けたたましいサイレンの音と、無数のパトカーが放つ暴力的な赤色灯の海に沈んでいる。


 白昼堂々の銀行強盗。しかも、逃げ遅れた行員と客を数名抱え込んだ、最悪の人質立てこもり事件だ。


 周囲の道路は完全に封鎖され、遠巻きに事態を見守る野次馬たちを所轄の警官が必死に押し留めている。銀行の正面入り口には、全身に重装備の防弾チョッキとヘルメットを纏った警視庁の特殊事件捜査係、通称『SIT』の隊員たちがアサルトライフルと防弾盾を構え、分厚い規制線の内側に陣取っていた。


「状況はどうなっている!ネゴシエーターの交渉は!」


 現場の指揮本部として設営されたマイクロバスの横で、警視庁捜査一課の神宮寺海斗(じんぐうじ かいと)巡査部長が、声を荒げて所轄の刑事に詰め寄っていた。


 仕立ての良いネイビースーツは汗ばみ、ファッションモデルのように整った顔立ちには隠しきれない焦燥と、悪に対する激しい怒りが浮かんでいる。


「犯人グループは四名!全員が目出し帽を被り、散弾銃や拳銃で重武装しています。現在、SITの交渉班が内線電話でコンタクトを取っていますが、極めて難航しています。要求は逃走用の車両と、警察による追跡を一切行わないことの確約のみ。現金はすでに数千万単位でボストンバッグに詰め込ませたようです」


「馬鹿な、このAIが完璧に管理する月見坂市のど真ん中で、大金を持ったまま逃げ切れるとでも思っているのか! ここは防犯カメラとNシステムの網の目だぞ!」


 神宮寺が怒りに任せて手元のバインダーを叩きつけようとした手を、横から伸びてきた節くれだった手がガシリと掴んで止めた。


「落ち着け海斗。血の気を多くしても人質は救えねえぞ」


 くたびれたトレンチコートを着た中年のベテラン刑事、瀬田明彦(せた あきひこ)警部補だった。


 無精髭を生やした瀬田は、鋭い眼光を銀行のすりガラスに向けたまま、懐から出した煙草を咥えた。もちろん、現場で火を点けるような真似はしない。ただの精神安定剤代わりだ。


「相手は素人じゃない。銀行の構造も、我々警察の初動時間も完全に計算し尽くしたプロの犯行だ。四人もいれば、人質を盾にされたらSITでも簡単には踏み込めねえ。強行突入して民間人に一発でも流れ弾が当たれば、警視庁の首がいくつあっても足りんからな」


「しかし瀬田先輩!このまま彼らの要求を呑んで逃走を許せば、人質の命の保証はありません!どこかの廃工場にでも連れ込まれて口封じされれば、それこそ取り返しがつかない事態に」


 神宮寺が食い下がったその時、銀行の正面エントランスの自動ドアが、けたたましい警告音と共に強引にこじ開けられた。


「動きがあったぞ!全員構えろ!」


 SITの隊長が怒号を飛ばし、数十の銃口とレーザーサイトが一斉にエントランスへと向けられる。


 ガラス扉の向こうから現れたのは、黒い目出し帽を被った大柄な男たちだった。彼らの手には黒光りする銃身が握られ、そして何より警察を絶望させたのは、彼らの陣形だった。


 犯人グループは、若い女性行員の両腕を掴み、自分たちの身体を完全に隠す『肉の盾』として前面に押し出しながら、じりじりと階段を降りてきたのだ。女性行員は恐怖で顔面を蒼白にし、声にならない悲鳴を上げている。


「くそっ、撃てません!犯人の射線が完全に人質と被っています!」


 SITの狙撃手からの悲痛な無線が響く。


「下がるな!囲め!絶対に車に乗せるな!」


 神宮寺が拳銃を抜き放ち、自ら前に出ようとした。だが、犯人の一人が空に向かって散弾銃の引き金を引いた。


 鼓膜を破るような轟音と共に、如月コンツェルンが設計した完璧な超高層ビルのガラス壁の一部が粉々に砕け散り、鋭い破片が雨のように降り注ぐ。影すら許されない美しきユートピアに、致命的な傷跡が刻み込まれた瞬間だった。規制線の外で悲鳴が上がり、最前線の警察官たちの動きがほんの一瞬、反射的に止まる。


 その数秒の隙を突いて、犯人グループは銀行の脇に強引に乗り付けられていた白いワンボックスカーに人質ごと雪崩れ込み、急発進させた。


「逃がすかッ!」


 神宮寺は猛ダッシュで待機していた覆面パトカーに飛び乗り、瀬田も舌打ちをしながら助手席に滑り込んだ。タイヤが白煙を上げ、けたたましいサイレンと共に白いワンボックスカーの追跡が始まる。


「各局!マル被の車両は新市街の大通りを南下中!人質一名を乗せている、発砲の危険あり!航空隊、上空からの追跡を急げ!」


 瀬田が無線で怒鳴る中、神宮寺は巧みなハンドル捌きで犯人の車両を追う。しかし、犯人もこのスマートシティの構造を熟知しているのか、AI監視カメラの死角となる地下道や、大型トラックの陰を巧妙に利用して距離を離していく。


「瀬田先輩、まずいです。このルート。奴らは巨大な川を越えて、旧市街のエリアに逃げ込む気です!」


 神宮寺の額から、焦りの汗が流れ落ちた。


 月見坂市のもう一つの顔、『旧市街』。新市街のようにすべてが計算された碁盤の目状の道路ではなく、迷路のように入り組んだ細い路地や、一方通行の坂道が無数に存在するエリアだ。如月コンツェルンのAIネットワークも、あのアナログで混沌とした古い街並みの隅々にまでは行き届いていない。一度あの複雑な血管のような路地に潜り込まれれば、最新鋭のシステムを誇る警察車両での追跡は極めて困難になる。


「クソッ、Nシステムのカメラもあの界隈は死角が多い! ヘリから見失ったら厄介なことになるぞ」


 瀬田の危惧は、数分後に最悪の形で現実となった。


 旧市街の入り口にある複雑な立体交差の下で、追跡していたヘリコプターからの無線が途絶えた。さらに地上部隊も、入り組んだ路地裏の連続と不規則な信号に足止めを食らい、ついに白いワンボックスカーのテールランプを完全に見失ってしまったのだ。


「見失いました!くそっ、付近の道路を完全に封鎖しろ!しらみ潰しに探すんだ!」


 神宮寺はパトカーを急停車させ、ハンドルを強く叩いて悔しさに顔を歪めた。


 人質を乗せた武装強盗犯が、入り組んだ旧市街のどこかに潜伏してしまった。カメラもGPSも通用しないアナログな迷宮の中で、どうやって彼らを見つけ出せばいいのか。


 その時、神宮寺の脳裏に、先日のホテルで起きた拉致事件の光景が鮮烈な稲妻のように閃いた。警察のハイテク機器が全く役に立たなかった状況下で、車の熱やタイヤの跡、そして白紙の伝票という完全に物理的でアナログな痕跡だけを頼りに、誰よりも早く犯人のアジトを特定してみせた、あの圧倒的な美貌の少女のことだ。


「瀬田先輩!提案があります!」


 神宮寺は真剣な眼差しで、助手席の瀬田を振り返った。


「彼女に。如月瑠璃様に、捜査の協力を要請しましょう!彼女のあの神業のような五感と観察眼があれば、この複雑な旧市街の迷路の中からでも、必ず犯人の痕跡を見つけ出してくれるはずです!あのアナログな街こそ、彼女の能力が最も活きる場所だ!」


 後輩のあまりにも唐突で突拍子もない提案に、瀬田は咥えていた煙草をポロリと落としそうになった。


「はぁ?お前、頭でも打ったのか。なんでこんな泥臭い強盗事件に、あの月見坂市を支配する如月グループのトップの孫娘が首を突っ込んでくれると思うんだ」


「彼女は正義の味方です!先日の事件でも、自らの危険を顧みず被害者を救い出してくれました。今回も無実の銀行員の命が懸かっていると知れば、必ず我々に力を貸してくれるはずです!」


 神宮寺の瞳は、一点の曇りもない純粋な信頼と、一種の熱狂的な崇拝に満ちていた。


 瀬田は深いため息をつき、こめかみを強く揉んだ。この後輩は優秀で正義感に溢れる男だが、一度思い込むと周囲が見えなくなるという致命的な欠点がある。


「海斗、目を覚ませ。あのお嬢様が動いたのは、自分のコレクションの薄汚いグラスに血がついたから激怒しただけだ。人命救助なんてこれっぽっちも興味がねえ、底知れねえエゴイストだぞ。それに、我々警察が民間人。しかも未成年の女子高生に、凶悪犯の捜索を公式に依頼できるわけがねえだろうが」


「公式が無理なら、私が個人的にお願いに上がります!彼女は照れ隠しで冷たい態度をとっているだけで、その胸の奥には我々と同じ、熱い正義の炎が燃えているのですから!」


「おい、話を聞けっての!勝手な行動は」


 瀬田の制止を振り切り、神宮寺は決意に満ちた表情で再びパトカーを急発進させた。その瞳には、巨悪を討つ正義への使命感と、一人の令嬢に対する狂信的なまでの熱情が宿っている。


 彼らが血眼になって探している『正義の味方の令嬢』が、強盗事件や警察の窮地など一ミリも知らぬ顔で、まさにこの旧市街のレトロ喫茶でメロンクリームソーダを堪能し、偶然落ちていた『碁石』に目を輝かせていることなど、熱血刑事は知る由もなかった。


 嘘くさいほどに青い空の下で起きた凶行は、完璧なスマートシティを抜け出し、影の濃い旧市街へと舞台を移す。デジタルな捜査網をすり抜けた凶悪犯と、正義感の空回りする刑事。そして、ただ不純物のルーツを探求するだけの令嬢。全く交わるはずのなかった三者の運命の糸が、古い迷宮の中で静かに、そして確実に絡み合おうとしていた。



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