次に会えるのは、いつ?
二度目に王城へ行った時、リアは扉が開くより先にそちらを見ていた。
「失礼します」
アレンと一緒に部屋へ入ると、窓辺にいたリアと目が合った。
ほんの一瞬、リアの表情がぱっと明るくなったように見えた。
「こんにちは、王女殿下」
「……こんにちは」
前に会った時より、返事が早い。
それだけなのに、シェイドは少し嬉しくなった。
今日も最初だけ、セドリックとエリーゼ、ルイが同席していた。
「本日もよろしくお願いいたします」
シェイドが頭を下げると、リアも小さく礼を返した。
「……よろしくお願いします」
そこで会話が止まった。
けれど、今度のシェイドは困らなかった。
「今日も、あの本を読みますか?」
リアが顔を上げる。
「……うん」
今度は、ほとんど迷わなかった。
エリーゼが少しだけ笑う。
「では、今日も二人で過ごしてみましょうか」
リアとシェイドがそれぞれ椅子へ座るのを確認してから、セドリックたちは隣室へ移った。
何かあれば、すぐに呼べる距離だった。
◇
テーブルの上には、前に読んだ絵本が置かれていた。
「これ」
リアが指をさす。
「……もう一回読んだの」
「そうなんですか?」
「うん」
「やっぱり、この竜が好きですか?」
「……好き」
「僕も好きです」
リアが少しだけシェイドを見る。
「シェイドも?」
「はい」
前なら、そこで会話が終わっていた。
けれど今日は、リアが本を開いて続けた。
「この騎士は……ちょっと嫌」
シェイドは思わず笑う。
「最初、話も聞かずに竜を倒そうとするからですか?」
「うん」
「僕もそこは良くないと思います」
「でしょ?」
ほんの少し、リアの声が弾んだ。
シェイドはページをめくる。
「でも、最後はちゃんと謝りますよ」
「遅いもん」
「厳しいですね」
「だって、竜かわいそう」
「それはそうですね」
リアがくすっと笑った。
その顔を見て、シェイドは一瞬だけ言葉を止める。
「どうしたの?」
リアが首を傾げた。
「いえ」
「何?」
「何でもないです」
本へ視線を戻す。
笑うと、もっと綺麗だと思った。ただ、それをそのまま言うのは、何となく恥ずかしかった。
◇
三度目に会った日、テーブルの上にあったのは絵本ではなく、花の図鑑だった。
「今日はこれですか?」
リアが頷く。
「……花の本」
図鑑を開き、一つの花を指した。白い小さな花だった。
「これ、好き」
「綺麗ですね」
「お庭にも咲いてるの」
「王城の庭に?」
「うん」
そこでリアが黙った。
シェイドは続きを待った。何かを言いかけているようだったので、次の質問はしなかった。
やがて、小さな声がした。
「……見る?」
シェイドが顔を上げる。
「いいんですか?」
「うん」
「見たいです」
リアの口元が、少しだけ緩んだ。
◇
王城の庭園は、騎士団の中庭とはまるで違っていた。
綺麗に整えられた小道の両側に、色とりどりの花が咲いている。
リアはシェイドの少し前を歩いた。その後ろを、シェイドがついていく。
今日は少し離れたところから、エリーゼとアレンも同行していた。
「こっち」
リアが振り向く。
「はい」
花壇の端に、小さな白い花がいくつも咲いていた。
「これ」
「あ。本と同じですね」
「うん。春になると、もっといっぱい咲くの」
リアがしゃがむ。シェイドも、少し離れたところで腰を落とした。
「王女殿下は、春が好きなんですか?」
「……好き」
「僕も春は好きです」
「どうして?」
「暖かいから」
リアが目を瞬く。
「それだけ?」
「それだけです」
少し間があって、リアがくすっと笑った。
「変なの」
「変ですか?」
「ちょっと」
「王女殿下は、花が咲くから?」
「うん」
「そっちの方が、春が好きな理由らしいですね」
「らしい?」
「僕のよりは」
リアがまた笑った。
後ろを歩いていたエリーゼが、ほんの少しだけ足を緩める。アレンも何も言わず、二人を見守っていた。
◇
何度か会ううちに、リアから質問されることも増えていった。
「シェイドは、お城にいない時は何してるの?」
「騎士団にいますよ」
「ずっと?」
「ほとんど」
「何するの?」
「剣の練習をしたり、勉強したり。頼まれたことを手伝ったり」
「……楽しい?」
「楽しいです」
シェイドは迷わず答えた。
「みんないますから」
「前に言ってた、助けてくれた人たち?」
「はい」
リアが少し興味を持ったように顔を上げる。
「剣は、誰に教わってるの?」
「バルドです。あまり喋らないけど、剣がすごく強いんです」
「怖い?」
「全然。僕ができるようになるまで、何度でも見てくれます」
「優しいんだね」
「はい。でも、もう少し練習したいって言っても、終わりだと言ったら変えてくれません」
「疲れちゃうから?」
「そうみたいです。グレンには、まだやりたそうな顔してるって笑われます」
「あ」
リアが反応した。
「グレンなら知ってる」
「知ってるんですか?」
「うん。最近、エヴァンと一緒にお兄様の護衛になった人」
「そうです。二人とも、王城で会うことが増えました」
「エヴァンは、グレンの声が大きいと注意するの」
「騎士団でも同じですよ」
「お兄様のお部屋の近くでも、声が聞こえるの」
シェイドは思わず頷く。
「分かります。騎士団でも、どこにいるかすぐ分かります」
「やっぱり?」
二人で少し笑った。
「でも、困ってるとすぐ来てくれますよ。僕が重いものを持とうとすると、持っていっちゃうんです」
「シェイドが怪我しないように?」
「たぶん。でも、自分が怪我した時は平気だって言うから、治療してって言います」
「ちゃんと行く?」
「この前は、二回言ったら行きました」
リアが楽しそうに笑う。
「シェイドが言うの?」
「僕も、怪我したら治療するように言われますから」
「誰に?」
「いろんな人に。セシルにも、隠したら駄目だって言われます」
「セシルは、前から知ってる」
リアの声が、少し落ち着いたものになった。
「そうなんですか?」
「うん。お兄様と小さい時から一緒にいるから」
「幼馴染なんですね」
「うん。今は護衛もしてくれてるの」
「セシルも、ルイ殿下の護衛になったんですね」
「そう。お兄様、セシルにはよく相談してるよ」
「王女殿下とも、よくお話しするんですか?」
「……挨拶したりするくらい」
「そうなんですね」
シェイドは、それ以上聞かなかった。
「セシルは、勉強も教えてくれます。分からない字があったら聞くんです」
「優しく教えてくれる?」
「はい。でも、僕が変なことすると、すぐ気づきます」
「変なことするの?」
「……たまに」
「どんな?」
「それは秘密です」
「気になる」
「秘密です」
リアが少し頬を膨らませた。
「ずるい」
「そんなに気になりますか?」
「うん。シェイド、ちゃんとしてるから」
シェイドは少し困ったように笑った。
「そんなことないですよ。怪我をしても、これくらいなら平気だと思って、言わなかったりします」
「それは駄目だと思う」
「……王女殿下も、セシルと同じことを言うんですね」
「だって、痛いままだったら嫌だもん」
シェイドはリアを見た。
リアは笑わず、真面目な顔をしている。
「今は、怪我してない?」
「はい。大丈夫です」
「なら、よかった」
ほっとしたように表情を緩めるリアを見て、シェイドも小さく笑った。
「ちゃんと手当てしてもらいましたから」
「次は、黙ってたら駄目だよ」
「……はい」
思わず素直に返事をすると、リアの口元に少し笑みが戻った。
◇
別の日、リアが尋ねた。
「シェイドは何が好き?」
「僕ですか?」
「うん」
「剣の練習」
「それ、楽しいの?」
「楽しいです」
「大変じゃない?」
「大変ですよ」
「じゃあ、何で好きなの?」
シェイドは少し考えた。
「昨日できなかったことが、今日できるようになると嬉しいからです」
「……そっか」
「王女殿下は?」
「わたし?」
「はい。花以外に好きなもの」
リアはしばらく考えた。
「本」
「どんな本ですか?」
「お話の本が好き」
「僕も読みます」
「本当?」
「はい。騎士団にも本がありますから」
「どんなの?」
「騎士が旅をするお話とか。セシルが貸してくれることもあります」
「今度教えて」
「いいですよ」
答えてから、シェイドはふと気づいた。
最初に会った時は、一つ質問することすら、困らせるような気がした。それなのに今は、こうして普通に話している。
リアも、聞きたいことを自分から尋ねてくれる。
次はどの本の話をしようか。そんなことを考えるのが、嬉しかった。
◇
ある日の帰り、シェイドはリアへ向き直った。
「では、王女殿下。今日はこれで」
「……うん」
一礼して出口へ向かおうとすると、名前を呼ばれた。
「シェイド」
「はい?」
「次は、いつ来る?」
「団長に聞いてみないと分かりません」
「……そっか」
分かりやすく残念そうな顔をする。
シェイドは少し困った。その顔を見たまま帰るのが、なぜか嫌だった。
「でも、また来ますよ」
リアが顔を上げる。
「……本当?」
「はい」
「絶対?」
「団長に止められなければ」
「絶対じゃない」
「それなら……」
シェイドは少し考えた。
「僕も、また来たいです」
リアの目が少し大きくなる。
「……シェイドも?」
「はい」
口にしてから、シェイド自身も少しだけ驚いた。
最初は、アレンに頼まれたから来ただけだった。王女殿下の話し相手になってほしいと言われ、自分にできるのか心配していた。
けれど今は、リアが好きな花を教えてくれるのも、騎士団の話を聞いて笑ってくれるのも楽しい。
話すことがなくなって、一緒に本を読んでいる時間も好きだった。
「だから、また来ます」
「……うん」
リアが嬉しそうに笑った。
シェイドも、自然に笑顔になった。
◇
騎士団へ戻ると、レミユが廊下から声をかけてきた。
「おかえり」
「ただいま」
「今日も王城?」
「うん」
「リア様のところ?」
「そうだよ」
「どうだった?」
「楽しかった」
考えるより先に答えていた。
レミユが少し目を丸くする。
「へえ」
「何?」
「いや。別に」
「変なの」
シェイドはそのまま歩き出した。
数歩進んで、ふと立ち止まる。
「……団長、次いつって言ってたかな」
「ん?」
「何でもない」
再び歩き出す。
次に会ったら、今日話せなかった本のことを教えよう。リアは気に入ってくれるだろうか。
今度王城へ行く日がいつなのか。
そのことが、自分でも思っていたより、ずっと気になっていた。




