人見知りのお姫様
「初めまして。シェイドと申します。本日はお会いできて光栄です、リア王女殿下」
シェイドは胸元へ片手を添え、静かに頭を下げた。
セドリックが一瞬、その一礼に目を留めた。
その傍らには、リアの兄である王太子ルイもいた。妹より少し背の高い少年は、リアの様子を気にしながら、シェイドへ目を向けている。
けれど、シェイドはその視線に気づかなかった。頭を上げた時、正面にいる少女の姿が目に入ったからだ。
淡い金色の髪に、澄んだ碧い瞳。まだ幼さの残る顔立ちなのに、不思議なくらい目を引く。
綺麗な子だと思った。
けれど、目が合った瞬間、リアは視線を伏せた。身体の前で重ねた指が、ドレスの布を少しだけ握っている。
それでも小さく息を整え、もう一度顔を上げた。
「……初めまして。リア・フェリスティルです」
声は小さい。けれど、王女としての挨拶はきちんとしていた。
「よろしくお願いします……」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
シェイドも軽く礼を返す。
そこで、会話が止まった。
シェイドは少し困った。
王城へ来る前、アレンから、リアは人見知りが強いと聞いていた。特に同じ年頃の男の子を前にすると、緊張して話せなくなることがあるのだという。
急いで返事を求めずに待てるシェイドなら、話し相手を頼めると思った。アレンはそう言っていた。
無理に会話を続けようとしなくてもいい、とも。
けれど、挨拶のあとにここまで何も続かないとは思わなかった。
好きな食べ物を聞こうか。本が好きか、普段は何をしているのか。話題はいくつか思いつく。
でも、リアの指先を見ると、布を握る力がさっきより強くなっていた。
答えなければいけないことを増やしたら、もっと困らせてしまうかもしれない。
「……王女殿下」
「はい……」
リアが小さく返事をする。
シェイドは少し考えてから言った。
「話さなくて大丈夫です」
リアが顔を上げた。
「……え?」
「無理に話そうとしなくても大丈夫です」
シェイドは少しだけ笑った。
「僕も、知らない人と何を話したらいいか分からない時があります。だから、王女殿下も話したくなった時で大丈夫です」
リアはシェイドを見た。
今度は、すぐには視線を逸らさなかった。
少しして、エリーゼが柔らかく口を開く。
「リア。少しここでシェイドと過ごしてみる?」
リアは母を見た。それから、シェイドを見る。
しばらく迷って、小さく頷いた。
「……うん」
「では、お二人はこちらへ」
アレンが椅子を示す。
リアが先に腰を下ろし、それを見てからシェイドも向かいの椅子へ座った。
「失礼します」
間には小さなテーブルがあり、手を伸ばしても相手には届かない。
シェイドには、そのくらいの距離がちょうどいい気がした。
◇
「では、私たちは隣の部屋にいますね」
エリーゼが言うと、リアは少しだけ母を見た。
「何かあれば、すぐに呼んでいいのよ」
「……うん」
セドリックとエリーゼが先に部屋を出る。
ルイは最後まで少し心配そうだったが、エリーゼに促されてその後を追った。
アレンも扉の前で一度立ち止まる。
「シェイド」
「はい」
「無理に話を続けようとしなくて構いませんよ」
「分かりました」
アレンが部屋を出て、隣室へ続く扉が閉まった。
何かあれば、すぐに呼べる。それでも、さっきまで大人が何人もいた部屋に、今は十歳の二人だけだった。
また、沈黙が続いた。
シェイドは少しだけリアを見る。俯いているものの、先ほどよりは肩の力が抜けているようだった。
話したくないなら、無理に喋らせる必要はない。けれど、ずっと黙って向かい合っているのも、居心地が悪いかもしれない。
部屋を見回すと、窓際の机に何冊か本が置かれていた。
「……あの」
声をかけると、リアが顔を上げる。
「そこにある本、見てもいいですか?」
「……はい」
「ありがとうございます」
シェイドは立ち上がり、一冊手に取った。
表紙には、小さな竜と騎士が描かれている。
「あ」
見覚えがあった。
「これ、読んだことあります」
椅子へ戻って本を開くと、リアが少しだけ視線を向けた。
「この竜、最初は悪い竜だと思われるんです」
返事は求めず、ページへ目を落としたまま続ける。
「見た目が怖いから、みんな逃げちゃって。でも、本当は村を守ってるんですよ」
リアの視線が、本へ向いたままになった。
シェイドはページをめくる。
「僕、この竜、ちょっとかわいそうだと思いました。ちゃんと話を聞けばよかったのにって」
しばらくして、リアがほんの少し身体を前へ傾けた。
本が見たいのだろう。
シェイドは開いた本をテーブルへ置き、リアにも見える向きにした。
何も言わずに待っていると、小さな声がした。
「……この子?」
シェイドはそこで初めて顔を上げた。
「はい。この竜です」
「……かわいい」
「僕もそう思います」
それだけだった。
でも、挨拶をした時より、ずっと自然に答えられた。
シェイドがページをめくり、リアが読む。すぐには次へ進めず、リアが顔を上げてから、もう一枚めくった。
ほとんど喋っていない。けれど、不思議と気まずくはなかった。
「……シェイド」
しばらくして、リアが自分から名前を呼んだ。
「はい」
シェイドは少しだけ声を落として答える。
「……騎士なの?」
「まだ違います」
「……違うの?」
「僕はまだ十歳なので。十二歳になったら、正式に騎士団へ入るつもりです」
「……騎士になりたいの?」
「はい。なりたいです」
迷わず頷くと、リアが尋ねた。
「どうして?」
「助けてもらったからです」
リアが少し首を傾げる。
「前に、怖い目に遭った時に、騎士団の人たちが助けに来てくれたんです」
シェイドは、それ以上詳しくは話さなかった。
「だから今度は、僕が誰かを助けられるようになりたいです」
リアはしばらくシェイドを見た。
「……怖かった?」
「はい」
「……それでも?」
「はい」
シェイドは少し笑う。
「怖かったからこそ、助けてもらえて嬉しかったんです」
「……そっか」
リアは少し考えてから言った。
「すごいね」
シェイドが目を丸くする。
「まだ何もできませんよ」
「でも……なりたいんでしょ?」
「はい」
「じゃあ、すごい」
シェイドは少し照れたように笑った。
「ありがとうございます」
リアが本へ視線を戻したので、シェイドも同じページを見る。
初めは、こちらを見るだけでも緊張していたのに、今は自分から聞いてくれた。
ドレスを握っていた手も、いつの間にかテーブルの上に置かれている。
そのことが、シェイドには嬉しかった。
◇
しばらくして、隣室へ続く扉が開いた。
アレンが顔を出す。
「そろそろ戻りましょうか」
「はい」
シェイドは本を閉じ、窓際の机へ戻した。
リアも少し遅れて立ち上がる。セドリックたちも部屋へ戻ってきた。
「王女殿下。今日はありがとうございました」
シェイドが一礼すると、リアもきちんと向き直った。
「……こちらこそ、ありがとうございました」
最初と同じ、王女としての丁寧な挨拶だった。
シェイドはアレンの方へ向く。
「では、失礼します」
出口へ向かって、一歩、二歩と進んだ。
「……待って」
シェイドは足を止め、振り返った。
リアがこちらを見ている。
「はい?」
リアは少し迷っていた。口を開きかけて、また閉じる。
シェイドは何も言わずに待った。
「……また」
小さな声だった。
「また、来る?」
エリーゼが娘へ目を向けた。傍らのルイも、口を挟まずに二人を見ている。
シェイドは、その反応の意味を知らなかった。
「王女殿下が嫌じゃなければ」
リアはすぐに首を横へ振った。
「……嫌じゃない」
「じゃあ、また来ます」
「……うん」
リアの口元が、ほんの少しだけ緩む。
シェイドも、つられて笑った。
また来ていい。そう思うと、王城へ来る前から気になっていた「何を話せばいいのだろう」という心配も、少し軽くなった。
次も、この子が無理をせずに過ごせたらいいと思った。
◇
部屋を出て、廊下を歩き始めてから、シェイドはアレンを見上げた。
「団長」
「はい」
「僕、ちゃんと話し相手になれてましたか?」
アレンは少しだけ考える。
「なれていたと思いますよ」
「でも、あんまり話してないです」
「そうですね」
「それでも?」
「ええ」
シェイドは不思議そうに首を傾げた。
「よく分かりません」
「リア様が、また来てほしいと言ってくださったでしょう?」
「……はい」
「今日は、それでよいのではありませんか」
シェイドは、別れ際のリアの顔を思い出した。
最初に挨拶した時とは違う、小さな笑顔。
「そうですね」
そう答えると、アレンも静かに微笑んだ。
◇
一方、部屋の中では、エリーゼがリアを優しく呼んでいた。
「リア。どうだった?」
リアは少し考えた。
「……優しかった」
「そう」
エリーゼが微笑む。
リアの視線は、窓際の机に戻された本へ向いていた。
返事ができなくても、困った顔をされなかった。何を話すか考えている間も、急かされなかった。
あの竜をかわいいと言うと、シェイドも同じように思っていた。
「また会いたい?」
母に尋ねられ、今度はほとんど迷わなかった。
「……うん」
初めて会ったはずなのに、あの声を聞いていると、不思議と落ち着いた。もう少し、一緒にいたかった。
リアは机へ歩み寄り、竜の描かれた本を手に取った。
次に来たら、今度は自分から、好きなページを見せてみたかった。




