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6/24

いつの間にか、ここが帰る場所になっていた


「ただいま」


 十歳になったシェイドが騎士団本部へ戻ると、廊下の向こうからレミユが顔を上げた。


「おかえり、シェイド。どこ行ってたの?」


「食堂の人に頼まれて倉庫まで。届け物をしてきたところ」


 帰りに預かった空の籠を、軽く持ち上げる。


「一人で行ってきたのですか?」


 今度はカエルンが声をかけてきた。


「うん。もう倉庫くらい迷わないよ」


「道の心配ではありません。重いものを持たされていないか聞いているんです」


「軽い袋だけだよ。帰りは、この空の籠」


「ならいいですが」


「カエルン、心配しすぎ」


「シェイドが油断しすぎなんですよ」


 いつもの調子で返され、シェイドは苦笑した。


 その横から、バルドが無言で手を伸ばす。


「何?」


「籠」


「これくらい自分で持てるよ」


「知ってる」


「じゃあ何で取るの」


「ついでだ」


 見ると、バルドはこれから食堂の方へ向かうところらしい。


「……じゃあお願い」


「ああ」


 素直に籠を渡すと、少し離れたところからグレンが声を上げた。


「お前、昔なら絶対『大丈夫です、自分で持てます』って断ってたよな!」


「そうだっけ?」


「そうだよ。何でも一人でやろうとしてたぞ」


 レミユも笑う。


「ちょっと手伝っただけで、何回もお礼言ってたしね」


「……そんなに?」


「そんなに」


 シェイドは困ったように笑った。


 いつから、こんなふうに「ただいま」と言うようになったのだろう。いつから、助けてもらうことを怖がらなくなったのだろう。


 気づけば、この場所で過ごす毎日は、すっかり当たり前になっていた。


 けれど最初から、そうだったわけではない。


 騎士団へ来て初めての冬。七歳のシェイドはまだ、誰かに世話を焼かれるたびに「大丈夫です」と答えていた。


     

◇

「大丈夫です」


 その朝も、シェイドはそう言った。


 少し身体が重い。喉も痛い。けれど、寝込むほどではないと思っていた。


 昼前には、しっかりベッドへ寝かされていた。


「三十八度七分」


 治療担当の言葉を聞いた瞬間、エヴァンの眉間へ深い皺が寄った。


「だから朝から顔色が悪いと言った」


「……大丈夫だと思ったんです」


「具合が悪ければ言え」


「はい……」


 布団の中から返事をすると、レミユが横から口を挟んだ。


「病人にまで、そんな怖い顔しなくてもいいでしょ」


「怖い顔はしていない」


「してるって」


「していない」


 ぼんやり二人を眺めていると、カエルンが布団をきちんとかけ直してくれた。


「今日は何もしなくていいですからね」


「でも、朝頼まれたものが――」


「他の人がやります」


「でも」


「シェイド」


 少しだけ強く名前を呼ばれ、シェイドは口を閉じた。


「……はい」


「よろしい」


 何もせず寝ているだけというのは、やっぱり落ち着かなかった。


 けれど熱で身体が重く、皆が部屋を出ていってしばらくすると、シェイドはそのまま眠ってしまった。


 次に目を覚ました時、枕元にはバルドがいた。片手に水、もう片方には薬を持っている。


「飲め」


「ありがとうございます」


 起き上がろうとすると、何も言わず背中を支えられた。


 薬を飲んでコップを返す。


「もう大丈夫です。バルドも自分のことしてきてください」


「寝ろ」


「でも、訓練は?」


「終わった」


「じゃあ、ここにいなくても――」


「寝ろ」


「……はい」


 何を言っても、同じ返事しか返ってこない。


 シェイドは諦めて目を閉じた。


 次に起きた時、バルドはいなくなっていた。代わりにリオンが椅子へ座り、本を読んでいる。


「……リオン?」


「起きた?」


「はい」


「水、飲む?」


「お願いします」


 コップを受け取りながら、シェイドは不思議そうに尋ねた。


「バルドは?」


「行った」


「リオンは?」


「交代」


「交代?」


「うん」


「どうして?」


 リオンは本から目を上げた。


「一人だと寂しいかもしれないから」


 シェイドは目を瞬いた。


「……僕、別に寂しくないです」


「そっか」


「でも」


 少し迷ってから、小さく続ける。


「いてくれて、ありがとうございます」


「うん」


 リオンはまた本へ目を戻した。


 何かを話しかけてくるわけでもない。ただ近くにいる。


 それだけなのに、もう一度目を閉じるのは、さっきより楽だった。


 夕方には、セシルが「退屈するでしょう」と本を何冊か持ってきた。


 グレンは、大きな皿を持って現れた。


「病人には肉だ!」


「病人へそんな量を食べさせないでください!」


 治療担当に、即座に追い返された。


「何でだよ! 食えば元気出るだろ!」


「胃を悪くします!」


「じゃあ半分!」


「駄目です!」


 廊下の向こうで続く言い争いに、シェイドは布団の中で笑った。


 夜には、アレンも様子を見に来た。


「具合はどうですか?」


「朝よりだいぶいいです」


「それはよかった」


 アレンが椅子へ腰掛ける。


「団長」


「はい」


「今日、ずっと誰かが来てました」


「そうですね。何人か廊下ですれ違いました」


「バルドもリオンもいてくれたし、セシルは本を持ってきてくれました」


「ええ」


「グレンは怒られてました」


「それも見ました」


 アレンが少し笑う。


 シェイドも笑ったが、すぐに不思議そうな顔になった。


「僕、風邪ひいただけですよね?」


「そうですね」


「なのに、どうしてみんな来るんですか?」


「心配なのでしょう」


「……僕のことを?」


「他に誰がいるのです?」


 あまりに当たり前のように返されて、シェイドは黙った。


 布団の端を、指先で摘む。


「そう、ですか」


「ええ」


 それだけだった。


 その夜は、部屋が静かになっても、何度も扉の方を見ることはなかった。


     

◇

 八歳になった頃には、木剣は一年前ほど大きく感じなくなっていた。


「二十回」


 バルドが言う。


「二十五回は?」


「二十だ」


「……分かった」


 シェイドは木剣を構えた。


 一年前なら、十回も振れば腕が重くなった。今は二十回振れる。


 けれど、バルドが見ているのは回数だけではなかった。


「肩」


 短く言われ、シェイドは握っていた手の力を少し緩めた。


 足の位置を確かめ、腰を落とす。振り下ろした剣先は、前のように大きくぶれなかった。


 次も、その次も。同じ位置へ戻してから振る。


 途中で腕が疲れてきても、身体ごと前へ倒れないように気をつけた。


「十九……二十」


 最後まで振り終えて、バルドを見る。


「今の、どうだった?」


「最後まで崩れなかった」


 シェイドの顔が明るくなった。


「昨日より?」


「ああ」


 もう一度、木剣へ目を落とす。


 まだ弱い。バルドと打ち合えるほどではない。それでも、教わったことができるようになっている。


 少し離れたところで見ていたグレンが笑った。


「嬉しそうだな!」


「嬉しいよ」


「前なら、すぐにもっと振りたいって言ってたぞ」


「明日もあるから」


 シェイドが答えると、バルドが僅かに頷いた。


 木剣を返し、訓練場の出口へ向かう。


「じゃあ、また明日」


「ああ」


 返事を聞いてから、シェイドは扉をくぐった。


     ◇


 九歳になると、シェイドは騎士団のあちこちから名前を呼ばれるようになっていた。


「シェイド、これ厨房へ頼めるか?」


「うん。いいよ」


「助かる」


 籠を受け取って廊下を曲がると、向こうからグレンが大きな箱を抱えて歩いてくる。


「グレン、それどこまで?」


「倉庫」


「片方持つよ」


「いらん」


「持てるって」


「持てるかどうかじゃねえ」


「じゃあ何で」


「俺がいるから」


「意味分かんない」


「兄貴ってのはそういうもんだ!」


 シェイドは呆れた顔になった。


「誰が兄貴」


「俺!」


「勝手に決めないでよ」


「面倒見てんだからいいだろ!」


「よくない」


 そう言いながら、シェイドは箱へ伸ばしていた手を引っ込めた。代わりに、上へ乗っていた軽い袋を取る。


「じゃあ、これは僕が持つ。厨房に籠を置いてから行くね」


「それならよし!」


「何でグレンが決めるの」


 背後から、レミユの笑い声がした。


「諦めなよ。グレンは一回兄貴って決めたら、もう無理だから」


「レミユまで」


「僕はシェイドの味方だって」


「本当?」


「たぶん」


「信用できない」


「ひどいなあ」


 そんな話をしながら歩くことが、いつの間にか増えていた。


 高い棚の本を取ろうとすれば、リオンが横から先に手を伸ばす。


「届くよ」


「届いてない」


「あと少しだった」


「それを届かないって言う」


「……リオン、最近ちょっと意地悪じゃない?」


「そう?」


「そうだよ」


 差し出された本は、ちゃんと受け取った。


 訓練を続けすぎれば、カエルンがやってくる。


「今日はそこまでです」


「まだ平気だよ」


「平気でも終わりです」


「カエルン、頑固になったよね」


「シェイドが無茶をするようになったからですよ」


「そんなにしてない」


「しています」


 そして、小さな怪我なら黙っていようとすれば、ほとんど必ずエヴァンに見つかった。


「手を出せ」


「これくらい平気だよ」


「手を出せ」


「本当にちょっと擦っただけだから」


「三回言わせるな」


「……はい」


 横でレミユが吹き出す。


「エヴァンに怒られると、急に素直になるよね」


「だって怖い」


「聞こえている」


「……ごめん」


「謝る前に傷を見せろ」


「はい」


「また戻った」


「レミユ、笑わないで」


「無理」


 セシルは傷を見ながら、小さく息を吐いた。


「騎士を目指すなら、怪我を隠さないことも覚えてください」


「隠してないよ」


「では、なぜ報告しなかったのです?」


「……忘れてた」


「嘘ですね」


「ごめん」


「その言葉を今月聞くのは三度目です」


「数えてるの?」


「数えています」


「何で……」


 頬を膨らませると、グレンがまた笑った。


「最初の頃じゃ考えられねえ顔するようになったな!」


「どんな顔?」


「今の顔!」


「普通でしょ」


「そういうことにしといてやるよ!」


「だから何なの」


 騒がしい廊下を、シェイドは皆と一緒に歩いていった。


     

◇

「昔のお前は、もっと遠慮してたんだぞ」


 十歳の今、グレンに言われると、そんな日々が思い出された。


「……そうだったかも」


「だろ?」


 バルドは食堂へ向かいながら、先ほど受け取った籠を片手に持っていた。


「今は、ずいぶん図太い」


「バルド、それ褒めてる?」


「たぶん」


「たぶんなの?」


 シェイドが笑う。


「でも、僕が変わったなら、みんなのせいだと思うよ」


「何でだよ!」


 グレンが抗議した。


「だって、遠慮しても勝手に手伝うし、休めって言うし、怪我したら怒るし」


「当たり前だろ」


「ほら」


「何がほらなんだ!」


 また笑い声が起きた。


 籠を食堂へ返し終えたバルドと一緒に、シェイドは訓練場へ向かった。


 三年前より身長は伸び、木剣を握る手も大きくなった。それでも、正式な騎士団員になれる十二歳までは、まだ二年ある。


「構えろ」


 向かいに立ったバルドが言う。


「分かった」


 シェイドは足を開き、腰を落とした。


「来い」


「行くよ」


 踏み込むと、木剣がぶつかった。


 一度、二度。受け止められた剣を戻し、角度を変えてもう一度打ち込む。


 バルドの剣が横から来た。


「っ!」


 受けた瞬間、シェイドは足を動かした。力で押し合わず、相手の剣を外へ流す。


 教わった通りにできた、と思った。


 その直後、足を払われた。


「うわっ!」


 芝の上へ転がる。


「……痛い」


「立てるか」


「立てる」


 差し出された手を掴み、起き上がった。


「剣だけ見るな。足もだ」


「……うん」


 シェイドは、自分が立っていた位置を見た。剣を受けることに気を取られて、バルドが近づいたことに気づかなかった。


「でも、剣は流せたよね?」


「ああ。あれはよかった」


 シェイドは顔を上げた。


 バルドは木剣を下ろす。


「今日はここまでだ」


「分かった。次は、足も見る」


 近くにいたグレンが笑った。


「褒められた途端、素直だな!」


「ちゃんと終わる方がいいでしょ」


「そういうところ、ほんと兄弟みてえだ」


「兄弟じゃないよ」


 シェイドが苦笑すると、バルドが珍しく小声で呟いた。


「……弟みたいなものだ」


「え」


 今度はシェイドが黙った。


 レミユも、グレンも、カエルンまで一瞬だけ静かになる。


 バルドは気まずそうに視線を逸らした。


「何だ」


「いや」


 シェイドの口元が緩む。


「何でもない」


「ならいい」


「うん」


 木剣を返しながらも、笑みがなかなか消えなかった。


     

◇

「シェイド」


 訓練場の入口から、聞き慣れた声がした。


 アレンが立っている。


「団長」


 シェイドはすぐにそちらへ向かった。


「少しいいですか?」


「はい。どうしました?」


「あなたにお願いしたいことがあります」


「僕にですか?」


「ええ」


 珍しい。


 シェイドは少し姿勢を正した。


「何ですか?」


 アレンは訓練場の方を一度見た。カエルンたちも、何となくこちらを気にしている。


「近いうちに、王城へ行ってもらいます」


「王城?」


 シェイドは目を丸くした。


「僕がですか?」


「はい」


「どうして?」


「王女殿下…リア様のことで、少しお願いがありまして」


「……王女殿下?」


 もちろん存在は知っている。


 セドリック国王とエリーゼ王妃の娘。フェリスティル王国のリア王女。


 けれど、自分とはまるで関係のない人だと思っていた。


「僕、何をするんですか?」


 アレンは少しだけ笑った。


「リア様の話し相手になってほしいのです」


 シェイドはしばらく何も言わなかった。


「……僕が?」


「ええ」


「王女殿下の?」


「はい」


 聞き直しても、答えは変わらない。


 少し離れたところから、グレンが吹き出した。


「固まったぞ」


「そりゃ固まるでしょ」


 レミユも笑っている。


 シェイドはゆっくり振り返った。


「……何で笑ってるの」


「シェイド、すごい顔してるから」


「どんな顔」


「今まで見た中で、一番困ってる顔」


「困るよ!」


 王女殿下の話し相手に、自分がなる。


 どう考えても、何をすればいいのか分からなかった。


「団長」


「はい」


「どうして僕なんですか?」


 アレンは少しだけ目を細めた。


「詳しいことは、王城へ行く前にお話しします。王女殿下のご様子も含めて、きちんと説明したいので」


「……僕にできるんでしょうか」


「まずは、お話を聞いてみてください」


 穏やかに言われ、シェイドは頷いた。


 騎士団の人たちとなら、もう何を話すかで困ることはない。グレンには言い返せるし、バルドには練習を頼める。分からないことも、聞けばいい。


 けれど、王女殿下となると、まるで想像がつかなかった。


 シェイドは困ったように息を吐いた。


「……何を話せばいいんだろう」


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