僕も、騎士になりたい
シェイドは、騎士たちが剣を振るところを見るのが好きだった。
朝の訓練場では、木剣がぶつかる乾いた音が何度も響いている。踏み込む足も、相手の剣を受け流す腕も、次の一撃へ移る速さも、七歳のシェイドにはまだ真似できないことばかりだった。
「……すごい」
気づけば、また同じ言葉が口から漏れていた。
フェリスティル騎士団へ来てから、少しずつ日が経っている。よく使う場所なら一人で行けるようになり、知らない騎士に声をかけられても、最初の頃ほど身体を固くすることはなくなった。
騎士たちを見る目も、少し変わった。
少し前の雨の日、自分を邪魔だと言った騎士がいた。けれど、カエルンたちはシェイドの前に立ち、散らばった布も一緒に拾ってくれた。
剣を抜かなくても、人を守れるのだと知った。
今は、強いところを見るたびに思う。自分もいつか、ああいう人になれたら、と。
「シェイド! ぼーっとしてると始まるぞ!」
訓練場の向こうから大声が飛んできた。
シェイドは顔を上げる。
「見てます!」
「ならもっと前来い!」
「そこまでです」
すぐにカエルンの声が重なった。
「シェイドはそこから見れば充分でしょう。近づきすぎると危ないですよ」
「はい」
「グレンも呼ばないでください」
「ちょっとくらいいいだろ!」
「よくありません」
グレンが不満そうに肩をすくめる。
その様子を見て、シェイドは小さく笑った。こういうやり取りを見るのも、最近では好きだった。
◇
その日の朝は、カエルンとグレンが模擬戦をすることになっていた。
二人が訓練場の中央で向かい合うと、それまで賑やかだった空気がすっと変わった。
さっきまで笑っていたグレンの目が鋭くなり、カエルンも静かに木剣を構える。
「始めます」
「来い!」
次の瞬間、木剣同士が激しくぶつかった。
シェイドは息を呑んだ。
グレンが大きく踏み込む。カエルンはその剣を受け、真正面から押し返す代わりに、身体をずらして受け流した。
位置が入れ替わったかと思うと、すぐに次の一撃が飛ぶ。
目を離したら、その間に終わってしまいそうだった。
「……すごい」
また言ってしまった。
隣にいたレミユが笑う。
「そんなに好き?」
「はい」
シェイドは迷わず頷いた。
「グレン、あんなに速いのに、カエルンは全部見えてるみたいで」
「うん」
「バルドも、この前ほとんど動いてないように見えたのに、相手の剣を全部止めてました」
「よく見てるなあ」
シェイドは少し考えてから、レミユを見る。
「レミユも、ああいうふうにできますか?」
「できるよ。そんなに意外?」
「確認しただけです」
「ちょっと考えてから聞くの、気になるんだけど」
「疑ってないです」
真面目に答えるシェイドに、レミユが苦笑した。
「まあいいけど。今度は僕のことも見ててよ」
「はい」
シェイドは頷き、模擬戦へ視線を戻した。
グレンの木剣が、カエルンの脇腹へ向かう。受け止めたカエルンが一歩下がり、今度は自分から踏み込んだ。
シェイドは膝の上で、知らずに手を握っていた。
「そこまで!」
エヴァンの声が響く。
グレンの木剣が止まった。その少し先で、カエルンの木剣がグレンの胸元へ向けられていた。
「くそっ、またか!」
グレンが悔しそうに頭を掻く。
「最後、行けると思ったんだけどな!」
「踏み込みが少し深かったですね」
「分かってるって」
模擬戦が終わると、シェイドは立ち上がった。
「カエルン!」
「はい?」
「最後、どうして避けられたんですか?」
「最後ですか?」
「グレンが振る前に、もう動いてました」
カエルンが少し驚いたように目を見開く。
「よく見ていましたね」
「前に、肩を見るって言ってました」
「覚えていたのですか?」
「はい」
カエルンは少し笑った。
「そうです。グレンは強く踏み込む時、ほんの少しだけ右肩が先に動くんです」
「おい!」
グレンがすぐに反応した。
「何で俺の癖を教えてるんだよ!」
「シェイドが聞いたので」
「だからって!」
シェイドは真剣にグレンの右肩を見る。
「本当ですか?」
「見るな見るな!」
「でも、次見たいです」
「見なくていい!」
「グレン、騒ぐな」
エヴァンが呆れた声を出す。
「何で俺が怒られるんだよ!」
レミユが吹き出し、シェイドもつられて笑った。
さっきまであんなに激しく打ち合っていたのに、今は一緒に笑っている。
この人たちと同じように剣を持って、その輪の中に立てたら。シェイドは、まだ木剣を握ってもいない自分の手を見た。
◇
その日の昼を過ぎた頃、騎士団へ一つの知らせが入った。
王都近郊の街道で、魔獣が目撃されたという。数は多くないものの、近くには小さな村があり、放っておくことはできないらしい。
討伐へ向かう騎士たちが、すぐに準備を始めた。
シェイドは玄関ホールの端に立ち、その様子を見ていた。
剣を確かめる者、防具の留め具を締め直す者。外では馬の準備が進んでいる。
さっきまで笑っていたグレンの顔からも、ふざけた様子は消えていた。カエルンが人数を確認し、バルドは黙って装備を整える。エヴァンは短い言葉で必要な指示を出していた。
訓練の時とは違う。
これから本当に、誰かを守りに行くのだ。
「……格好いい」
小さく呟くと、隣から穏やかな声がした。
「何がですか?」
振り向くと、アレンが立っていた。
「みんなです。すごく格好いいです」
アレンも同じ方へ視線を向ける。
「そうですか」
少しして、シェイドは尋ねた。
「……怖くないんですか?」
「何がでしょう」
「魔獣です」
シェイドは自分の指を握った。
「怖くても、行くんですか?」
「怖いでしょうね」
シェイドは顔を上げた。
「騎士も怖いんですか?」
「もちろんです」
意外だった。騎士というのは、何も怖がらない人たちなのだと思っていた。
「じゃあ、どうして行くんですか?」
アレンは、準備を終えつつある騎士たちを見た。
「守る人がいるからですよ」
シェイドは何も言えなかった。
嵐の日のことを思い出す。
あの日、自分も怖かった。足が震えて、逃げたかった。それでも、小さな子を置いてはいけなかった。
「騎士って、怖くても行くんですね」
「そういう時もあります」
「……すごい」
また、同じ言葉が出た。
けれど今度は、剣を振る姿を見ていた時とは少し違った。
怖くても、誰かのために前へ出られる。その人が助けを待っている場所まで、行くことができる。
自分を助けに来てくれた時も、この人たちは怖かったのだろうか。
「シェイド」
カエルンがこちらへやってきた。
「行ってきます」
「……はい」
カエルンは少しだけ、シェイドの顔を覗き込む。
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」
「心配そうですか?」
「少し」
図星だった。
「気をつけてください」
「ありがとうございます」
バルドも近くを通り、短く声をかけた。
「行ってくる」
「はい」
グレンは笑いながら手を上げる。
「すぐ戻る!」
「絶対ですか?」
「おう!」
「グレン」
すぐにエヴァンの声が飛んだ。
「任務に絶対と言うな」
「そこは安心させるところだろ!」
「軽々しく約束するなと言っている」
「分かったって!」
シェイドは思わず笑った。
それでも、騎士たちが門の向こうへ消えていくまで、その背中を見送った。
いつか、自分もあの中に立てるだろうか。
◇
討伐隊が戻ったのは、その日のうちだった。
「戻ったぞ!」
誰かの声を聞いた瞬間、シェイドは立ち上がった。
そのまま走り出しかけて、エヴァンの「走るな」という声を思い出す。足を緩めたものの、玄関へ向かう歩幅はいつもより大きくなった。
門から騎士たちが入ってくる。
カエルンも、バルドも、グレンもいる。
その姿を見た瞬間、胸の奥でずっと張っていたものが、ふっと緩んだ。
カエルンがシェイドに気づく。
「……おかえりなさい」
自然に言葉が出た。
言ってから、シェイド自身が少し驚いた。カエルンも一瞬だけ目を見開き、それから柔らかく笑う。
「はい。ただいま」
「ほらな! すぐ戻っただろ!」
グレンが得意げに言った。
「エヴァンが、絶対って言うなって言ってました」
「そこ覚えてるのかよ!」
「覚えてます」
「細けえな!」
笑いながら近づいてきたグレンの腕に、薄く血が滲んでいる。
シェイドの表情が変わった。
「怪我してる」
「これくらい平気だって」
「治療してください」
「いや、本当にこの程度――」
「治療してください」
二回言われて、グレンが黙った。それから、豪快に笑う。
「お前、エヴァンみたいになってきたな!」
「怪我したままにしたら駄目です」
「はいはい、分かったよ」
グレンが治療室へ向かう。
その背中を見ながら、シェイドの中で、ぼんやりしていた気持ちが少しずつ言葉になっていった。
強くなりたい。剣を上手く使えるようになりたい。
そして、誰かが怖くて動けない時、自分も助けに行ける人になりたい。
◇
夕食を終えたあと、シェイドはアレンを探した。
執務室へ向かう廊下で、ちょうどこちらへ歩いてくる姿を見つける。
「団長」
呼ぶと、アレンが足を止めた。
「どうしました?」
「あの……少し、いいですか?」
「もちろんです」
言いたいことは決まっていた。それなのに、口にする直前になると胸が少し緊張する。
「僕……」
アレンは急かさず待っている。
シェイドは手をぎゅっと握った。
「僕も、騎士になれますか?」
アレンの表情が少し変わった。
「騎士に?」
「はい」
「どうして、そう思ったのです?」
シェイドは今日一日を思い出した。
木剣を構える姿も、任務へ向かう背中も、すぐに浮かんだ。
「格好いいからです」
最初に出てきたのは、その言葉だった。
「みんな、すごく強くて。剣も上手で。僕もあんなふうになれたらって思います」
アレンは静かに聞いている。
シェイドは一度言葉を止め、それから続けた。
「でも……それだけじゃないです」
アレンの目を見る。
「団長が言ってました。騎士も怖いって」
「ええ」
「それでも、守る人がいるから行くって」
シェイドは胸の前で手を握った。
「あの日、僕もすごく怖かったです」
盗賊の持っていた短剣と、泣いていた子どもたちの顔を思い出す。
「逃げたかったです。でも、騎士団の人たちが来てくれました」
あの時の安心を、今でも覚えている。
「僕、あの時……来てくれた時、すごく嬉しかったです」
少しだけ声が震えた。
「この前も」
アレンが静かにシェイドを見る。
「僕、邪魔だって言われた時……本当に、僕はいない方がいいのかなって思いました」
あの言葉は、まだ少し胸に残っている。
「でも、みんなが来てくれて。団長も、ここにいていいって言ってくれました」
「ええ」
「あれも、すごく嬉しかったです」
シェイドはゆっくり顔を上げた。
「だから僕も、誰かが怖い時に、助けに行ける人になりたいです」
今度は、迷わなかった。
「誰かが一人だと思ってる時に、ちゃんとそばにいられる人になりたいです」
うまくまとまっているかは分からない。それでも、アレンは何も挟まずに聞いてくれた。
「みんなみたいに、守れる人になりたいです」
アレンはしばらく何も言わなかった。
やがて、シェイドの前へ膝をつく。目線が同じ高さになった。
「騎士になるのは、簡単ではありません」
「はい」
「剣が強いだけでも駄目です」
「はい」
「怖いこともありますし、辛い訓練もあります」
「……はい」
「それでも?」
シェイドは迷わず答えた。
「なりたいです」
アレンの表情が柔らかくなる。
「そうですか」
「駄目ですか?」
「いいえ」
アレンは微笑んだ。
「目指すことは、誰にも止められませんよ」
シェイドの目が一気に明るくなる。
「本当ですか?」
「ええ。ただし、正式に騎士団へ入れるのは十二歳からです」
「十二歳……」
シェイドは真剣に指を折った。
「あと五年」
「そうですね」
「……長いです」
「長いですね」
少しだけしょんぼりする。けれど、すぐに顔を上げた。
「じゃあ、それまでに強くなります」
「無茶をしない範囲でお願いします」
「はい」
「勉強も必要ですよ」
「します」
「体力も」
「つけます」
「礼儀も」
シェイドは少しだけ考えた。
「……それは、たぶん大丈夫です」
アレンが笑った。
「そこだけは自信があるのですね」
シェイドも少し笑う。それから、しっかりとアレンを見た。
「団長」
「はい」
「僕、騎士になります。みんなみたいな騎士になります」
◇
「――言ったな?」
廊下の向こうから声がした。
シェイドが固まる。
「……え?」
振り向くと、グレンがいた。その隣から、レミユも顔を出す。
「聞こえたぞ!」
「僕も聞いた」
「いつからですか!?」
「『僕も騎士になれますか』から」
「最初からじゃないですか!」
シェイドの顔が一気に赤くなった。
レミユは少し申し訳なさそうに笑う。
「団長に用があって来たんだけど、話してたから。邪魔しない方がいいかなって」
「いるなら、言ってください……!」
「お、言うようになったな!」
グレンが笑った。
「グレンのせいです!」
「何で俺だけなんだよ!」
レミユが吹き出し、アレンも口元を緩めた。
恥ずかしい。本当に恥ずかしい。
それでも、聞かれたことを後悔はしなかった。この人たちに聞いてもらえてよかったのかもしれないと、ほんの少しだけ思った。
「じゃあ、未来の騎士様」
グレンがにやりと笑う。
「明日の朝から十周だな!」
「えっ」
「グレン、七歳の子に何をさせるつもりですか」
アレンに言われ、グレンはすぐに言い直した。
「じゃあ五周!」
「まずは、今できることからです」
「団長も厳しい!」
「シェイドには、まだ無茶をしないようにお願いしたばかりですから」
レミユがまた笑った。
その中で、シェイドは自分の手を見た。
まだ小さい。木剣だって、うまく振れない。十二歳までは、あと五年もある。
けれど、五年後にこの人たちと同じ服を着て、同じように剣を腰へ下げていたら。
誰かを守るために、ここから出ていく自分がいたら。
そう考えると、胸の奥が熱くなった。
いつか、自分も誰かにとっての「来てくれてよかった人」になりたい。
「団長」
「はい?」
「明日も、剣の練習していいですか?」
アレンは少し笑った。
「バルドがいいと言えば」
ちょうどその時、廊下の向こうからバルドが歩いてきた。
シェイドはすぐにそちらを向く。
「バルド!」
足を止めたバルドは、シェイドの顔を見てから、アレンへ視線を移した。
「何の話ですか」
「明日も剣の練習をしたいそうです」
バルドがシェイドを見る。
「三回」
「まだ何も言ってないです!」
グレンとレミユが声を上げて笑った。
シェイドは少しむっとして、それから、自分も笑った。
五年は、きっと長い。
でも、明日なら、もうすぐだった。




