そばにいるのに
「シェイド、今日はあの温室も見られるんだって」
出発を待つ間、リアが嬉しそうに話した。
エリーゼとともに、王都の植物園を訪ねる日だった。王城へ届ける花も育てている場所で、見学のあとは職員たちから話を聞くことになっている。
シェイドにとっては、リアの直属護衛として初めて王城の外へ出る日だった。
「本に書いてあった、寒い季節にも花が咲くところですね」
「うん。絵だけじゃ、どんなふうになってるのか分からなかったから」
リアはシェイドを見て、笑った。
「一緒に見られるね」
「はい。楽しみですね」
二人で本を開いた時には、いつか行けたらと思っていた。
シェイドも笑みを返し、馬車の扉の脇へ立った。リアが乗り込む足元を確かめてから、出発を待つカエルンへ目を向けた。
◇
植物園の入口では、園長と職員たちが待っていた。
エリーゼの挨拶に続き、リアも顔を上げる。
「今日は、お話を聞けるのを楽しみにしていました。よろしくお願いします」
少し緊張した声だったが、最後まで聞こえた。
園長が丁寧に答えると、リアは小さく頷いた。
案内が始まる。
シェイドは斜め後ろを歩きながら、通路に並ぶ鉢や、職員が出入りする扉を確かめた。見学者のいる区画との境にも目を向け、リアの歩く速さに合わせる。
温室へ入ると、暖かい空気に包まれた。
「……あったかい」
リアの声に、案内役の職員が微笑む。
壁際の設備を示しながら説明が始まると、リアは用意してきた質問を尋ねた。
「夜も、この温かさを保っているんですか?」
「はい。外の気温に合わせて調整しております」
「じゃあ、寒い夜は、お世話する方も増えるの?」
職員が少し目を見開いた。
「ええ。特に冷え込む日は、交代で様子を見に来ます。花が咲く前の苗も、寒さに弱いものがありますから」
「咲く前から、ずっと気をつけているんですね」
リアは頷き、苗の並ぶ棚へ目を向けた。
話を聞いて、自分から次の質問をしている。
シェイドはその姿を見て、少し嬉しくなった。
その時、横の扉が開いた。
鉢を抱えた職員が出てきたため、シェイドは通路の端へ寄る。リアたちの進む先と重ならないことを確かめてから、歩き出した。
「シェイド」
呼ばれて顔を向けると、リアが通路脇の花を見ていた。
小さな青い花だった。
「この花、似てるね」
「……はい」
シェイドも目を向けた。
「思ってたより、小さい」
リアは身をかがめ、花びらを覗き込んでいる。
シェイドも隣へ寄りかけた。けれど、前では案内役が次の区画へ進み、エリーゼがこちらを振り返っていた。
「リア様、奥には咲く前の苗もございます」
職員の声に、リアが顔を上げる。
シェイドは先の通路へ目を向けた。鉢を運んでいた職員は横の扉へ戻り、道は空いている。
「リア様、そろそろこちらへ」
「……うん」
リアはもう一度花を見てから、エリーゼの隣へ戻った。
シェイドも後ろへ続く。
曲がり角を過ぎると、青い花は見えなくなった。
◇
見学のあと、職員たちと話をする部屋へ通された。
リアはエリーゼの隣に座り、植物園の仕事について説明を聞いていた。シェイドは壁際に立ち、扉と、部屋を出入りする人へ目を配る。
職員の話にリアが笑った。
顔を上げた彼女と目が合い、シェイドも微笑む。
そこへお茶が運ばれてきたため、扉へ視線を戻した。
◇
帰りの馬車へ向かいながら、リアが息を吐いた。
「用意してきたこと、ちゃんと聞けてよかった」
「職員の方も、喜んでおられましたね」
カエルンの言葉に、リアは照れたように笑う。
馬車の前で、シェイドを振り返った。
「さっきの花のこと、あとで話してもいい?」
「はい。僕も、もう少し見たかったです」
「じゃあ、帰ってからね」
リアが差し出された手へ指を添え、馬車へ乗る。
シェイドは足元を確かめ、扉が閉じるまで見届けた。
◇
王城へ戻ると、シェイドはリアの部屋まで付き添った。
帽子を外してもらったリアが、すぐにこちらを向く。
「途中でね、用意してなかったことも聞けたの」
「寒い夜に、花を守る方のお話ですね」
「うん。咲いている時だけじゃなくて、その前からずっとお世話してるんだって」
まだ訪問先での楽しさが残っているようだった。
シェイドも頷く。
「僕も、知らなかったです」
「それでね――」
「シェイド、引き継ぎをお願いします」
扉のそばから、カエルンの声がした。
シェイドは顔を上げる。
帰城後の報告と、勤務の引き継ぎがある。訪問先で気づいたことも、伝えておかなければならなかった。
「うん。今、行く」
答えてから、リアへ向き直る。
「すみません。続きは、あとで聞かせていただけますか?」
「もちろん」
リアはすぐに頷いた。
「お仕事だものね」
シェイドは礼をして、部屋を出た。
◇
報告を終えると、カエルンは今日の動きについて話してくれた。
「リア様が花の前で立ち止まられた時、少し近くへ寄りすぎていましたね」
シェイドは温室でのことを思い出した。
「……一緒に見ようとしてた」
「見ることは構いません。ただ、あそこは通路が狭かったでしょう。後ろから人が来た時に、すぐ動ける位置を取ってください」
「うん」
「職員が扉から出てきた時は、よく気づいていました。その後の進路も、確認できていましたね」
シェイドは頷き、教わったことを書き留めた。
カエルンが次の予定を確かめる。その中に、リアの授業の時間があった。
「リア様は、もう勉強?」
「ええ。今日は少し短くしていただいていますが」
「……そっか」
戻れば、続きを聞けると思っていた。
近くにいられるようになったのに、前よりゆっくり話せる時間は少なかった。
「何か、お伝えすることがありましたか?」
カエルンに尋ねられ、シェイドは顔を上げた。
「ううん。今日のお話の続きを、聞きたかっただけ」
「そうでしたか」
「また、時間がある時に聞くよ」
そう答え、手元の紙へ目を戻した。
◇
リアにもう一度会えたのは、その日の勤務を終えて帰る前だった。
部屋を訪れると、リアは卓に座っていた。植物園で聞いたことを書いた紙の隣に、以前二人で読んだ本がある。
「シェイド。今日はありがとう」
「僕も、ご一緒できて嬉しかったです」
リアの顔に笑みが浮かんだ。
「温室、面白かったね」
「はい。あんなに暖かいとは思いませんでした」
「……あの青い花も、綺麗だった」
「そうですね。もう少し近くで見たかったです」
リアは本の端へ手を伸ばした。
その下に挟んでいた紙を、少しだけ引き出す。
「わたしね、帰ってから――」
シェイドは卓の上に広げられた授業の本にも目を留めた。
外での訪問を終えたあとも、勉強をしていたのだ。
「リア様、お疲れではありませんか?」
「え?」
「今日は、たくさんお話しされましたから。今夜はゆっくり休んでくださいね」
リアの手が止まった。
優しい声だった。
「……うん。シェイドもね」
「ありがとうございます」
笑ってもらえて、シェイドはほっとした。
自分も脚が重くなっていた。初めての場所で知らない人たちと話したリアは、もっと疲れているかもしれない。
「それでは、また明日」
礼をして扉へ向かう。
「シェイド」
呼び止められ、振り返った。
リアは本へ手を置いたまま、こちらを見ていた。
「……明日も、来る?」
「はい。明日も来ます」
シェイドは微笑んだ。
「こちらでの勤務がありますから」
リアは少し間を置いて、頷いた。
「そっか。おやすみなさい」
「おやすみなさい、リア様」
扉が閉じた。
◇
廊下へ出たシェイドは、明日の予定を思い返した。
立つ位置と、周囲を見る時のこと。今日教わったことを、明日は忘れないようにしよう。
明日もリアのそばにいられる。
そのことは、やはり嬉しかった。
部屋に残ったリアは、本の下から紙を引き出した。
小さな青い花の絵が描かれている。
花びらの枚数が合っているか、シェイドにも見てもらおうと思っていた。
リアは紙を本の間へ挟み、そっと閉じた。




