候補者の名
「……今、何て?」
ノイッシュの手から、畳みかけていた上着が滑り落ちた。
シェイドはそれを拾い、差し出す。
「王族直属護衛の試験を受けることになったんだ」
「聞こえてたけど!」
上着を受け取ったノイッシュが身を乗り出した。
「昨日、グレンさんから話を聞いたばっかりだろ!?」
「うん。そのあと、団長に呼ばれて」
「それで、受けてみないかって?」
ミストの問いに頷いた。
朝の支度をしている二人へ伝えようと、自分の部屋へ来てもらった。けれど、いざ口にすると、シェイド自身にもまだ不思議な気がする。
昨夜渡された試験の案内が、机の上に置いてあった。
「リア様の護衛を選ぶ試験なんだって。僕も、挑戦したいって答えた」
ノイッシュは案内へ目を向け、それからシェイドを見た。
「……そっか。受けるんだな」
「うん」
「じゃあ、受かってこいよ」
迷いのない言葉に、シェイドは目を瞬いた。
「簡単じゃないと思うけど……」
「分かってる。でも、受ける前から落ちる方を考えても仕方ねえだろ」
ノイッシュは上着を椅子へ置き、笑った。
「応援してる」
胸の中にあった緊張が、少し緩んだ。
「ありがとう」
「試験はいつ?」
ミストが案内を指す。
「三週間後」
「じゃあ、準備も忙しくなるね。一緒に勉強しようか」
「いいの?」
「僕たちも覚えなきゃいけないこと、あるから」
「オレも! 問題出すくらいならできるぞ」
すぐにノイッシュが続いた。
「答えを先に読まないでね」
「読まねえよ!」
いつものやり取りに、シェイドは笑った。
二人にどう思われるか、少しだけ心配していた。けれど、今はノイッシュが、支度を急がないと朝食に遅れると言っている。
ミストも案内を机へ戻した。
「行こう、シェイド」
「うん」
シェイドは二人と部屋を出た。
◇
朝食のあと、本部の掲示板の前に人が集まっていた。
新しく貼り出された告示には、王女直属護衛の選抜について、と記されている。
試験の日程と、選考を受ける候補者の名。
シェイドは人の肩越しに、その紙を見上げた。
カエルン・アッシュフォード。
バルド・アイゼン。
レミユ・フォークナー。
見慣れた三人の名前のあとにも候補者の名が続き、最後の方に、シェイドと書かれていた。
「カエルンたちも受けるんだな」
ノイッシュの声に頷いた。
その時、前にいた騎士が隣の男へ話しかける。
「あの三人なら、候補に入るだろうな」
「それは分かるが……シェイドって、この前入団した子か?」
「ああ。前からここで訓練はしていた」
「まだ十二歳だろ。直属護衛となると、話は別じゃないか」
シェイドは告示を見たまま、足を止めた。
少し離れたところで、別の声がする。
「団長に育てられていれば、候補にも入りやすいんじゃないか」
身体の横で、指がわずかに動いた。
「何だよ、それ」
ノイッシュが眉を寄せる。
声のした方へ向きかけた腕に、シェイドはそっと触れた。
「ノイッシュ」
「でも、あんな言い方……」
聞こえなかったことにはできなかった。
告示に載った自分の名前を見つめ、シェイドは一度唇を結ぶ。それでも、今ここで言い返して証明できることではなかった。
「僕にできるかどうかは、試験で見てもらうよ」
ノイッシュはシェイドを見た。
まだ不満そうだったが、足を止めてくれた。
「……分かった」
「気にしてくれて、ありがとう」
シェイドはもう一度、告示へ目を向けた。
受けると決めた試験の日程が、そこにある。
ミストが隣へ並んだ。
「今日は、午後からセシルさんに見てもらうんだよね」
「うん」
「じゃあ、午前中の仕事を終わらせよう」
シェイドは頷いた。
三人で掲示板を離れても、先ほどの声はしばらく耳に残っていた。
◇
その日の午後、シェイドはセシルと机を挟んで座っていた。
外国語で尋ねられたことに答えようとして、途中で口を閉じる。
「……行く場所は分かったけど、時間を聞き取れなかった」
「では、どうしますか?」
シェイドは少し考え、習った言葉で、もう一度時刻を教えてほしいと尋ねた。
セシルが答える。今度は聞き取れた時刻を書き留め、確かめるように繰り返した。
「ええ。合っています」
シェイドは息を吐いた。
「聞き返してもいいんだね」
「もちろんです。分かったふりをして、違う時間に案内する方が問題でしょう」
「……うん」
「試験でも、必要なことは確認してください。正確に受け答えするための言葉も、覚えておきましょう」
シェイドは頷き、手元の紙へ書き込んだ。
読み書きで知っている言葉でも、会話の中ですぐに聞き取れるとは限らない。
自分で練習するところが、また一つ分かった。
◇
「そこで止まれ」
エヴァンの声に、シェイドは踏み出した足を止めた。
訓練場の一角には、椅子と衝立が置かれている。
椅子に座るリオンが護衛対象役で、グレンが襲撃者役だった。
シェイドは今、グレンの木剣を受け、押し返したところだった。
「なぜ追おうとした」
「距離が開いたから、もう少し押さえられると思って」
「その間、誰がリオンを守る」
振り向くと、リオンの座る椅子は数歩後ろにあった。
さらに踏み込めば、グレンとの間合いは詰められる。だが、椅子からは離れてしまう。
「……僕しか、いない」
「そうだ」
エヴァンは衝立の向こうへ目を向けた。
「相手が一人だとも限らない。押し返したなら、まず退避させる。そのために作った距離だ」
シェイドは唇を結んだ。
どう受けるか、どこへ打ち返すか。
木剣を押し返したあとも、次の一撃ばかり考えていた。
「もう一回、お願いしていい?」
「もちろんだ」
グレンが木剣を肩から下ろす。
「今度は俺を倒すことばっかり考えるなよ」
「うん」
シェイドは椅子の前へ戻り、木剣を構えた。
グレンが動く。
迫る木剣を受け、腕に響く重さをこらえる。押し返すと、グレンが左へ足を運んだ。
シェイドは追わず、リオンとの間へ身体を移した。右側には、出口まで遮るものがない。
「リオン、右の出口へ!」
リオンが動いた。
シェイドはグレンの進路を塞ぎながら、後ろへ下がった。
足がもつれそうになる。
それでも出口の手前まで下がると、エヴァンの声が響いた。
「そこまで」
シェイドは息を吐いた。額から汗が落ちる。
「さっきよりよい。ただし、下がる時に足幅が狭くなっていた。転べば、退避も止まる」
「うん」
足元へ目を落とす。
グレンが近づき、軽く肩を叩いた。
「まず一つ直せたな」
「……でも、まだいっぱいあるね」
「だから練習してんだろ」
グレンは笑った。
リオンは再び椅子へ戻り、シェイドも位置につき、木剣を構える。
今度は、グレンが動き出しても剣先だけを追わなかった。相手の位置と、リオンが通れる場所を確かめた。
◇
試験までの三週間、通常の訓練と仕事を終えたあと、シェイドは許された時間で準備を進めた。
剣術はバルドにも見てもらい、礼儀作法や立ち居振る舞いはレミユに確かめてもらった。
ただ、二人も自分の試験へ備えている。
カエルンと資料を読み合わせたり、仕事の合間に訓練へ向かったりする姿を、シェイドは何度も見かけた。
ある日、資料を広げていたカエルンが顔を上げた。
「シェイドも、それを確認しているところですか?」
「うん。ここが、少し分からなくて」
隣の椅子を示され、シェイドは座った。
互いの本を開き、書かれている内容を確かめる。答えが出ない箇所は印をつけ、あとで確認することにした。
告示に並んでいた三人の名を思い出す。
皆も、同じ日に試験を受ける。
教えてもらう時とは違う心持ちで、シェイドは自分の本へ書き込んだ。
夜の勉強には、ノイッシュとミストが付き合ってくれた。
「じゃあ、次」
ノイッシュが、法律の問題を書いた紙を持ち上げる。
シェイドが答えると、ミストが教本を開き、答えを確かめた。
「……答え、違うみたいだよ」
「え、どこを間違えた?」
「オレも今の答えだと思った」
ノイッシュが問題の紙を卓へ置き、教本を覗き込む。
ミストは、似ている二つの決まりが載ったページを三人の間へ寄せた。
「シェイドが答えたのは、こっちの決まりだね。でも、この問題では、もう一つの方を使うみたい」
シェイドは問題文と教本を見比べた。
「……本当だ。二つを逆に覚えてた」
「オレも。何が違うんだ?」
三人でもう一度説明を読んだが、使い分ける理由までは分からなかった。
シェイドは二つの決まりを別の紙へ書き出し、翌日セシルに尋ねるための印をつけた。
「これ、オレたちまで試験受けるみたいだな」
「ノイッシュも、一緒に考えてるからね」
「気になったままじゃ、落ち着かねえだろ!」
シェイドは声を立てて笑った。
そのあとも、答えを確かめながら問題を進めた。すぐに答えられるものもあれば、三人で本を探し直すものもある。
尋ねたいことを書いた紙をノートに挟み、シェイドは二人へ顔を向けた。
「じゃあ、次は僕が問題を出すね」
シェイドが紙を持ち上げると、ノイッシュが背筋を伸ばした。
「よし、来い!」
「勝負じゃないからね」
ミストの声に、また三人で笑った。
◇
試験の前日、リアに会えたのは短い時間だった。
「明日なんだね」
「はい」
受験することは、準備を始めた頃に伝えていた。
その時、リアは驚いたあとで嬉しそうに笑ってくれた。けれど今日は、少し真剣な顔をしている。
「ちゃんと眠れてる?」
「眠れてます。昨日は、ミストたちに本を閉じられました」
「閉じられたの?」
「続きは明日できるから、今日は寝ようって」
リアが小さく笑った。
「わたしも、そう言おうと思ってた」
「今日は早く寝ます」
約束すると、リアは安心したように頷いた。
机の隅には、城外へ出る日のために調べている本があった。以前より、挟まれた紙が増えている。
シェイドが見ると、リアは少し照れた。
「わたしも、準備してるの」
「どんなことを調べたんですか?」
「今度、ゆっくり話すね。今日はシェイドが帰る時間、遅くしちゃいそうだから」
シェイドは笑った。
「はい。楽しみにしています」
リアも微笑む。
それから、彼を見て静かに言った。
「無理しないでね。応援してる」
「ありがとうございます」
明日、自分が受ける試験を、リアは楽しみにしてくれている。
それでも、いつもと同じように、休めているかを気にしてくれた。
シェイドは立ち上がり、彼女へ向き直った。
「また、話しに来ます」
「うん。待ってるね」
◇
試験当日の朝、シェイドはいつもより早く目を覚ました。
制服を着て、必要な物を確かめる。
机の上の本へ手を伸ばしかけ、途中で止めた。昨夜、セシルにも、朝は慌てて詰め込まずに来るよう言われていた。
いつも持ち歩いているハンカチを、制服の内側へ入れる。畳んだ白い布の端に、青い花が少し見えていた。
廊下へ出ると、ノイッシュとミストが待っていた。
「忘れ物、ないか?」
「確認したよ」
「朝食は食べられそう?」
「うん。少し緊張してるけど」
「オレの方が緊張してきた……」
ノイッシュが腹へ手を当てる。
ミストが困ったように笑った。
「ノイッシュは、いつも通り訓練でしょ」
「分かってるけど!」
シェイドは笑い、二人と食堂へ向かった。
朝食を終えて玄関へ行くと、カエルンたちが揃っていた。
バルドがこちらを見て頷き、レミユが扉を押し開ける。カエルンも書類を手に立ち上がった。
「では、行きましょう」
朝の空気を吸い込み、シェイドは外へ出た。
振り返ると、ノイッシュとミストが玄関に立っている。
「いってこい、シェイド!」
「帰ったら、話を聞かせてね」
シェイドは頷いた。
「行ってくる」
カエルンたちと歩き出す。
鼓動は速かった。けれど、足は止まらなかった。
今日は、自分に何ができるのかを見てもらう日だった。




