これからも、そばに
「シェイド、明日は?」
夕食の皿を運びながら、ノイッシュが尋ねた。
「午後から王城へ行くよ」
「じゃあ、午前中は空いてるな!」
「休みの日まで勝負するつもり?」
ミストが隣から言うと、ノイッシュは当然のように頷いた。
「この前、あと少しだったんだぞ」
「そう言って、三回負けてるよ」
「次は分かんねえだろ!」
シェイドは笑いながら、空いている席へ皿を置いた。
「少しならいいよ。でも、疲れてたら休もうね」
ノイッシュは何か言いかけたが、椅子へ座る時に顔をしかめた。今日の走り込みで、三人ともまだ脚が重い。
「……朝、決める」
「うん。それがいいと思う」
訓練へ向かう時には、廊下で二人を待つ。仕事の予定が違えば、夕食で何をしたか話す。ノイッシュが勝負を持ちかけ、ミストが止めるやり取りにも、すっかり慣れた。
そして、休みの日には王城へ行く。
入団してからも、休みの日にはリアに会いに行っていた。
「リア様も、この前誕生日だったんだろ?」
「うん。十二歳になられたんだ」
「じゃあ、これから外でのお仕事も増えるのかな」
ミストの言葉に、シェイドは顔を上げた。
「そうなの?」
「うん。王女様として出掛ける機会が増えるんじゃないかな」
明日会ったら、リアが話してくれるかもしれない。シェイドはそう思いながら、食事を続けた。
◇
「少しずつ、外での務めも覚えていこう」
父の言葉に、リアは膝の上で手を重ねた。
家族でお茶を飲む部屋には、窓から庭園の緑が見えていた。十二歳の誕生日を終えたばかりのリアの前に、これからの予定を記した紙が置かれている。
「最初は、お母様と一緒に行くの?」
「ええ。まずは私と出掛けましょう」
エリーゼが微笑んだ。
「初めから、何もかも一人でする必要はないのよ」
リアは紙へ目を落とす。
城内で客を迎える予定も、王都の施設を訪ねる予定もあった。自分もそこへ行くのだと思うと、少し胸が高鳴る。
「ご挨拶だけじゃなくて、お話もするのよね?」
「そうね。相手のお話を聞いて、気になったことを尋ねてもいいの」
「……何を聞こうか、考えておきたい」
エリーゼの目元が柔らかくなる。
「それなら、訪ねる場所について一緒に調べましょうか」
「うん」
リアが頷くと、向かいのルイが予定の紙へ手を伸ばした。
「それなら、リアにも専属の護衛が必要だろ」
「ああ。その選考もアレンと相談している」
セドリックの返事を聞き、ルイは頷いた。
「オレにも十二歳で、エヴァンたちがついたんだ。外へ出る機会が増えるなら、リアにも必要だと思う」
「お兄様も、最初は緊張した?」
「……少しはな」
ルイは紙から目を上げた。
「何をすればいいか分からない時もあった。でも、困ったらセシルに聞けたし、エヴァンは先に気づいて動いてくれた。グレンがそばにいると、落ち着くこともあった」
「そうなんだ」
「あいつらがいたから、自分のやることに集中できたんだと思う」
リアは兄の顔を見つめた。
いつも堂々としている兄にも、そんな時があったのだ。
ルイは父へ向き直った。
「剣が強いだけじゃ駄目だ。リアが困った時に、ちゃんと気づける奴じゃないと」
リアへ一度視線を向ける。
「まだ、困ってても言えないことがあるんだから」
「……うん」
リアは小さく頷いた。
「だから、リアを任せる相手も、ちゃんと選んでほしい」
「もちろんだよ」
セドリックは落ち着いて答えた。
「必要な力を確かめた上で、任せるつもりだ」
「決まったら、オレも話をしたい」
「ああ」
リアは、兄が紙を戻すのを見ていた。
知らない人に会う時にも、何を話そうか迷う時にも、一緒にいてくれる人。
そう聞いて、真っ先に浮かんだ顔があった。
◇
翌日、シェイドが部屋を訪れると、リアは卓の上に二冊の本を広げていた。
「シェイド、これ、見て」
挨拶を終えると、すぐに手招きされる。
「何の本ですか?」
「王都のことが載ってるの。今度、お母様と一緒に出掛けることになったから」
リアが指した頁には、建物の絵と説明が書かれていた。
「これから、お城の外へ行くことも増えるんだって。王女として、少しずつお仕事を覚えるの」
「そうなんですね」
シェイドは隣の椅子へ座った。
リアは本を二人の間へ寄せ、昨日聞いた予定を話してくれた。訪ねる場所も、会う相手も、まだ知らないことが多いらしい。
「だから、先に読んでおこうと思って」
頁の間には、細い紙が何枚か挟まれている。尋ねてみたいことを書き留めたのだという。
「もう、こんなに考えたんですか?」
「考え始めたら、いろいろ気になっちゃった」
リアも笑った。それから、少し声を落とす。
「でも、会った時にちゃんと聞けるかなって、心配にもなるの」
最初に会った頃のリアは、顔を上げることさえ難しそうだった。
今は、城の廊下で人に会えば自分から挨拶をする。誰かと話したことを、シェイドへ教えてくれる日も増えていた。
「この前、お庭でお客様に声を掛けられた時は、花のお話ができたんですよね」
「うん。でも、あの時はお花を見ていたから……何を話せばいいか、分かったの」
「今度も、気になったことがあるなら、そこからお話しできるかもしれません」
リアは挟んだ紙を見た。
「……そうかな」
「はい。今、僕に話してくれたことみたいに」
しばらく考えてから、リアが小さく頷く。
「お母様のお話を聞いているだけじゃなくて、わたしも、自分で尋ねられるようになりたいの」
「リア様なら、少しずつできるようになると思います」
励ますためだけではなく、そう思った。
リアは緊張することが分かっていても、会う人のことを知ろうとしている。
「それとね。わたしにも、専属の護衛をつけるんだって」
シェイドは顔を上げた。
「専属の、ですか?」
「うん。お兄様のエヴァンたちみたいに」
王城でルイに会う時、近くにはいつもエヴァンたちがいる。
シェイドには、一緒に食事をしたり、勉強を教えてくれたりする人たちだった。けれど、ルイのそばに立つ時には、話し方も周囲への目の配り方も違っていた。
「誰がついてくれるかは、まだ決まってないの」
リアは本の端を指で撫でた。
「知ってる人だったら、嬉しいな」
「そうですね」
リアが出掛ける日、自分は騎士団で訓練をしているのかもしれない。
帰ってきたあとで、どんな場所だったか聞くことはできる。けれど、挨拶の前に緊張した時には、ここでしているように話を聞けない。
「……シェイドも、一緒に来られたらいいのに」
リアの声に、顔を上げた。
青い瞳がこちらを見ている。
「さっきみたいに話せたら、少し落ち着ける気がするの」
シェイドの胸が、小さく高鳴った。
自分も、同じことを考えていた。
リアが本で調べた場所を、一緒に見たい。初めて会う人に挨拶する姿を、そばで見守りたい。
ただ、正式に入団して間もない自分に、その役目が務まるとはまだ思えなかった。
「……僕も、一緒に行けたら嬉しいです」
それだけは、素直に答えた。
リアの口元に笑みが浮かぶ。
「うん」
シェイドも微笑み、本へ目を戻した。
「今日は、この続きを一緒に調べましょうか」
「いいの?」
「僕も、ここで何をしているのか気になったので」
リアが嬉しそうに椅子を寄せる。
二人で文章を読み、分からない言葉を別の本で調べた。
リアが紙に書き足す横で、シェイドは建物の絵を眺めた。いつか、その場所を隣で見られたらと思った。
◇
「王族直属かあ……」
騎士団へ戻ったシェイドの話を聞いて、ノイッシュは椅子の背から身体を起こした。
談話室にはミストもいた。奥の卓ではグレンが飲み物を片手に休み、セシルが書類を読んでいる。
「やっぱり、憧れるよな。王族のすぐそばで守るんだぞ」
「でも、選ばれるのは一部の人だけだよ。試験も、すごく難しいって聞いた」
ミストの言葉に、シェイドは聞き返した。
「試験?」
「難しいなんてもんじゃねえぞ」
奥からグレンの声がした。
「あれは二度と受けたくねえな」
「グレンさんでも、そんなに大変だったんですか?」
ノイッシュが目を丸くする。
「おう。剣が強いだけじゃ通らねえからな」
「守る相手のそばで、何をすべきか判断できることも必要です」
セシルが書類から顔を上げた。
シェイドは、ルイのそばに立つ三人を思い浮かべる。
エヴァンも、セシルも、グレンも、その試験を越えてきたのだ。
「……すごいんだね」
零れた言葉に、グレンが笑う。
「今頃分かったか」
「すごいのは知ってたよ。でも、試験のことは知らなかったから」
「いつか受けてみたいです」
ノイッシュが身を乗り出した。
「まずは今の訓練だな」
「はい!」
その返事を聞きながら、シェイドは膝の上の手へ目を落とした。
リアと一緒に行けたら嬉しい。
そう答えた時には、隣にいる自分を思い浮かべていた。けれど、そこへ立つには、そばにいたいという気持ちだけでは足りない。
「シェイド?」
ミストに呼ばれ、顔を上げる。
「どうしたの?」
「……明日の訓練、ちゃんとやろうと思って」
「いつもやってるだろ」
ノイッシュがすぐに言った。
「じゃあ、明日の相手はオレな」
「教官が決めるでしょ」
「組めたら!」
シェイドは笑って頷いた。
「うん。組めたらね」
◇
執務室で、アレンはカエルンへ一枚の書類を差し出した。
「リア様の直属護衛選考について、受験の意思を確認したいと思っています」
カエルンは書類へ目を通し、頷いた。
「承知しました。私も受けさせていただきます」
「ありがとうございます。それから、シェイドをこちらへ呼んでもらえますか」
「シェイドも受けるのですか?」
「本人が望めば。ただ、試験の基準は同じです」
カエルンは頷いた。
「分かりました。伝えてきます」
◇
談話室を出ようとしたところで、シェイドはカエルンに呼び止められた。
「シェイド。団長が呼んでいますよ」
「僕を?」
「ええ。今から執務室へ行けますか?」
「うん」
何の話だろう。
今日の予定は、出掛ける前に確認している。王城でも、特に困ったことはなかった。
シェイドは廊下を歩き、執務室の扉を叩いた。
「シェイドです」
「どうぞ」
中へ入ると、アレンが書類から顔を上げた。
「急に呼んでしまって、すみません。座ってください」
「はい」
いつもの椅子へ座る。
アレンはシェイドが落ち着くのを待ってから、口を開いた。
「リア様から、専属護衛のお話は聞いていますか?」
「はい。今日、教えていただきました」
「その選考について、あなたにも受験の意思を聞きたいと思っています」
シェイドはアレンを見つめた。
「……僕、ですか?」
「はい。王族直属護衛の試験を、受けてみますか」
つい先ほど、グレンたちから難しさを聞いたばかりだった。
自分には、まだ遠いところにある話だと思っていた。
「もちろん、受ければ任命されるというわけではありません。必要な力があるかどうか、ほかの候補者と同じ基準で確かめます」
シェイドは膝の上に手を置いた。
リアの言葉が、胸の内に戻ってくる。
――シェイドも、一緒に来られたらいいのに。
嬉しかった。自分もそうしたいと思った。
けれど、実際に道を示されると、簡単には頷けなかった。
「……少し、考えてもいいですか?」
「もちろんです」
アレンは急かさなかった。
「あなたがどうしたいか、聞かせてください」
シェイドは自分の手へ目を落とした。
この手で、リアを守れるだろうか。
まだ分からない。見回りでも先輩に助けてもらったばかりだ。
けれど、できるようになりたかった。
リアが不安な時に話を聞くだけでなく、何かあった時に動けるように。外へ踏み出そうとしている彼女のそばで、安心して務めに向き合えるように。
シェイドはゆっくり顔を上げた。
「僕、リア様のそばで、お守りできるようになりたいです」
声には、まだ緊張が残っていた。
「今の僕に足りないことも、たくさんあると思います。でも……挑戦したいです。その試験を、受けさせてください」
アレンが静かに頷いた。
「分かりました。では、必要な準備についてお話ししましょう」
「はい」
シェイドは背筋を正した。
リアのそばに立つために、何を学べばいいのか。
今度は、自分からそれを聞こうと思った。




