初めて任された仕事
「今日の見回りには、三人にも同行してもらいます」
カエルンの言葉を聞いた途端、ノイッシュが背筋を伸ばした。
「オレたちも、ですか?」
「ええ。王都の市場を通る予定です」
シェイドは隣にいる二人を見た。
訓練ではない。今日から、実際の仕事を教えてもらえる。
「私とバルド、レミユが一緒に行きます。初めは指示に従って、どこを見ればよいか覚えてください」
「はい!」
ノイッシュの返事が響いた。
その手が腰の剣へ向かうのを見て、レミユが笑う。
「剣、気になる?」
「いや、その……仕事なので」
「そうだね。でも今日は、抜かずに帰ってこられるといいね」
ノイッシュは少し考えてから、剣から手を離した。
シェイドも自分の腰元へ目を落とす。
制服を着て、剣を下げて、王都を歩く。嬉しいはずなのに、いつもの訓練より肩に力が入っていた。
「シェイド」
バルドに呼ばれて、顔を上げる。
「足元ばかり見るな」
「……うん」
まだ出発もしていないのに、気づかれてしまった。
隣でミストが小さく笑う。
「僕も、さっき剣帯を確かめてた」
「オレも。三人ともじゃん」
ノイッシュの一言で、シェイドもようやく笑えた。
◇
王都へ出ると、いつもの道が違って見えた。
店先に積まれた荷物。通りを横切る人。馬車が近づいているのに、話に夢中で気づいていない二人組。
どこを見ればよいのか考えているうちに、目が忙しくなる。
「全部、気になりますか?」
カエルンに尋ねられ、シェイドは頷いた。
「人も、荷物も多いから」
「初めはそうですね。まずは、人が安全に通れているかを見てみましょう」
道へ視線を戻した時、店先から声が掛かった。
「カエルンさん! 今日は若い子も一緒かい?」
林檎の箱を並べていた女性が、こちらを見ている。
「新しく入った三人です」
「あら、そう。よろしくね」
三人が名乗ると、女性は笑って頷いた。
その腕の中で箱が傾き、林檎がいくつかこぼれ落ちる。
「あっ!」
ノイッシュが飛び出しかけた。
バルドがすぐに箱を支え、カエルンが声を掛ける。
「ノイッシュ、通る人へ知らせてください。シェイドとミストは、落ちた林檎を」
「はい!」
シェイドはしゃがみ、ミストと一緒に林檎を拾った。
「すみません! 足元、気をつけてください!」
ノイッシュの声に、通りかかった人が歩みを緩める。レミユは道の中央へ転がった一つを拾い、戻ってきた。
箱を下ろした女性が、ほっと息を吐く。
「助かったよ。ありがとう」
店を離れると、ノイッシュがカエルンを見た。
「オレ、拾う方かと思ってました」
「通る人へ知らせる役も必要でしたからね」
「……そっか」
ノイッシュは頷き、今度は通りの先へ目を向けた。
◇
市場を抜け、細い路地の前へ来た時だった。
泣き声がした。
シェイドが顔を上げると、ノイッシュも立ち止まっていた。
「今、子どもの声が」
「確認しましょう」
カエルンに続いて角を曲がる。
壁際に、幼い男の子が立っていた。顔を真っ赤にして、両手で目をこすっている。
レミユが少し離れた場所で屈んだ。
「こんにちは。どうしたの?」
男の子は顔を上げた。
けれど、制服姿の六人を見ると、身体をこわばらせる。
シェイドは足を止めた。ノイッシュも近づきかけたところで立ち止まる。
「誰かと一緒に来た?」
レミユが穏やかに尋ねた。
「……おかあさん」
「お母さんが、見えなくなったんだね」
男の子が頷く。
レミユは返事を待ちながら、名前と母親の服の色を聞いた。そのやり取りが終わると、カエルンが顔を上げる。
「ノイッシュはレミユと一緒に、近くのお店へ聞いてください。私たちはここで待ちます」
「はい」
ノイッシュは男の子を一度見てから、レミユの後を追った。
バルドは路地の入口へ戻り、通りへ目を向ける。
シェイドとミストは、男の子から少し離れてしゃがんだ。
「お母さんを探しに行ってくれてるよ」
シェイドが伝えても、男の子は入口を見たままだった。
「おかあさん……」
声がまた震える。
何か話した方がいいのか。それとも、静かに待った方がいいのか。
シェイドが言葉を探していると、ミストが懐から清潔なハンカチを出した。
「顔、拭く?」
男の子の視線が、差し出されたハンカチへ移る。
小さな手が伸びた。
受け取った直後、男の子が急に顔を上げた。
「おかあさん!」
通りを、淡い色の服を着た女性が歩いている。
男の子が路地の入口へ駆け出した。
シェイドも立ち上がり、後を追う。
入口にいたバルドが振り返った。男の子の前へ屈み、両肩をそっと支えて、通りへ飛び出す前に止める。
「待て。ここから確かめよう」
声に気づいた女性が振り返った。
その顔を見た途端、男の子の動きが止まる。
「……ちがう」
女性は心配そうにカエルンを見た。
カエルンが事情を説明し、子どもを探している人を見かけたら知らせてほしいと頼む。
男の子は、また泣き始めた。
シェイドはそのそばへ屈んだ。
「お母さんかと思ったんだね」
男の子が頷く。
「ぼく、ここにいるの、わかる?」
シェイドは一度、入口を見た。
レミユとノイッシュは、まだ戻っていない。
「探しに行ってくれてるから、僕たちはここで待とう」
男の子の手が、制服の袖を掴んだ。
「いっちゃう?」
「僕は、ここにいるよ」
シェイドははっきり答えた。
男の子が顔を上げる。
「一緒に待ってる。お母さんが来たら、ここにいるって知らせよう」
袖を掴む手は離れなかった。
シェイドはそのまま壁際へ戻り、男の子の隣にしゃがんだ。ミストもそばへ来る。
「さっきのハンカチ、持ってる?」
男の子が頷いた。
「顔、拭いておこうか」
小さな手が、ハンカチを目元へ当てる。
シェイドは隣で待った。
男の子が入口を見るたび、自分もそちらへ目を向ける。袖を掴む指の力が、少しずつ緩んでいった。
◇
「来たぞ」
バルドの声で、シェイドは顔を上げた。
通りの向こうから、ノイッシュが歩いてくる。その後ろにはレミユと、足早にこちらへ向かう女性がいた。
カエルンが女性へ尋ねる。
「こちらのお子さんですか?」
「はい……!」
男の子の手が、シェイドの袖から離れた。
「おかあさん!」
今度は、母親の方から駆け寄ってくる。
小さな身体が、その腕の中へ収まった。
「ごめんね。怖かったね」
男の子は母親の服を握り、顔を埋めた。
シェイドは立ち上がる。
隣でミストも、ほっと息を吐いた。
女性は何度も礼を言った。市場で一瞬手を離したあと、姿が見えなくなったのだという。
カエルンは怪我のないことを伝え、人の多い場所では手をつないで歩くよう、穏やかに話した。
帰る前に、男の子がミストへハンカチを差し出す。
「これ……」
「うん。ありがとう」
母親と手をつなぎ、数歩進む。
それから男の子は振り向いた。
「お兄ちゃんたち、ありがとう!」
シェイドは返事を忘れた。
さっきまで、袖を握って泣いていた子が笑っている。
「おう! 今度は手、離すなよ!」
ノイッシュが片手を上げた。
男の子は大きく頷く。ミストも手を振り、シェイドはようやく声を出した。
「気をつけてね」
二人が角の向こうへ消えるまで、見送った。
「どうやって見つけたの?」
シェイドが尋ねると、ノイッシュが答えた。
「店で聞いたら、子どもを探してる人が通ったって教えてくれたんだ。それで行ってみたら、あの子の名前を呼んでた」
「ノイッシュ、教えてもらった服の色も、ちゃんと伝えられてたよ」
レミユに言われ、ノイッシュは少し照れたように笑った。
「……見つかってよかった」
「うん」
シェイドも頷く。
バルドが通りを確かめ、カエルンへ目を向けた。
まだ、今日の見回りは終わっていない。
「では、続きを回りましょう」
シェイドは二人と並び、また歩き出した。
◇
騎士団へ戻り、報告を終えると、三人は談話室へ入った。
ノイッシュが椅子へ座り、大きく息を吐く。
「……訓練と違う疲れ方しますね」
「ずっと気を張っていましたからね」
カエルンが卓へ、茶の入ったカップを置いた。
シェイドも腰を下ろす。
脚よりも、頭の中が疲れている気がした。男の子の泣き顔と、最後に笑った顔が浮かぶ。
「お母さんが見つかるまで、あの子、大丈夫かなって気になってました」
ノイッシュが言った。
「でも、戻ったらシェイドたちが一緒に待っててくれて、ほっとしました」
シェイドはノイッシュを見た。
「僕も、二人がお母さんを連れて戻ってきた時、ほっとしたよ」
母親を探してきてくれる人がいたから、自分はあの子の隣にいられた。
「三人、違うことしてたね」
「でも、同じ子を助けてた」
ミストが言う。
ノイッシュも頷いた。
シェイドは袖口へ目を落とす。小さな手が掴んでいた場所を、指でそっと撫でた。
「……あの子に、お母さんが来るって言いそうになったんだ。でも、まだ見つかってなくて」
「だから、自分はここにいると伝えたのですね」
カエルンの声に顔を上げる。
「うん」
「それは、守れる約束でしたね」
シェイドは少し考えてから、頷いた。
レミユが隣で微笑む。
「ちゃんと、一緒に待てたね」
「……うん。ミストがハンカチを出してくれたのも、助かった」
「顔を拭けた方がいいかなって思ったんだ」
ミストは答えて、返してもらったハンカチを手元で畳んだ。
バルドが三人の前へ、一つずつ焼き菓子を置く。
「食べろ」
「ありがとうございます!」
ノイッシュがすぐに手を伸ばした。
シェイドも礼を言って受け取る。一口食べると、ようやく腹が減っていたことに気づいた。
「次も、三人で行けるかな」
「予定を見て決めますが、また一緒に仕事をしてもらうことはありますよ」
カエルンの返事に、ノイッシュが顔を明るくした。
「じゃあ、今日分かんなかったところ、あとで聞こう」
「うん。僕も聞きたいことがある」
ミストが頷く。
シェイドは二人を見た。
「僕にも分からないことがあったら、二人に聞いていい?」
「もちろん。オレに分かることならな!」
「僕も聞くと思うよ」
すぐに返ってきた声が嬉しかった。
七歳のあの日、自分は騎士たちの後ろをついて歩いた。
今日は、教わりながら、泣いている子どもの隣に座っていた。
まだ一人ではできないことが多い。けれど、そばを離れられない時、代わりに動いてくれる仲間がいる。
「……オレ、初めてお兄ちゃんって呼ばれた」
ノイッシュが、菓子を持ったまま言った。
「嬉しそうだったね」
ミストが答える。
「嬉しかったんだよ」
「うん。分かる」
シェイドも頷いた。
「僕も」
あの子の笑顔を、三人とも覚えている。
次にリアへ会った時、今日のことを聞いてもらいたかった。
初めて王都を見回ったこと。泣いている子と、一緒に母親を待ったこと。
そして、ノイッシュとミストがいてくれて、助かったことも。
「シェイド、次はもっと周り見られるようになろうな」
「うん」
「僕たち、最初は三人とも剣ばっかり気にしてたね」
ミストの言葉に、ノイッシュが笑った。
シェイドもつられて笑い、隣の二人へ顔を向けた。




