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17/24

同じ日に入った三人


 正式入団の日の朝、シェイドは自分の部屋の鏡の前で動けなくなっていた。


 騎士団の制服。


 毎日、誰かが着ているのを見てきた。訓練場でも、任務へ向かう時も、帰ってきて食堂で笑う時も。


 憧れていたその服を、今、自分が着ている。


 袖にはまだ少し余裕があった。腕を動かすたびに、新しい布の感触がする。


 シェイドは、胸元の騎士団の紋章へそっと触れた。


「……本当に着てる」


 鏡の中にいるのは、昨日までと同じ自分だった。急に強くなったわけでも、背が伸びたわけでもない。


 それなのに、少し違って見える。


 背筋を伸ばすと、口元が緩んだ。


 もう一度襟を確かめようとした時、扉が叩かれた。


「シェイド。入ってもよろしいですか?」


「はい! どうぞ」


 返事が少し大きくなった。


 扉を開けたカエルンが、シェイドを見るなり足を止める。肩から胸元へ視線を動かし、柔らかく笑った。


「似合っていますよ」


「……本当?」


「ええ。見せてもらえるのを、楽しみにしていました」


「どれどれ」


 その肩越しに、グレンが顔を出す。


「おお! やっとそれ着たか!」


「声が大きいですよ、グレン」


 カエルンが言う間に、バルドも部屋へ入ってきた。


 シェイドは三人を見て、少し照れた。


「見に来てくれたの?」


「おう。初めて着る日だろ」


 グレンは当然のように答える。


 その隣で、バルドがシェイドの腰元へ目を落とした。


「剣帯、少し緩い」


「え?」


 シェイドが手を下ろす前に、バルドが膝を曲げ、留め具を一つ締め直した。帯の位置を確かめてから、顔を上げる。


「苦しくないか」


「うん。大丈夫」


「これでいい」


「ありがとう」


 カエルンも近づき、襟の端をそっと整えた。


「ここだけ、少し折れていました」


「何回も直したのに」


「今日は落ち着かないでしょうから」


 そう言って手を離したカエルンの笑顔を、シェイドは鏡越しに見た。


 ふと、初めてここで服を用意してもらった日のことを思い出す。何をしてもらっても、どう返せばいいのか分からなかった。


 今は、三人に制服を見てもらえることが嬉しい。


「……あの」


 シェイドは振り返った。


「今日まで、ありがとう」


 グレンの笑いが止まった。バルドも、帯から手を離してこちらを見る。


「みんなが、ずっと教えてくれたから……今日、この服を着られた」


 カエルンの目元が柔らかくなった。


「まだ今日で終わりではありませんよ」


「うん。分かってるけど」


「でも、嬉しいですね。あなたを、この服で送り出せる日が来て」


 胸がいっぱいになって、シェイドは返事の代わりに頷いた。


「よし。行ってこい!」


 グレンの大きな手が、頭へ伸びてくる。


「待って、髪は――」


 言い終わる前に、くしゃりと撫でられた。


「グレン!」


「お前なら大丈夫だ!」


 笑顔で言われ、抗議の続きが出てこなくなる。


 シェイドは困ったように笑い、鏡の前へ戻った。今度は自分で前髪を整え、机の上の書類を持つ。


 集合時間も、場所も確かめてある。


 扉の前で振り返ると、三人がこちらを見ていた。


「……行ってきます」


「はい。行ってらっしゃい」


 カエルンの返事を聞いて、シェイドは部屋を出た。


     

◇

 訓練場には、今年入団する少年たちが集まっていた。


 同じ制服を着た、同じくらいの年の顔が並んでいる。


 シェイドは指定された列へ入り、前を向いた。


 見慣れた訓練場だった。端で皆の訓練を見ていたことも、木剣を持って教わったこともある。


 けれど、新入団員として並ぶのは初めてだった。


 肩へ力が入る。息を吐いて緩めようとした時、隣から声がした。


「なあ。お前、シェイド?」


 顔を向けると、鮮やかな赤髪の少年がこちらを見ていた。灰色の瞳が、興味津々というふうに輝いている。


「うん」


「やっぱり! オレ、ノイッシュ。ノイッシュ・フィージャー!」


「よろしく。どうして僕の名前、知ってるの?」


「五年前から騎士団にいる子が、今年一緒に入るって聞いてたんだ。さっき、先輩に名前呼ばれてただろ?」


「ああ……」


 訓練場へ来る途中、レミユとすれ違ったのだ。「あとで初日の話、聞かせてね」と声を掛けてもらった。


「五年ってすごいよな。じゃあ、剣もずっと練習してたのか?」


「少しずつ、教えてもらってたよ」


「今度、手合わせしようぜ! オレも早く強くなりたいんだ」


「ノイッシュ」


 隣から、柔らかな声がした。


「少し落ち着こう。まだ会ったばかりでしょ」


 茶髪の少年が、ノイッシュの袖を軽く引いた。金茶色の瞳が、シェイドへ向く。


「急にごめんね。僕はミスト。ミスト・リンドバーグ」


「よろしく、ミスト。僕は大丈夫だよ」


「……悪い。つい気になって」


 すぐに謝るノイッシュに、シェイドは小さく笑った。


「二人は、前から知り合いなの?」


「小さい頃から一緒なんだ。家同士も付き合いがあるから」


 ノイッシュがミストの肩へ腕を回す。


 ミストはその腕を外しながら、頷いた。


「だから、止めるのにも慣れてるよ」


「そんなに止めなくてもいいだろ」


「さっき、反対の道へ行こうとしてたのは?」


「呼ばれたから戻っただろ!」


 シェイドの口元が緩む。


「場所なら、あとで案内できるよ」


「本当? 助かった!」


 ノイッシュは顔を明るくした。


「五年もいるなら、もう先輩みたいなもんだな」


「騎士団には五年いるけど、正式に入るのは今日なんだ」


「そっか! じゃあ、オレたちと一緒だな!」


 シェイドは目を瞬いた。


 五年間、身近にいたのは年上の人たちだった。何かを教わることも、助けてもらうことも多かった。


 その自分へ、ノイッシュは迷わず「一緒」と言った。


「……うん。一緒だね」


「じゃあ、分かんないことがあったら三人で聞こうぜ」


「まずは説明を聞いてからね」


 ミストが言うと、ノイッシュが笑った。


 その時、新入団員へ整列の指示が出た。


 三人は前を向き、足の位置を揃える。


 シェイドの肩は、さっきより少し下がっていた。


     

◇

 新入団員たちの前へ、アレンが進み出た。


「本日より、皆さんをフェリスティル騎士団の一員として迎えます」


 訓練場が静まり返る。


 シェイドも背筋を伸ばした。


「家柄や出自ではなく、ここでは騎士として何をするかが問われます。隣にいる仲間と助け合い、その力を、守るために使ってください」


 短い言葉を、シェイドは胸の中で繰り返した。


 隣にいる仲間。


 先ほどまで話していた二人が、今は同じように真っ直ぐ前を見ている。


 順に名前を呼ばれ、新入団員たちが返事をした。


「シェイド」


「はい!」


 思っていたより、はっきりした声が出た。


 アレンがこちらを見た。その目が、一瞬だけ柔らかくなった気がした。


 騎士団の規律を守り、仲間と協力して務めを果たすことを、皆で誓う。


 シェイドも深く頭を下げた。


 顔を上げた時、胸元に新しい布の感触があった。


 七歳の時、皆と同じ服を着て、同じ場所で働きたいと思った。


 その最初の日に、今、立っている。


     

◇

 入団式に続いて、最初の訓練が始まった。


 走り込みを終え、木剣を受け取る。持ち方、構え方、足運び。


 何度も教わってきたことだったが、シェイドは一つずつ確かめた。知っているからと、雑にはやりたくなかった。


 前を見て踏み込む。剣を戻し、足の位置を整える。


 休憩の声が掛かるまで、指示に集中していた。


「シェイド!」


 ノイッシュが、息を弾ませながら寄ってくる。


「やっぱり慣れてるな。オレ、足と剣が一緒に動かないんだけど」


「最初は、僕もそうだったよ」


「本当か?」


「うん。足だけで練習したりした」


 ノイッシュが自分の足元を見た。


 その隣で、ミストが水筒を差し出す。


「先に、水」


「あ、ありがと」


「シェイドも飲んだ方がいいよ」


「うん。僕のも持ってきた」


 三人で日陰へ移り、腰を下ろした。


 水を飲み終えると、ミストがシェイドの手元を見た。


「力、入りすぎてない?」


「え?」


「木剣、ずっと強く握ってたみたいだから」


 シェイドは掌を開いた。指を動かすと、思っていたより強張っている。


「……本当だ」


「さっき、教官も力を抜くように言ってたよね」


「うん。聞いてたのに」


 ゆっくり指を曲げ伸ばしする。


 ちゃんとやらなければと思ううちに、また握り込んでいたらしい。


「最初の日だから、きちんとやりたくて」


「ずっと入りたかったんだもんな」


 ノイッシュが水筒を下ろした。


「うん」


「でも、今日全部できなくてもいいんじゃね? 明日も練習するんだろ」


 シェイドはノイッシュを見た。


 彼は木剣をそばへ置き、自分の掌を開いたり閉じたりしている。


「オレも、早くちゃんとできるようになりたい。助けたいと思った時に、動けるようになりたいんだ」


 さっきまでの悔しそうな顔が、真剣なものに変わっていた。


「だから、シェイドにも負けたくない」


「僕に?」


「うん。でも、分かんないところは教えてほしい」


 まっすぐ言われて、シェイドは少し笑った。


「僕に分かるところなら」


「よし。オレに分かることがあったら、オレも言うから。一緒に強くなろうぜ」


 教わるだけでも、教えるだけでもない。


 その言い方が嬉しくて、シェイドは頷いた。


「うん」


「ミストもな」


「僕まで決まってるんだね」


「嫌か?」


「嫌とは言ってないよ」


 ミストが笑い、シェイドへ顔を向ける。


「僕も、一緒にできたら嬉しい」


 幼馴染の二人の間に、今日初めて会った自分がいる。


 それなのに、誘う時に迷いがなかった。


「……僕も」


 答えると、ノイッシュの顔が明るくなった。


「じゃあ、休憩終わったら――」


「次の指示を聞こうね」


 ミストが先に言った。


「分かってるって!」


 シェイドはとうとう、声を出して笑った。


     

◇

 その日の訓練が終わる頃には、脚が重くなっていた。


 木剣を戻して歩き出すと、ノイッシュが大きく息を吐く。


「疲れた……!」


「最後の方、声まで小さくなってたね」


「ミストだって、さっきから歩くの遅いだろ」


「うん。疲れてるから」


 素直に答えられ、ノイッシュが笑う。


 シェイドも隣で笑っていた。


 朝には、緊張したまま一日が終わると思っていた。けれど今は、明日も二人と訓練できることが楽しみだった。


 出口へ近づくと、門のそばにカエルンが見えた。


 隣にはセシルとレミユ。少し離れたところでエヴァンが腕を組み、バルドとリオンも立っている。


 こちらに気づいたグレンが、顔を上げた。


「シェイド!」


 シェイドは足を止める。


「……みんな、待ってたの?」


「初日ですからね」


 カエルンが微笑んだ。


 グレンが待ちきれないように近づいてくる。


「で、どうだった?」


「……疲れた」


「だろうな!」


 大きく笑われて、シェイドも笑う。


「でも、楽しかったよ」


 言ってから、ノイッシュとミストを振り返った。二人は少し後ろで姿勢を正している。


「ノイッシュとミスト。今日、一緒に入ったんだ」


「ノイッシュ・フィージャーです!」


「ミスト・リンドバーグです。よろしくお願いします」


 皆が挨拶を返す中、グレンは三人を見比べた。


「一緒に訓練してたのか」


「はい。足の動かし方、シェイドに教えてもらいました」


 ノイッシュの答えに、シェイドは少し照れた。


「僕に分かるところだけだよ。僕も力が入りすぎてて、ミストに教えてもらった」


「それでいい」


 バルドが短く言う。


 シェイドが頷くと、グレンの手が肩を力強く叩いた。


「いい初日じゃねえか!」


 身体が少し揺れる。その手の重みを感じながら、シェイドは七人を見た。


 朝、送り出してくれた人たちも、今日まで何度も教えてくれた人たちもいる。


「ちゃんと、入れたよ」


 自然に、そんな言葉が出た。


 カエルンの目元が柔らかくなる。


「ええ。正式入団、おめでとうございます」


 セシルが微笑み、レミユも嬉しそうに頷いた。リオンと目が合うと、静かに笑ってくれる。


 シェイドは胸元へ一度目を落とし、それから顔を上げた。


「ありがとう」


「明日からも訓練はある。今日は食事を取って、早めに休め」


 エヴァンが口を開いた。


「うん」


「明日の集合時間は――」


「確認したよ」


 シェイドが先に答える。


 エヴァンは一度口を閉じ、それから頷いた。


「ならいい」


 グレンが楽しそうに笑い、食堂の方へ身体を向けた。


「よし、行くか。今日は腹減っただろ、三人とも!」


「すごく減りました!」


 ノイッシュの即答に、シェイドも声を上げて笑った。


     

◇

 皆で歩き出すと、ノイッシュがシェイドの隣へ並んだ。


「明日も、一緒に行こうぜ」


「訓練?」


「うん。その前に朝飯も。オレ、まだ食堂まで一人で行ける気がしない」


「帰りに道を確かめようね」


 ミストが反対側へ並ぶ。


「じゃあ、明日の朝は三人で」


 シェイドが言うと、ノイッシュは嬉しそうに頷いた。


「決まりな!」


 制服は朝より少し皺になっていた。靴には訓練場の土がつき、身体も疲れている。


 それでも、隣から聞こえる二人の声に、何度も笑ってしまう。


 今日のことをリアへ話す時、どこから話そう。


 制服を着た朝のこと。式で返事ができたこと。それから、ノイッシュとミストのことも。


 同じ日に入った二人と、明日の約束をしたことも、聞いてほしかった。


「シェイド、明日はオレが案内するからな」


「じゃあ、お願いしようかな」


「任せろ!」


「二人とも迷ったら、僕が呼ぶね」


 ミストの言葉に、ノイッシュが「迷わないって!」と返す。


 前からグレンに名前を呼ばれ、シェイドは顔を上げた。


「今、行く」


 同じ制服の袖を揺らし、二人と一緒に歩いていった。


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