帰って話したくなる場所
「ただいま」
王城から戻り、アレンと一緒に騎士団本部へ入ると、談話室の方からすぐにグレンの声が飛んできた。
「おう、おかえり! 今日は遅かったな!」
「リア様と本を読んでたから」
シェイドは何気なく答え、そのまま談話室へ入った。隣では、アレンも雨に濡れた外套を外している。
「リア様?」
グレンが声を上げた。
「呼び方変わってんじゃねえか! この前まで王女殿下だっただろ?」
「ずっと王女殿下って呼ぶのかって聞かれたから。リア様って呼んでみたら、そっちがいいって」
「へえ」
向かいの椅子に座っていたレミユが、少し笑った。
シェイドはその顔を見る。
「何?」
「前より話しやすくなったんだなって」
「……うん。最初の頃よりは」
そう答えてから、空いている椅子へ腰を下ろした。
カエルンは読んでいた書類を置き、壁際ではバルドが剣の手入れを続けている。アレンも外套を掛けると、少し離れた席へ座った。
◇
「今日は何の本を読んだの?」
レミユに尋ねられ、シェイドは顔を上げた。
「騎士が旅をする話。途中で雨が降ってきたから、窓のそばで読んでた」
「リア様、楽しそうだった?」
「うん。あと、少し話もした」
そこで言葉を止めると、レミユは急かさずに待った。
「家族の話をしたんだけど、リア様が『わたしもいるよ』って言ってくれた」
口にすると、あの時の小さな声が思い出された。
恥ずかしそうに目を伏せていたのに、最後まで伝えてくれた。寂しい時には、話ができるから、と。
シェイドの口元が、自然に緩んだ。
「……嬉しかったんだ?」
レミユが少し声を柔らかくした。
「うん」
今度は、すぐに答えられた。
レミユも笑う。
「よかったね」
「いいじゃねえか」
グレンが椅子の背へ腕を掛けた。
「寂しくなったら、話せる相手が増えたってことだろ」
「そうだね」
シェイドは頷いた。
隣に座るアレンへ目を向けると、いつもの穏やかな顔でこちらを見ていた。
「団長」
「はい」
「今日、行ってよかったです」
「そうですか」
アレンは静かに頷く。
シェイドはまた、レミユたちへ向き直った。
「それから、グレンが椅子を壊した話もした」
「おい!」
グレンが身体を起こす。
「何でそれを話すんだよ!」
「笑ってくれそうだったから」
「笑ってた?」
レミユが尋ねると、シェイドは頷いた。
「うん」
「ならよかったじゃん、グレン」
「よくねえ! 俺の話なら、もっと格好いいのがあるだろ!」
シェイドは少し考えた。
「魔獣の討伐から帰ってきた時の話も、前にしたよ」
「おう、それだ!」
「怪我してるのに、なかなか治療しに行かなかったって」
「そこかよ!」
レミユが吹き出した。カエルンも苦笑している。
シェイドは、その笑い声を聞きながら椅子に座り直した。
王城で何を話したか、帰ってから聞いてもらえる。それが、思っていた以上に楽しかった。
◇
夕食のあと、シェイドは室内訓練場へ向かった。
雨は弱まっていたものの、外の地面はまだ濡れていた。
「今日は軽くな」
バルドが木剣を渡す。
「分かってる」
「本当に?」
今度は、カエルンの声が飛んできた。
「……分かってるよ」
「ならいいですが」
「みんな、僕が無茶すると思いすぎじゃない?」
「実績がありますから」
「そんなにないよ」
「あります」
即答され、シェイドは少し不満そうに木剣を構えた。
足を開き、腰を落とす。十歳になった今でも、本物の騎士にはまだ遠い。それでも、七歳の頃と比べれば、木剣はずっと手に馴染んでいた。
「振れ」
「うん」
振り下ろした剣を戻し、もう一度構える。
「もっと腰」
バルドの声に合わせて直した。
「右肩が上がってる」
「こう?」
「ああ」
さらに数回振ったところで、入口からグレンが現れた。
「お、やってんな!」
「グレン」
「今日は俺が相手してやろうか?」
「本当?」
シェイドの目が少し輝く。
「駄目です」
カエルンが即座に止めた。
「何でだよ!」
「今日は軽い練習だけです。それに、この前、訓練用の木剣を折ったばかりでしょう」
「今日は折らねえって!」
「まずは、加減を確かめてからにしてください」
グレンが不満そうに腕を組む。
シェイドは笑った。
「じゃあ、今日は見てて」
「見てるだけかよ!」
「変なところがあったら教えて」
「それなら任せろ!」
声が大きくなり、カエルンに視線を向けられたグレンは、少しだけ声を落とした。
シェイドは木剣を握り直す。
王城にいた時とは違う。こちらには、こちらの楽しさがあった。
◇
練習を終え、木剣をバルドへ返したところで、アレンが入口から歩いてきた。
「シェイド」
「はい」
「少しいいですか?」
「もちろんです」
二人で訓練場の端へ移る。
「王城へ行くことなのですが、負担になっていませんか?」
先にそう尋ねられ、シェイドは目を瞬いた。
「負担?」
「王城へ行く日は、その分こちらでの時間が減ります。訓練もありますし、勉強もあるでしょう」
「大丈夫です」
「本当に?」
「はい。むしろ、行きたいです」
今度は迷わなかった。
アレンの表情が少し柔らかくなる。
「そうですか」
「リア様と話すの、楽しいので」
口にしたあと、シェイドは少し照れたように笑った。
「最初は、どうしたらいいか全然分からなかったですけど」
「ええ」
「今は、次は何を話そうかなって考えてます」
アレンは穏やかに頷いた。
シェイドは訓練場の方を見る。
向こうでは、グレンがバルドに何か話しかけていた。途中からレミユも加わり、笑い声が上がる。
「でも」
「はい」
「王城にずっといたいわけじゃないです」
「どうしてです?」
「ここにも帰ってきたいから」
自然に答えた。
「リア様と話すのは楽しいです。でも、帰ってきてみんなに話すのも楽しいから」
アレンは、しばらく何も言わなかった。
シェイドが顔を上げると、静かにこちらを見ている。
「……そうですか」
やがて、穏やかな声が返ってきた。
「それなら、よかったです」
「何がですか?」
「帰ってきて、話したいと思ってくれることがです」
シェイドは少し考えた。
「聞いてくれますから、みんな」
「ええ。また聞かせてください」
「はい」
答えると、アレンの口元が柔らかく緩んだ。
◇
その日の夜、部屋へ戻ろうとしていたところを、グレンに呼び止められた。
「シェイド!」
「何?」
「明日、王城行くのか?」
「明日は行かないよ」
「じゃあ訓練見に来いよ!」
「うん」
「朝から!」
「早すぎるのは嫌」
「騎士志望が何言ってんだ!」
「グレンが早すぎるんだって」
「言ったな!」
また声が大きくなる。
少し離れたところから、カエルンの声が飛んできた。
「もう夜です。騒がないでください!」
「ほら、怒られた」
「シェイドも一緒だろ!」
「僕はグレンに呼ばれただけ」
「裏切ったな!?」
シェイドは笑いながら、自分の部屋へ向かった。
明日は王城へ行かない。リアには会えない。
少しだけ残念だと思う。
でも、訓練場ではバルドが待っている。グレンの訓練を見る約束もできた。きっとレミユはまたからかってくるし、カエルンには無茶をするなと言われるだろう。
それも楽しみだった。
部屋の前まで来ると、ちょうどリオンが廊下を歩いてきた。
「おやすみ」
「おやすみ」
「明日、訓練見る?」
「見るよ」
「じゃあ、朝ね」
「うん」
シェイドは部屋へ入り、机に向かった。
引き出しを開けると、中には一枚の紙が残っていた。
カエルン、バルド、レミユ、リオン。グレン、エヴァン、セシル。
その一番下に、少し大きな字で書かれたアレンの名前。
三年前、忘れたくなくて書いた名前だった。
紙の端は少し折れている。あの頃より、今の方が上手く書ける。それでも、書き直す気にはならなかった。
シェイドはその紙をしばらく眺めてから、隣へ新しい紙を置いた。
筆を取る。
何を書くつもりだったのか、自分でもよく分からない。
けれど、気づけば一つの名前を書いていた。
――リア。
書き終えた文字を見て、シェイドは少し首を傾げた。
「……何で書いたんだろ」
理由は分からなかった。
でも、消そうとは思わなかった。




