↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/18

第四章 勇者ギルド受付事務員 ポカペラ

 ヴィシャはもういない。あの安息日のあと、何日か王都に滞在してから出ていった。別れ際には金貨の何枚かでもくれるんじゃないかと思っていたが、置いていったのは、小さなくすんだ緑色の石が一つ。何の石だか知らない。表面には文字とも模様ともつかないものが彫ってある。

 ブル中央市場へ持っていって金に換えようかとも思った。だが、この小石には、じいさんと何かしらのつながりがあるのかもしれない。そう思うと、結局売るのはやめた。

 もちろん、茶代も払っていない。孫の茶を飲むのに金はいらないんだと。おまけに、失われた作り方を取り戻してあげたのだから、むしろ感謝するべきだとまで言われた。

 誰がするか。

 二日店を休んだ分に、あいつの茶を作るために使った材料代。ざっと勘定しただけでも、銀貨五枚は損している。所帯も持たず、子供もいなくてよかった。そうでなけりゃ、俺の孫まであいつに振り回される羽目になるかもしれない。

 ちくしょう!

 意外だったのは、先日、魔法薬の店の老魔法使いが茶を飲みに来たことだ。ご丁寧に、あらかじめ氷水で水出しにした金糸草《きんしそう》の花まで持参してくれたので、その分の手間は省けた。ただ、あの人とヴィシャがとうとう会わずじまいだったのは、少し残念だった。

 仲夏祭《ちゅうかさい》が近づき、王都オストランドのあちこちに灯りや飾りが取りつけられ始めた。女神テタラントをまつる、一年でいちばん大きな祭りだ。中央教廷国からも、この祭りのために人が派遣されてくる。ルシエ教会の聖職者たちは、毎日広場で人を集めて聖歌を歌っていた。

 正直、どれだけ人が集まろうと、俺にはうるさいだけだった。

「店主! もうすぐ仲夏祭だろ。饗宴大通《きょうえんおおどお》りに店は出さないのか?」

 茶を飲んでいた勇者が聞いてきた。

「出そうとは思ったんだがな。場所代が高すぎるんだよ。たった三日で銀貨十枚だぞ。うちみたいな細々やってる店に、そんな金は出せねえよ」

 ほかの客の飲み物をひしゃくですくいながら答える。

「ああ、そりゃそうか」

 それきり、そいつは何も言わなかった。

 広場の聖歌が終わり、人が散っていく。周りの通りでは、向かい合う軒先の間に祭り用の枠が渡され、職人たちが布の造花を一つずつ結びつけていた。祭りが近づいてくるのが、日に日に目に見えてわかる。

 毎年この時期になると、勇者たちもたいてい依頼を受けなくなる。せっかくの祭りを楽しむ方に専念するのだ。ギルドからも、等級に応じてねぎらいの品が配られる。だから、このところギルドへ来る勇者は、ほとんどがその品を受け取りに来ていた。

 誰が何級かなんて、俺はさっぱり知らない。それでも、手に提げた包みの大きさを見れば、多少の見当はつく。

 ちょうど今も、全身を鎧で固めた背の高い勇者が、大きな包みを提げてギルドから出てきた。満足そうな顔をしている。そのあとを、若い女の職員が追いかけてきた。戸口まで見送りに出て、明るくよく通る声を張る。

「楽しいお祭りをお過ごしください! 今年の後半も、よろしくお願いします!」

 ぺこりと頭を下げ、勇者を見送る。それから、入口で立ち話をしていた何人かにも笑顔を向けると、軽い足取りでギルドの中へ駆け戻っていった。

 元気だなあ。若いってのは、ああいうことなんだろうな。

 ため息をつき、なんとなく顔をなでた。深くなり始めたほうれい線と、剃り残した顎のひげが指に引っかかる。

 ギルドの連中なら、だいたい知っている。別に、親しくつき合っているとか、昔なじみだとかいう意味じゃない。この場所に二十年以上も居座っているのだ。毎日出入りする勇者を除けば、同じ制服を着て通ってくるのは、いつも決まった顔ぶれだった。

 会長はめったに来ない。顔を出すのは、よほど大事な用があるときぐらいだ。ここ数年は職員も減って、今じゃ三、四人しかいない。

 さっきの娘が来たのは、たしか三年ほど前。今いる中では、いちばんの新入りだ。

 小柄で、制服はいつ見てもきちんとしている。小さな丸い帽子を毎日かぶっていて、そのつばの下の丸い目が、いかにも利発そうだった。朝、俺が店を出すころには、真っ先に来て鍵を開ける。夕方、俺が店を畳むころには、最後に鍵をかけて帰っていく。

 だが、挨拶を交わしたことは一度もない。うちで茶を飲むなんて、なおさらだ。

「店主、何考えてんだ? 二度も呼んだぞ」

 空のカップを持った勇者が来て、俺を軽く叩いた。

「ああ、いや。さっき出てきたギルドの娘、元気だなと思ってな。若いっていいもんだ」

 慌ててカップを受け取り、茶を注ぎに桶の方へ向かう。

「ポカペラのことか?」

「へえ、ポカペラっていうのか」

「そうさ。みんなポカって呼んでる。あの子を嫌いな奴なんていないよ」

「おっ、ポカの話か?」

 隣から別の勇者が口を挟んだ。

「そうそう。店主がポカを知らないらしくてさ。今、教えてたところだ」

「ポカはいい子だよなあ。依頼から帰ってきて、あの元気な顔と優しい笑顔を見るとさ、もう、それだけで癒やされるんだよ」

「わかるわ。俺も一人で依頼に出て戻ったとき、わざわざ温かい手ぬぐいを持ってきてくれたことがあってさ」

 話に加わる勇者が、どんどん増えていく。

「昔から働き者だったらしいな。王都高等学院の学費も、自分で稼いだんだと」

「へえ、そうなのか。俺もそんな話を聞いたな。ギルドも、あの子を育てるつもりらしいぞ」

 ……。

 俺は置いてきぼりだった。

 あいつが何時に来て何時に帰るかも知らねえくせに、何をそんなに盛り上がってるんだ。

 まったく、筋肉ばかりで脳みそのねえ連中だ。

 仲夏祭 一日目

 仲夏祭いちばんの催しは、初日の午前に始まる山車《だし》の行列だ。十数台の山車が、朝早くに内城の南門を出発する。

 内城をぐるりと囲むデューク通りをまず東へ回り、王家大通りに入って鉄山門《てつざんもん》まで進む。そこからデューク通りへ引き返し、今度は北回りに半周してルル通りへ。ルル門で折り返したあとは、またデューク通りを通って、南の饗宴大通りにある祭りの本会場へ向かう。

 例年どおりなら、ギルドとうちの屋台の前を通るのは、昼ごろになる。

 朝一番で飲み物を用意しておくと、午前のうちから、見物の席を取ろうという客がぽつぽつやってきた。昼前には屋台は満員。座れない連中も、茶を手に立って待っている。店先には、整理に当たる治安兵団まで来ていた。

 忙しくて、笑いが止まらない。

 やがて遠くの人垣がざわめき、歓声がこちらへ近づいてきた。ほどなく、屈強な男たちに押されて、先頭の山車が姿を現す。

 載っているのは、至高の女神テタラントの像だ。左腕に赤子を抱き、右手に麦の穂を掲げ、三日月を踏んでいる。大地と命の巡りを表す姿だということぐらい、ソラニア西大陸に住む者なら誰でも知っている。

 そのあとを、聖典を手にした神官が何人か続き、道の両側の人々に祝福を授けていた。二台目には、今の国王ホランド三世と王妃の像。その後ろも山車は途切れず、魔王との戦争で活躍した英雄や、王国が独立したころの物語をかたどった像が次々にやってくる。

 耳がどうにかなりそうな騒ぎだった。誰もが、この盛大な祭りに少しでも加わろうとしている。

 俺が気になるのは、それよりも、興奮した客が踏み台にしているテーブルや腰掛けが壊れやしないかということだった。

 山車と山車の切れ目から、向かいのギルドの扉が開くのが見えた。扉の隙間から、頭がのぞく。ポカペラだ。

 だが、山車を眺めるその顔には、祭りを喜ぶ様子も、物珍しそうな様子もなかった。ただ無表情にしばらく見て、頭を引っ込め、扉を閉めた。

 行列はルル門で折り返し、もう一度うちの前を通って、東へ去っていく。見物人もほとんどがそのあとを追い、饗宴大通りの本会場へ流れていった。

 騒ぎが遠ざかる。ほんの少し前まであれほど混んでいた通りが、もう空っぽだ。

 いつもの静けさに戻った、というのとも違う。いつもより、ずっと静かだった。それでも、王都の南区からは祭りの騒ぎがここまで聞こえてくる。

 テーブルと腰掛けを一通り点検して、卓上を拭き、桶の中を確かめた。昼を過ぎたばかりだが、どれも残りは少ない。

 よし。仕込みの量は、なかなかいい読みだったな。

 腰掛けに座って銅貨を数えていると、またギルドの扉が開く音がした。手は止めず、ちらりと顔を上げる。

 ポカペラが出てきた。いつもの丸い帽子に、きちんとした制服。入口の階段に腰を下ろし、そろえた膝の上に両手を置く。どんな顔をしているかまでは、よく見えなかった。

 いいぞ、いいぞ。まだ半日ちょっとで、銅貨が四百枚を超えた。

 上機嫌で金を木箱にしまう。午後もあと何杯か売れないだろうか。残りを捨てるのは惜しい。

 屋台を出て通りの左右を見渡したが、やっぱり人がいない。ついでにポカペラの方を見る。

 退屈そうに座ったまま、無表情で辺りを眺めていた。いや、ぼうっとしているだけにも見える。目は動いているのに、何を見ようとしているのか、さっぱりわからない。

 やがて、その顔が道向かいの俺の方を向いた。

 ずいぶん空っぽな目だな。

 いつもの元気いっぱいの娘とは思えない。疲れてるのか?

 俺も腰掛けを一つ道端へ運び、腕を組んで、来るかどうかもわからない客を待つことにした。

 日はゆっくりと動いていく。南区から流れてくる騒ぎや音楽は、ますますはっきり聞こえるのに、西区には本当に誰もいない。ポカペラも、中へ戻るつもりはないらしい。

 通りを挟んで、二人して向かい合って座っている。これで目を合わせずにいる方が難しい。

 俺は退屈で、ぼんやりあちこち眺める。向こうも同じように、あちこち眺めている。

 そのたびに、目が合う。

 日が西へ傾き、もう何度目かもわからない視線がぶつかったところで、とうとう声をかけた。

「こっちで一杯、茶でも飲まないか?」

 笑って誘ってみる。

 ポカペラはしばらく俺を見ていた。相変わらず、何の表情もない。それから立ち上がり、両手でズボンを払うと、くるりと背を向けて中へ入ってしまった。

 俺は石ころか? ああ? それとも、そこらの目にも留まらねえゴミか何かか?

 その場で固まった。靴の中で足の指をぎゅっと丸める。さっきの笑顔が、顔に貼りついたまま動かない。

 無視されるってのは、嫌なもんだな。

 どうせ客も来ない。帰ることにした。

 荷車を引いて家へ戻り、少し休んでから、翌日の茶を仕込んだ。祭りの二日目は、家族そろって出かけるのがいつもの過ごし方だ。夕方には饗宴大通りで夜市《よいち》も開く。うちに来る客は多くないだろうと踏んで、仕込みは少なめにしておいた。

 暗くなってから家で飯を済ませ、一杯やりに出た。

 ルシエ広場を通りかかると、勇者ギルドの小さな建物には、まだ明かりがついていた……。

 仲夏祭、二日目。

 今日は、わざと少し遅めに店を出した。

 案の定、午前中の商売はさっぱりだった。勇者は一人も見かけない。どこへ祭りを楽しみに行ったのやら。ルシエ教会の祭日のミサが終わったあと、何人かが茶を飲みに来たが、それきりほとんど売れていない。

 昼を少し回ったころ、パンを持ち込んで昼飯を済ませた客が帰った。テーブルに散らばったパンくずを拭いていると、向かいの勇者ギルドの扉が開く。

 ポカペラだった。階段の上であてもなく左右を見回し、それからしばらく俺を見ていた。やがて階段を下り、きょろきょろしながらうちへ来ると、適当な腰掛けに座った。俺がそばへ行くより先に、平坦な声が飛んできた。

「おじさん、お茶一杯」

 ……遠慮ってもんがねえな。おじさんって、何だその呼び方。

 気まずさをこらえて近づき、どうにか商売用の作り笑いを保つ。

「何がいい? あそこの壁に掛かってる木の札に、茶の種類が書いてあるからさ」

「何でもいい。どうせ大して変わらないでしょ。あんまり高くなくて、冷たいのなら」

 俺を見もしない。両肘をテーブルにつき、両手で顎を支えている。

「じゃあ、こっちで適当に選ぶよ」

 その態度なら、鼻くそでもほじって茶に入れてやりたいところだ。だが、商売人として、それはできない。

 冷たいラズベリー霜草茶《しもくさちゃ》を一杯すくい、彼女の前に置いた。

「ラズベリーの霜草茶だ。飲んでみてくれ」

 カップを受け取り、一口飲む。

「ふうん……」

 それだけ。あとは何も言わない。

「じゃあ、何かあったら呼んでくれ」

 俺はぎこちなく笑って、その場を離れた。

 それからずいぶん長いこと、たまに一組か二組、客が来ては帰るだけだった。ほとんどの間、彼女はあちらの席に、俺はこちらの端に座っている。途中でもう一杯頼まれたが、それ以外に会話らしい会話もない。

 昨日よりはましだった。何度も目が合う、あの気まずさは味わわずに済んだ。

 いつもなら、別にどうということもない。客がいて、忙しくしていれば、いちいち場の空気なんぞ気にしない。だが、今日は暇すぎる……。

 二、三度ちらりと見たが、彼女は相変わらず生気のない顔で、広場の片隅へ空っぽな目を向けていた。何を考えているのか。何も考えず、ただぼんやりしているだけなのか。

 あまりに退屈なので、俺はお気に入りの火竜白檀《かりゅうびゃくだん》のひしゃくを取り出し、何度も磨いては手の中でいじっていた。

 どれくらいそうしていたのか、ふいに声がした。

「おじさん、そのひしゃく、撫でてて楽しい?」

 びくっとして、慌ててひしゃくの柄を前掛けのポケットに突っ込む。

「あの、あれだ。ええと……ギルドって、祭りでも仕事なのか?」

 我ながらうろたえた声だった。

 そんなこと、知ってるに決まってる。二十年以上、仲夏祭の日にも働くギルドの連中を、毎年ここから見てきたんだ。ポカペラだけでも、今年で三度目だぞ。だが、ほかに何を言えばいいのか思いつかなかった。

「そう。依頼は出さないけど、事務仕事が残ってるから」

 淡々とした返事が来る。

「そりゃ……大変だな」

「別に。大変ってほどでもない」

 さて、話が下手なのは俺なのか、向こうなのか。とにかく、無理やり言葉をつないでいる感じだ。

 またしばらく黙ったあと、俺はおそるおそる口を開いた。

「あのさ……せっかくの祭りだし、仕事が終わったら家族とどこか行ったりしないのか?」

「別に。家族なんてもの、いないし」

 ああ、まずい。これはまずい。何て返せばいいんだ。

 言った本人は、まるで何でもないことのような顔をしているのだが。

 もういい。余計なことを言う前に、ひしゃくをいじっていよう。

 すると彼女が、顎を支えたまま首を傾け、こちらへ顔を向けた。じっと見られると、どうにも落ち着かない。

「おじさん、実は前から結構見てたんだけど」

「ああ、そうなのか。ははは」

「おじさん、頭おかしいの?」

 あまりに唐突で、わけがわからない。腹が立ったのか、呆れたのか、自分でもわからないまま笑いが漏れた。

「いや、何で俺の頭がおかしいんだよ」

 まだ笑いが残って、声が震える。

「結婚してないでしょ?」

「ああ、してない」

「頭が固いからじゃない?」

「余計なお世話だよ。余計なお世話」

「この前のエルフの件だって」

 少し間を置き、丸い目で俺を横目に見る。

「逃げればよかったじゃない」

「ああ、そうだな。その通りだ。……いや、あんた、仕事が暇だからって、わざわざ俺をからかいに来たのか?」

 さほど腹は立たなかった。ただ、話のつながりがさっぱり読めない。しかも、次から次へと妙なところへ飛ぶ。

「そういうわけでもないけど……おじさんって、何か面白いなと思って」

 ははは。妙なのは俺とあんた、どっちだよ。

 彼女はぐっと伸びをすると、気だるそうに両手をテーブルへ置き、続けた。

「結婚もしないで、家庭も持たないで、毎日勇者に囲まれてさ。筋肉だらけの人たちとばっかり付き合って、楽しい?」

「それ、俺に言うのか? 毎日あいつらに愛想振りまいて、頭下げてるのはあんただろ。あいつら、何て言ってるか知ってるか? 『ポカっていい子だよなあ!』『ポカに癒やされたよ!』って。あんたのことだぞ?」

 わざと大げさな顔を作り、あの日の勇者たちの口ぶりをまねてやった。

「ああ、そんなことまで言ってたんだ。ちょっと気持ち悪いね。でも、しょうがないじゃん。ギルドからお金もらってるんだし。おじさんは違うでしょ。屋台なんて、どこでやってもいいんじゃない?」

 相変わらず、気だるそうにしている。

「あんた、うちが何年やってるか知らねえだろ。四代続いてるんだぞ。そっちのギルドより、うちの方が先にあったかもしれねえんだぞ?」

「ああ、そうなんだ。それならわかる」

「いや、ギルドで働いてるのに、勇者に何か不満でもあるのか?」

 彼女はよそへ目を向け、少し考えた。

「別に。ただ、つまらないなって」

「はは。じゃあ、何なら面白いんだ?」

「うーん……何もかも、つまらない」

 また会話が止まった。

 俺は、自分では話せる方だと思っている。二十年以上も店をやっていれば、大抵の話には付き合ってきた。だが、目の前の娘ときたら、口を開くたびに地面へ石を投げるようなことを言う。ごつん、ごつんと。受け止めるどころか、拾うことさえできやしない。

 まるで生気がない。勇者を見送っていた、あの元気いっぱいの娘と、いったいどっちが本当なんだ。あれがずっと作り物だったとしたら、この三年間、どれほど疲れただろう。

「まだ飲むか?」

 目で空のカップを示すと、彼女もそちらを見た。

「飲む。もう一杯。正直、味は悪くないね」

 ほう。何だかんだで、昼から三杯目だ。金さえ払ってくれて、今日の損が少しでも減るなら、こうして付き合ってやるのも別に構わない。

 三杯目を彼女の前に置く。

 一口飲むと、何か思いついたように立ち上がった。

「お茶、片づけないで。すぐ戻るから」

 それだけ言い残し、だらりと腕を振りながら通りを渡って、ギルドへ入っていった。

 ほどなく、書類を山ほど抱えて戻ってきた。手には印章までいくつか持っている。さっきの席に座り、書類をテーブルへ置くと、一つあくびをして、そのまま勝手に仕事を始めた。

「仕事するんなら、茶を向こうへ持っていってもいいんだぞ」

「中、息が詰まる」

 顔も上げずに答える。

 どんな仕事かなんて、少しも興味はない。俺は通り側の腰掛けに座り、左手で頬杖《ほおづえ》をついて、がらんとした道をぼんやり眺めた。南区から流れてくる祭りの騒ぎに交じって、書類に判を押す音が、ばん、ばんと響く。

「おじさん、一つ聞いていい?」

 手も止めず、俺を見もせず、口だけ動かす。

「今度は何だよ」

 少しうんざりしてきた。

 彼女は慣れた手つきで次々と判を押し、書類を分けて重ねていく。その手を動かしたまま、世間話でもする調子で言った。

「そうやって生きてて、退屈じゃないの?」

「別に、退屈じゃねえよ」

 考えるまでもなかった。

「普通はさ、勇者には多少なりとも敬意を持つでしょ。どんな冒険をしてきたのか、気になったりもするし。でも、おじさん見てると、勇者だからって特別敬ってもいないし、あの人たちの話にも全然興味ないよね。ただお茶を売ってる人なのに」

「屋台をやってるのが、どうかしたか?」

 腹は立たなかった。なぜこんなことを聞くのか、何となくわかりかけた気がしたからだ。

 彼女は手を止め、顔を上げて俺を見る。

「おじさんの人生って、この屋台をやっていくことなの? それが、生きてる意味の全部なの?」

 この嫌な口ぶりと聞き方さえ抜きにすれば、悪くない問いだった。俺は片手で顎をこすり、しばらく真面目に考えた。

「だから、逃げなかったんだよ」

「何?」

「だから、この前あのエルフが難癖つけてきたとき、逃げなかったんだよ」

 顎をこすりながら、俺は通りの先を見ていた。

 彼女はぽかんとしたまま、しばらく動かなかった。やがて、ふと、何とも言えない笑みが浮かぶ。それもすぐに消え、またいつもの無表情に戻ると、残っていた仕事に手をつけた。

 またしばらく、どちらも口をきかなかった。一時間もたたないうちに、彼女はぱん、と最後の判を押し、残っていた仕事を全部片づけた。

「銅貨三十六枚です。どうも」

 今日はもう、このくらいで終わりにしてもいいだろう。

 ところが彼女は銀貨を一枚取り出し、俺の目の前で振ってみせた。釣りを出そうと金の入った木箱へ向きかけると、声がした。

「夜、ご飯食べに付き合ってくれたら、お釣りはいらない」

「飯代は?」

「図々しくない?」

「はい、承知しました! 少々お待ちくださいね! 店の荷物を置いたら、すぐ戻りますから!」

 銀貨をひったくるように受け取り、ポケットへ突っ込む。大急ぎで店を畳み、荷車を引いて家へ走った。

 飯代を出してくれない? 簡単じゃねえか。食わなきゃいい。

 家へ駆け込み、パンを二切れつかんで口へ詰め、水で流し込んだ。よし、晩飯は済んだ。こんなに楽に銀貨一枚稼げるとはな。

 ルシエ広場へ戻ると、彼女はもうギルドの戸締まりを済ませ、道端で待っていた。

「どこへ食いに行きたいんだ?」

 にこにこしながら尋ねる。

「祭りの夜市《よいち》」

 言うなり向きを変え、デューク通りへ歩き出した。俺も遅れまいとあとをついていく。

 饗宴大通りの仲夏祭の夜市は、人、人、人だった。どの屋台にも長い列ができている。西区が空っぽになるわけだ。王都中の人間が、ここへ来てるんじゃないか。

 出店料の銀貨十枚を惜しんだのが、今さら悔やまれる。こんなに客がいるなら、出せばよかった。百歩も行かないうちに、また通りの真ん中に小さな舞台がある。手品に、覗きからくりに、ちょっとした遊び。どこを見ればいいのかわからない。

 彼女は前を歩いていた。間を人が横切り、押し寄せてくるので、ついていくだけでも一苦労だ。あっちの店を見て、こっちの店を見る。顔は相変わらず、何にも興味のなさそうな、あの顔のまま。何一つ買わず、しばらく人混みを歩くと、こちらを振り向いた。

「何かおいしいもの、知らない?」

「お、あそこの店はどうだ? 王都名物のカエルの串焼き。あれはな、王都の名ぶ……」

 言いかけて、口が止まった。汚いものでも見るような目で、俺を見ている……。

「じゃあ、もう少し探すか……俺はまだ、そんなに腹減ってないし……」

 肩をすくめた。

 もうしばらく歩いたところで、彼女も歩き回るのが面倒になったらしい。ちょうどそばに、さほど混んでいない焼きそばの屋台があった。一人前頼み、金を払おうとしたとき、背後から声が上がった。

「あれ、ポカじゃない! 偶然だね!」

 細く高い女の声。聞き覚えがある。横目で見ると、やはりギルドの職員だった。隣にもう一人、知らない人もいる。連れの友達か何かだろう。

 だが、驚いたのは、ポカペラの反応だった。

「あっ、エイミーちゃん! エイミーちゃんもお祭りに来たんだ!」

 声が弾み、顔いっぱいに笑みが広がる。ギルドの前で勇者を見送っていた、あの元気いっぱいの娘に、一瞬で戻った。

 何だこれ、魔法かよ。切り替わるのが滑らかすぎるだろ。

「ポカがお祭りに来るなんて、珍しいね。まだギルドで仕事してるのかと思ってた」

「ううん、もう全部終わったよ! せっかくのお祭りだし、息抜きに来たの!」

 やり取りを見ていると、笑いをこらえるのに苦労した。そこでエイミーちゃんとやらが俺に気づき、少し驚いた顔でポカペラに尋ねた。

「あれ、ポカ。どうしてこの人と一緒に……」

 ポカペラがさっとこちらを向く。その顔にも、驚きが浮かんでいた。

「あっ、茶の屋台の店主さん! 偶然ですね! 店主さんもお祭りに来てたんですか?」

「ああ、ええ。偶然ですねえ。あれ、お二人は勇者ギルドの方ですよね。どうも、どうも」

 ふふん。二十年以上も茶の屋台をやってりゃ、話を合わせるのも、もはや神業《かみわざ》だ。

「じゃあポカ、楽しんでね! 先に行くね!」

 エイミーという女はそう別れを告げ、俺をちらりと見てから去っていった。

 次の瞬間には、ポカペラはもうあの半分死んだような顔に戻っていた。低い声が漏れる。

「知ってる人に会うの、ほんと嫌……」

 俺は苦笑いで応じた。

 彼女は焼きそばを持ち、俺は別の屋台で焼いたニンニク入りの腸詰《ちょうづ》めを一本買った。大通りの人混みを抜け、道端の少し人の少ない場所を見つけて、地べたに座る。俺も彼女も、これといった表情もなく、食べながら行き交う人々を眺めていた。どの顔にも、祭りの喜びがあふれている。

「王都に来て八年になるけど、ここのお祭りに来たの、初めて」

 ポカペラが食べながら言った。

「ああ、俺も毎年来てるわけじゃないけどな」

 腸詰めを一口かじる。

「でも、別に面白くないね」

「ああ。金を稼ぐわけでもなく、ただ見て回るだけなら、俺もつまらねえな」

 思った通りに答えた。

 また横目で見られた。今度は、少し小馬鹿にしたような笑みまで浮かんでいる。

 食べ終わってから、ほかにも行きたいところはあるかと聞くと、もういい、どうせ大して変わらないから、と返ってきた。デューク通りまで戻ったところで彼女と別れ、それぞれ家へ帰った。

 仲夏祭、三日目。

 朝はいつも通りに店を出した。今日は普段の半分ほどしか仕込んでいない。ポカペラも相変わらず朝早く鍵を開け、そのままギルドへ仕事に入っていった。

 昼になると、扉から顔を出してあたりを見回し、うちへ来て茶を一杯頼んだ。

「おじさん、今夜、灯籠流しに付き合ってよ」

 茶を飲みながら、無表情で言う。

「カラカ湖に行くのか?」

「うん」

 灯籠流しは仲夏祭の恒例行事だ。祭りの三日目の夜になると、人々は王都の北東にあるカラカ湖へ出かけ、願いを書いた灯籠に火をともし、湖に浮かべる。女神への信仰を示し、願いがかなうよう祈るためだ。

「何でまた俺が付き合わなきゃいけないんだ?」

 彼女は黙って銀貨を一枚取り出し、テーブルへ置いた。

「早めに出ないとな。西区から歩くと、三時間くらいかかるぞ」

 そう言うと、軽蔑するような目をちらりと向けられた。金に尻尾を振る犬め。そう言いたげな目だった。

 茶を飲み終え、カップをテーブルへ置く。

「じゃあ、午後、なるべく早く仕事を終わらせるから。そしたら出よう」

 それだけ言って、ギルドへ戻っていった。

 午後は早めに店を畳み、着替えを済ませ、道中で食べるパンと水を用意した。そろそろ向こうも終わるころだろう。そう見当をつけ、のんびりとルシエ広場へ戻ると、彼女はもうギルドの前で待っていた。今日は制服の上から、濃い茶色の薄手のフード付きマントを羽織っている。昨日のように知り合いに会うのを避けたいのかもしれない。

 まずは王都の東にある鉄山門《てつざんもん》まで歩く。門を出て、大道を東からやや北へ向かって二時間ほど行けば、西大陸最大の湖、カラカ湖だ。

 道中、会話は少なかった。それでも、ぽつぽつ交わす話から、彼女のことを少し知った。ポカペラは幼いころから孤児院で育ち、そこで世話になりながら中等学校を出た。その後、一人で王都オストランドへ来て、酒場で働きながら王都高等学院に受かり、卒業まで通ったのだという。ちょうどギルドが職員を募集していたので、そこで働き始めたらしい。

 日が沈むころ、人の流れに沿ってカラカ湖へ着いた。夕日の最後の光が、静かな湖面に斜めに差している。空も水も赤みを帯びた橙色《だいだいいろ》に輝き、どこまでが湖なのか、もうわからない。

 湖畔の売り場でそれぞれ灯籠を買い、人混みを避けて、少し離れた人の少ない岸へ向かった。草の上に座り、持ってきたパンを食べ、水を飲む。食べ終わると、彼女は制服のポケットからペンを取り出し、先に書けと俺に差し出した。

 簡単じゃねえか。俺の欲なんて、実にわかりやすい。

 灯籠の紙に、でかでかと「金持ちになる!」と書き、ペンを返した。

 また、あの嫌そうな顔で見られた。続いて、手の甲でしっしっと追い払われる。家畜でも追うみたいに、あっちへ行けというわけだ。

 離れたところから見ると、彼女は地面にしゃがみ、灯籠の紙へ小さな字をびっしり書き込んでいた。何を書いているのかはわからない。

 ずいぶん長い願い事だな。

 すっかり日が暮れると、人の多い岸辺の水面には、もういくつもの灯籠が浮かんでいた。歓声や笑い声の中、灯は少しずつ散らばり、遠ざかってゆく。満天の星のように。

 俺はいつも持ち歩いている火起こし道具を取り出し、手慣れた動作で火を起こして、自分の灯籠と彼女の灯籠に明かりをともした。岸へ寄ってしゃがみ、そっと水に浮かべ、軽く押し出す。風がひと筋吹いて、灯籠はゆっくりと沖へ離れていった。

「金だ! 金! 金持ちになるぞー!」

 両手を振って叫びながら、俺の金持ち祈願の灯籠を見送る。

 隣のポカペラは、ずっと静かだった。顔を向けて、ようやく気がついた。彼女の灯籠には、どこか穴でも開いていたらしい。少しずつ水に沈み、最後にくるり、くるりと二度回って、すっかり見えなくなった。

「ははははは! 沈んだ! おい、灯籠、沈んじまったぞ!」

 ポカペラを指さして大笑いした。彼女は怒りもせず、ただ顔をそむけ、来た道へ歩き出す。俺は慌てて追いかけ、そのあとについた。

「まあ、願い事なんぞ当てにしないで、地道に生きろってことだな。ははは」

 歩きながらまだからかってみたが、返事はない。

「で、何を願ったんだ? 字が多すぎて、女神様もかなえる気がなくなったんじゃねえか? ははは」

「うん。去年の仲夏祭から今までに死んだ勇者全員の名前」

 彼女は歩きながら言った。

 俺は黙った……。余計なことを言っちまった。

「この三年、毎年来て書いてるんだ」

 そう付け加えた。

 しばらく、何も言わずに歩いた。ふいに彼女が立ち止まり、危うく背中にぶつかりそうになる。振り向きもせず、いつもの平坦な声で言った。

「誰かに言ったら、絶対に殺す」

 王都へ帰る道すがら、俺はもう、余計なことを一言も言えなかった。

 仲夏祭が終わった……。

 翌日。

 朝早く、いつも通りに店を出した。祭りを終え、依頼を受けに来た勇者たちが、もうギルドの前で扉が開くのを待っている。どいつもこいつも晴れやかな顔だ。さぞ楽しく、忘れられない祭りを過ごしたのだろう。

 店の支度を終えたところへ、ポカペラが鍵を開けに来た。扉の前で振り返り、待っていた勇者たちへ笑顔を向ける。いつもの、元気いっぱいの声が響いた。

「今年の後半も、皆さん、よろしくお願いします!」

「おう!」

 勇者たちが腕を上げて応える。

 扉が開き、勇者たちが次々と中へ入っていった。ポカペラは最後に続く。中へ入る前に振り向き、いつもの無表情のまま、汚いものでも見るような目で俺をちらりと見た。


挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。