第十六章 治安兵団の小隊長
秋に入ると、王都オストランドの通りにも、どこか寒々しい気配が漂い始めた。蝉の声も、次第に弱まっていく。最初の収穫が済むと、しとしとと雨が降り始めた。穀物を運ぶ馬車が列をなして街に現れる。どの荷台にも帆布がしっかりとかけられ、その数は、例年よりずいぶん多いように見えた。
俺は相変わらず、屋台の仕事に追われる毎日を送っていた。見慣れた顔や、付き合いの長い連中と毎日二言三言交わしながら、今年採れた金糸草の花が出回るのを待つ。あとしばらくすれば、あのアルパカ毛のマフラーも、また役に立ちそうだ。そんなことを考えていた。
どういうわけか、最近は治安兵団の巡回が目に見えて増えている。あの小隊長が何人かの衛兵を連れてルル通りを行き来する姿を、ほとんど毎日見かけた。いつも険しい顔で、気を張っているように見える。だが、このところ何か事件があったなんて話は聞かない。顔を合わせれば互いに軽くうなずくものの、何をそんなに気にしているのか、わざわざ考える気にもならなかった。
それから何日もしないうちに、街で噂が広まり始めた。
「聞いたか? 戦争になるらしいぞ」
ある日、屋台にいた若い勇者が、急に真顔になって同じテーブルの連中へ言った。
「戦争? どういうことだ?」
すぐに一人が聞き返す。
「この前、帝国から帰ってきた奴がいるらしいんだが、国境に帝国の兵が大勢集まってたんだと。しかも、国境を越えようとするグラテン人には、取り調べがやたら厳しいらしい。そいつは結局、別の場所からこっそり国境を越えて帰ってきたんだってよ」
若い勇者は声を落として話した。
「本当かよ? 十何年前に、帝国はこっぴどく負けただろ。一世代しかたってねえのに、またやるのか?」
早速、疑う声が上がる。
「でも、こっちも前の戦争で王都第三団が丸ごとなくなっただろ? まだ編成し直してねえじゃねえか」
「馬鹿か。第三がなくたって、第一と第二があるだろ。それに、王国は広いんだ。本気で兵を集めりゃ、何万って数になる。帝国にまだそんな余力があるかよ」
「馬鹿はお前だ。第一団なんか王族や貴族の息子ばっかりだろ。あいつらに何を期待するんだよ」
若い勇者たちは、そのまま言い争い始めた。
俺は黙って聞いていた。男が熱くなる話なんて、だいたい決まっている。女、戦争、魔物。まったく、つまらねえ。
十何年前、帝国が前に王国へ攻めてきたとき、俺はまだ二十代だった。あの頃のことは、よく覚えている。街じゅうに貼り紙があふれ、王家から派遣された連中が、あちこちで演説していた。人々は怒りに燃え、俺も商売を休んで群衆の中へ話を聞きに行き、拳を振り上げて声を張り上げたことがある。
で、そのあとどうなった?
勝った。確かに勝った。だが、この王都に「タラン街の後家」という呼び名を残したほかには、何も残らなかったような気がする。それ以来、どことどこが戦争を始めたと聞いても、気分は盛り上がらなくなった。俺に何の関係があるっていうんだ。
ちょうど、治安兵団の小隊長が部下を連れて通りかかった。あのテーブルの言い争いが耳に入ったらしく、こちらへやってくる。わざとらしく二度咳払いをして、話を遮った。
「あることないこと、勝手に言い合うな。自分のやることをやってろ」
それから俺にも目を向けたので、俺は退屈そうな顔で見返した。
若い連中は舌を出し、それきり口を閉じた。
ほとんど毎日、黒い雲が日を覆っていた。半ば黄色くなっていた木々の葉も、すっかり黄色くなった。樽の中で葡萄酒が発酵するように、噂もこの数日のうちに、ますます本当らしくなっていった。
穀物を運ぶ馬車の列は増える一方で、民兵の護衛までつくようになった。大量の盾や剣を積んだ馬車が、ルル門の外へ向かう姿も、ときおり見かける。遠く、城門の外の空き地には、いくつもの天幕と旗が立っていた。どんな模様なのかは見分けられない。ただ、どれも色とりどりで、ここルシエ広場から見ても、ひどく目についた。
よそから来た兵士たちも、ルル通りに現れ始めた。身につけた鎧はさまざまで、馬に乗った者もいれば、弓を背負った者、民兵らしい者もいる。初めは二、三人ずつだったのが、やがて三人五人と連れ立つようになり、そのうち十数人、二十人ほどの一団で歩くようになった。うちの屋台にも、ときどき兵士が茶を飲みに来るようになった。
ウルフは毎日、勇者ギルドへ来るようになった。東の空がほんのり白み始めたばかりの時刻、俺が荷車を引いて通りへ出ると、もう遠くで、ウルフがギルドの扉の鍵を開けていることさえあった。
どうやら、戦争の話は本当になったらしい。
ある日、珍しく空が晴れた。柔らかな日差しが、地面の湿り気を少しずつ払っている。うちの屋台では、どこから来たのか知らない歩兵が何人か、のんびり茶を飲んでいた。それを見た若い勇者が近づき、少し興奮した様子で話しかけた。
「なあ、どこから来たんだ?」
歩兵たちはそいつをちらりと見て、茶を一口飲んだ。
「アムニウだ」
そっけない返事だった。
「何人くらい来てる?」
「重歩兵が三千、軽歩兵が八千」
兵士は何でもないことのように言った。
「アムニウだけで、そんなにいるのか?」
若い勇者はますます興奮し、勝手に兵士の隣へ腰を下ろした。屋台にいた年配の勇者たちが何人か、嫌そうな目をそいつへ向ける。
「で、どうなんだ? 勝てそうか?」
まだ聞く。
兵士は得意げに、若い勇者を見た。
「帝国は二万も集まってないらしいぞ。俺たちの相手にゃ足りねえんじゃないか? はははは」
「いっそ、そのままリンドヒルまで行って、帝国ごと潰しちまうか。ははは」
隣の兵士まで調子を合わせた。
俺はため息をつき、年配の勇者の一人と目を合わせた。そいつは鼻で笑ったように見えた。それから、首を横に振った。
「いつ出発するんだ?」
若い勇者は、まだ嬉しそうに尋ねている。
「あと何日か、ここにいるんじゃねえかな。国王陛下が閲兵するらしいからよ。それが済んだら、そのまま北の国境だ」
得意げな兵士がさらに何か言おうとしたとき、隊長らしい男がやってきて、屋台の外から怒鳴った。
「お前ら! さっさと野営地へ戻れ! いつまでぐずぐずしてる!」
兵士たちは男の姿を見るなり、さっと立ち上がり、背筋をぴんと伸ばした。
「あの、もう交代の時間でしょうか? もう少し街を見て回りたいのですが」
「さっさと戻れ! お前らが戻らなきゃ、次の連中が街へ入って休めんだろうが!」
男は小声でもう一言罵ってから、去っていった。
兵士たちはしぶしぶ銅貨を取り出してテーブルに放り、若い勇者へ眉を上げてみせた。それから屋台を出て、ルル門のほうへ歩いていった。
若い勇者は興奮したまま手を振り、まだ名残惜しそうに立ち上がって、自分の席へ戻ろうとした。
そこへ、年配の勇者が一人、立ち上がって近づいた。腕を大きく振りかぶり、若い奴の左頬を、思いきり張り飛ばした。
不意を突かれた若い勇者は、その勢いでぐるりと一回転し、よろめいて地面に尻をついた。鼻から血まで出ている。驚いた顔で頬を押さえ、目の前にそびえる小山のような体を見上げたが、何も言い返せなかった。
年配の勇者はそいつの脇の地面へ唾を吐き、自分の席へ戻った。それから俺を振り返り、申し訳なさそうに笑う。
「店主、悪かったな」
「いや、いいよ」
俺はそう答えた。
若い勇者は情けない顔で頬をさすり、年配の勇者を恨めしげに一目見た。茶代の銅貨をテーブルに放ると、一目散に逃げていった。
その後の二日間にも、王都の西の郊外には、さらに大勢の兵が集まってきたようだった。街なかで見かける兵士も、ますます増えていく。鍛冶屋は新しい武器に鋳直すため、使い物にならなくなった鉄製品を大量に集め始めた。防具屋も穀物屋も酒場も、大忙しだ。だが、この束の間の賑わいとともに、兵士と王都の住民との間で、いざこざも起こり始めた。ルル通りとルシエ広場だけでも、日に一度か二度は喧嘩の怒鳴り声が上がる。もう珍しくもなくなって、俺は見物に行く気さえ起きなかった。
大量の兵が動員されるにつれ、穀物を運ぶ馬車も足りなくなってきたらしい。上は軍のために民衆の力まで集め始め、王都の至るところに、こんな告示が貼り出された。
告示
邪悪なるヘルレン帝国は、再び我が国への侵略を企てている。
偉大なる祖国を守るため、民衆による自発的な荷車等の提供、ならびに軍糧の輸送を担う志願兵を募る。
自らの意思で荷車等を寄付した者、および志願兵となった者には、王家より厚く報いる。
グラテン王国国王
ホレンデ三世
ある日の午後、俺は屋台に座って火竜白檀のひしゃくを撫でながら、通りを行き交う馬車や、さまざまな格好の兵士をぼんやり眺めていた。先日、頬を張り飛ばされた若い勇者は、あれから怖気づいたのか、顔を出していない。だが、街には相変わらず、戦争の熱気にあてられ、兵士を囲んで拳を振り上げている連中が大勢いる。見ていると、気が沈んだ。馬鹿馬鹿しくて、滑稽にしか思えなかった。
ルル通りを、治安兵団の小隊長が何人かの部下を連れてやってきた。部下たちは、木の荷車を何台か引いている。まずはそれを、ルシエ広場の片隅へまとめて運んでいった。そこにはすでに何台かの荷車が置かれ、民衆から寄付を募ったものらしい軍用品も、いろいろと積まれていた。
小隊長は衛兵を二人、見張りに残し、ほかの部下を連れてルル通りへ戻ってきた。辺りを見回し、うちの屋台に何度か目をやってから、こちらへ向かってくる。
何の用だろうと思っていると、向こうから口を開いた。
「店主、最近、商売のほうはどうだ?」
どこか言いにくそうな顔だった。本題を切り出せず、世間話で遠回りしているようにも見える。
「まあまあですよ。どうしたんです、隊長? 何か用でも?」
俺は急いで立ち上がって答えた。
小隊長は俺を見ると、少し口調を改めた。
「今、国王陛下が民衆に、軍糧を運ぶための荷車などを、自分の意思で寄付してほしいと呼びかけている。店主も荷車を持っているだろう。寄付する気はないか?」
「ああ、俺は寄付する気はないですよ。ほかを当たってください」
そう言って背を向けかけたが、小隊長はまだ続ける。
「本当に、寄付するつもりはないか? 帝国が、我々の国へ攻め込もうとしているんだぞ。自分の意思で寄付してくれれば、金もいくらか出るんだが」
その言い方に、少し腹が立った。俺も、そう丁寧には返せなくなる。
「隊長、正直に言ってくれ。上から徴用しろって言われてんのか? それとも、こっちが自分の意思で寄付するって話なのか? 徴用なら、いちいち俺に聞かずに持っていけばいい。あとでいくらか金をくれりゃ、それでいいよ。でも、自分の意思で寄付しろってんなら、俺は嫌だね。車を渡しちまったら、この屋台はどうやって続けるんだ? 戦争が誰の仕事なのかは知らねえが、俺は自分の食い扶持を稼ぐ。それで何が悪い?」
小隊長はため息をつき、困りきった顔でしばらく黙っていた。
「自分の意思で、と言いながら、各隊には寄付を何台集めろという数まで割り当てられていてな。寄付する側にも、自分の意思で差し出したと認める書面に署名してもらわなきゃならん。こっちもやりづらいんだよ。とはいえ、この戦争に勝ってほしいのは、みんな同じだろう? 店主、もう少し考えてくれないか。こういう荷車なら、上から銅貨百枚の補償が出る。勝ったあとで話せば、誇れることじゃないか?」
ようやく話が見えた。自分の意思で寄付しろと言いながら、集める数は決まっている。それじゃ、もう本人の意思に任せているとは言えねえだろ。上から治安兵団に数が割り当てられ、それを集められなければ、誰が責任を取らされるかわかったもんじゃない。
「誇れる? 誰が? タラン街の後家たちにも聞いてみろよ。それが誇らしいことなのかって。俺のと同じくらいの荷車を買おうと思ったら、中古だって銅貨百五十枚はするんだぞ。これを渡したって、戦争がいつ終わるかもわからねえ。もう一台買えば、俺が銅貨五十枚、余計に出すことになる。それのどこを誇れっていうんだ? 誇りで腹が膨れるのかよ?」
腹の底から、怒りが一気にこみ上げた。普段なら、小隊長にこんな口は利けなかっただろう。向こうも無理を言っているとはわかっているのか、俺と目を合わせようとせず、通りの別のところばかり見ている。後ろの衛兵たちも、何と言えばいいのかわからない様子だった。
「こうしよう、隊長。いっそ今日、俺を捕まえたらどうだ? 王国の戦支度への協力を拒んだとか、そんな罪にでもすりゃ、上にも説明がつくだろ。だが、俺が自分から荷車を寄付することはねえぞ」
俺は腰に手を当て、屋台の荷車の前に立って、一歩も退かなかった。話を聞いていた勇者たちが何人か、立ち上がって俺の後ろへ来てくれた。振り返ると、みんな屋台で見慣れた顔だ。少し胸が温かくなり、心強くもなった。
小隊長は俺を見て、それから後ろの勇者たちを見た。その目には、困り果てたような、申し訳なさそうな色がにじんでいた。
「はあ……わかった。ひとまず、そこを空けてくれ。この車を見せてもらおう」
二歩ほど近づいたものの、俺たちに退く気配がないのを見て、言い足す。
「安心しろ。店主の車を徴用するつもりはない」
俺と勇者たちは顔を見合わせ、ようやく道を空けた。
小隊長は荷車をじっくり調べてから、しゃがみ込み、護身用に持ち歩いている短剣を抜いた。片手を車体に添え、もう片方の手で、木の車輪に刃を強く押しつけて二度引く。深い傷が、二筋残った。
短剣をしまって立ち上がると、部下たちを振り返った。
「茶屋台の店主が所有する荷車を調べたところ、明らかな損傷が認められた。寄付の受け入れ基準を満たしていない。全員、そのように記録しておけ」
「はい、隊長! 茶屋台の店主の荷車は、寄付の受け入れ基準を満たしておりません!」
それを聞くと、小隊長を見る目が変わった。恨めしさに代わって、少しばかり感謝の気持ちが湧いてきた。
小隊長が俺の肩を軽く叩き、何か言いかけた、ちょうどそのときだ。遠くから衛兵が一人、血相を変えて走ってきた。屋台へ着く前から声を張り上げている。
「隊長! 向こうでまた、住民と兵士が喧嘩を! 早く来てください!」
小隊長は何か言いたげに俺を一度見てから、部下を全員連れ、騒ぎのほうへ駆けていった。
夕方になっても、通りの人は減らなかった。城外から来た兵士も、まだ街をうろついている。ルシエ広場の寄付された物資の山はますます大きくなり、馬車の列の両側を護衛する兵士たちが手にしたランプが、通りを明るく照らしていた。
屋台にも、まだ何人か客が残っている。店じまいこそしていないが、樽の茶はほとんど底をついていた。もうこれ以上、売るつもりもない。
ふと、一人の男が屋台へ入ってくるのが見えた。普段着姿で、勇者でも兵士でもなさそうだが、顔には見覚えがある。
「店主、仕事が終わったんだ。茶を一杯、飲んでもいいか?」
男は笑って声をかけてきた。明かりを頼りによく見ると、小隊長じゃないか。普段着の姿を見るのは、初めてだった。
「いいけど、もう底にちょっと残ってるだけだぞ」
「構わんよ。何か飲めれば、それでいい」
小隊長は笑った。
俺は樽を持ち上げて傾け、底に残った最後の茶を陶器の杯に注いだ。一杯には、ほんの少し足りない。それを小隊長の前へ差し出す。
「あんたにも、仕事上がりってもんがあるんだな?」
わざとからかってみた。
小隊長は苦笑した。顔には疲れがありありと出ている。
「昨日の朝から、今まで休みなしだったんだぞ。少し黙っててくれ」
「へえ。じゃあ、何でまっすぐ帰って寝ねえんだ? わざわざ、うちに茶を飲みに来てさ」
小隊長は、面白くなさそうに俺をちらりと見た。わかってるくせに、わざわざ聞くな。そんな目だった。
「わかったよ。言いにくいんなら、聞かねえから。お役人様の顔は立てておかないとな」
笑いながらそう言って、俺は桶の水につけてあった杯を洗い始めた。
「店主、そう言うなら、こっちにも言わせてもらうぞ。あんたもこの数年、ずいぶん厄介事を持ち込んでくれたじゃないか?」
小隊長は茶を一口飲み、唇を軽く鳴らしてから、手にした杯を眺めた。どうやら口に合ったらしい。
「はあ? 俺はずっと、法を守って暮らしてる善良な市民だぞ。何の厄介事だよ?」
大して気にも留めず、聞き返した。
「年明けに、あの伝道師につきまとわれたのは、あんただろう?」
小隊長はいったん言葉を切り、テーブルに腕をついて、斜めに構えた姿勢で俺を見た。
「その前、女の勇者が金持ちの息子を通りで殴った件にも、あんたがいたな?」
いや、それは……。何と言えばいいんだ。
「さらに前は、二年前だったか? ルシエ広場の盗難事件。あれにも、あんたがいた」
言い返せなかった。だんだん情けない顔になっていくのが、自分でもわかる。俺がひどい目に遭った話を、一つ残らず並べるつもりかよ。
「隊長、確かにどれにも俺はいたよ。でも、よく考えてくれ。俺が起こした騒ぎなんて、一つでもあったか? 大体、俺が被害者だろ?」
俺は必死に説明した。
「なあ、店主。だったら、どうして毎回、ほかの誰でもなく、あんたが絡んでるんだ? そこは考えないのか?」
そう言われると、俺も真面目に考え込んでしまった。
確かに、何で毎回、ほかの奴じゃなくて俺なんだ? 盗まれたときは、俺が騒ぎを見物しに行ったから。伝道師のときは、俺が女神を信じてなかったから。ヴィシャのときは、あいつが突っかかってきたから。どれも理由が違う気がする。
去年の仲夏祭の火事にも俺が関わってたと知ったら、この人、どうにかなっちまうんじゃねえか?
「わからねえよ。何で毎回俺なのか、俺にもわからねえ」
そう答えるしかなかった。
「あんたが、苦労する星の下に生まれたからだ」
一言一言、区切って言い、何食わぬ顔で茶を飲む。
その肩が、小刻みに揺れていた。笑ってやがる!
睨み殺してやる。目で殺してやるからな!
杯を洗いながら、俺は小隊長を思いきり睨みつけた。だが、向こうは俺の視線に一向に応じない。笑い終わると、今度は一人で何か考え込んでいた。
「店主、昔、兵士をやっていたことはあるか?」
ふいに、そんなことを聞いてきた。
「ねえよ。この屋台を継いで、もう二十年以上だぞ」
「そうか。俺は昔、兵士だったんだ。そのあと治安兵団に移った。弟は今も軍にいる。たぶん、今はルル門の外の野営地にいるんだろうな」
小隊長は、独り言のように話した。
「へえ。何の部隊だ?」
「王家の重歩兵。王都直属だ」
そこで、また言葉が途切れた。何と返せばいいかわからず、俺はそのまま兵士たちの話を続けた。
「隊長、城外の連中は、あと何日くらいここにいるんだ?」
「三日だな。三日後に国王陛下の閲兵式があって、そのあと、あの兵たちはヤラへ進む」
今では「ヤラ」という名を聞くと、それだけで不吉な感じがする。
「そうか。またヤラか……」
思わず、ひとりごちた。
「ああ。帝国が南へ攻めてくるなら、軍を展開して戦うには、ヤラ平原が一番適している」
わかったような、わからないような話だった。小隊長は通りを歩く兵の一団へ目を向け、杯の茶を二口、大きく飲んだ。
「店主、今度の戦争、勝てると思うか?」
まさか、そんなことを聞いてくるとは。しかも、俺に。
「はあ? あんたは兵士だったんだろ? 俺は軍のことなんか、何もわからねえぞ。それを俺に聞くのか?」
「ああ。今ある情報では、国境にいる帝国兵は二万。こっちは、王都の外に集まった兵だけで三万だ。それに北の国境の領主たちの兵もいる。ヤラの後ろには巨人堡もある。そう考えれば、王国軍は必ず勝つ。だが、それでも、あんたに聞いてみたいんだ。俺たちは勝てると思うか?」
杯を置き、真剣な顔で、まっすぐに俺を見た。俺にどこまでまともな答えができるのか、自分でもわからなかった。
少し考えた。
「勝てるよ。勝てると思う。でも、本気で俺に聞いてるんなら、こう答える。こんな馬鹿げたことは、そもそも起きちゃいけねえんだよ」
小隊長は俺の顔を見つめたまま、笑った。
「ありがとうな、店主。勘定を頼む。帰って寝るよ」
立ち上がって大きく伸びをし、ズボンのポケットから銅貨を出して、俺の手に渡した。それからもう一度、俺の肩を軽く叩き、長く息を吐いて帰っていった。
この夕方、紋章入りの鎧を脱ぎ、部下の衛兵たちから離れ、普段着でうちの屋台へ来たあの人。俺の目に映っていたのは、ただ疲れた一人の中年男だったのだと思う。
その背中を、ぼんやりと見送っていた。
「店主! 俺も勘定」
また、屋台の隅からあの聞き慣れた声がして、俺はびくりと跳ねた。
「お前なあ、頭おかしいんじゃねえか? 何でいつも俺を驚かすんだよ!」
勢いよく振り返り、刺客に文句をぶつける。
そいつは笑って俺を見て、両手を広げ、肩をすくめた。
「いや、本当に教えてくれよ。お前、毎回そこにいるのに、どうやったら俺に気づかれずにいられるんだ?」
俺は刺客のそばにしゃがみ込み、長年の疑問を真剣にぶつけた。
「ん? 教えたって、店主にはできないだろ。何の意味があるんだ?」
刺客は杯の底に残った茶を、最後に一口飲んだ。
俺はそいつを睨み、差し出された銅貨を受け取った。
「でも店主、真面目な話、怖くないのか?」
ふいに、そんなことを聞いてくる。
「は? 何が?」
「もし、王国が負けたら?」
にこにこと笑っている。
うん。それは、いい質問だ。
「怖いよ。でも、そうなったら考えるさ」
俺は顎をつまみ、至って真面目に答えた。
「はははは。あんた、本当にソラニアで一番面白い店主だよ」
そいつは立ち上がり、服を軽くはたいて、夜の中へ消えていった。どうやって消えたのかは、俺にもよく見えなかった。
三日後の朝、俺は荷車を引いて、屋台を開けに行った。木の車輪には二筋の傷が増えたが、使ううえでは何の支障もない。屋台の支度を済ませ、客が二、三人入ったばかりの頃、デューク通りのほうから、鎧姿の兵士たちが大勢、小走りでやってくるのが見えた。
治安兵団は総出で、王家の衛兵もかなりの数がいる。ルル通りの両側に二、三十歩おきに一人ずつ立ち、通り全体を固めていった。小隊長も、すぐ近くのルシエ広場のそばにいた。部下たちは道の両側に分かれている。
やがて、あちこちの建物から人々が出てきて、道沿いに集まり始めた。あっという間に、仲夏祭の山車の行列を見に来たときよりも、多くの人で埋まっているように見えた。治安兵団と王家の衛兵が、その人波を懸命に整理していた。
ルル門の外から西風が吹き込み、地面の黄葉を巻き上げる。太陽は、また少し頭上へ近づいた。
そのとき、門の外で角笛が鳴った。
あれだけあった天幕は、もう影も形もない。代わりに、黒々とした人の群れが、幾重にも広がっていた。
集結した軍勢が、閲兵式のために街へ入ってくるのだ。
近くで話している連中によると、軍はルル門から入り、内城の南門に設けられた高台で、グラテン国王ホレンデ三世の閲兵を受けるらしい。そのあとは東へ、王家大通りを通って鉄山門から出て、そのまま北へ向かうという。
俺も椅子を一つ運んできて、その上に立った。めったに見られない王国の軍勢を、しっかり見ておきたかった。
角笛が止んだ。
代わって、蹄の音がルル通りを埋め尽くす。鉄の蹄が石畳を打ち続ける。前の響きに後ろの響きが重なり、途切れることのない轟きとなって、ルル門のほうから押し寄せてくる。
大柄な馬が、横に六頭。
馬体を覆うのは、精鋼の小札を連ねた馬鎧。脚には、硬く引き締まった筋肉が浮かぶ。頭を守る鎧からは、鋼の角が前へ突き出す。その背の兵士も、精鋼の全身鎧に身を包む。
顔を覆う鎧の細い隙間に、かすかに人の目がのぞく。
生身の人間らしいところは、ほかに一つもない。
左右の端の兵士が、それぞれ紋章入りの軍旗を掲げる。ほかの騎兵は皆、手に長槍、腰には先の尖った槌。
閲兵式の先頭を行くのは、こんな連中だった。
人馬を覆う鎧が陽を受け、強烈な光を照り返す。遠くから見れば、動く鉄の山だ。その途方もない重みを押しつけるように、こちらへ迫ってくる。
戦場であれを前にして、怖気づかずにいられる奴がいるのか。俺はそう思った。
鉄の山が、ルシエ広場の前へ差しかかる。
通りの両側で、歓声が爆発した。
「第二団だ! 王都第二団だぞ!」
「王国の竜騎兵だ! 俺たちグラテンの精鋭だ!」
「見ろ! あの二本の軍旗、片方は第三団の旗だ!」
「女神のご加護を! 勝って帰ってきてくれ、英雄たち!」
「第三団の仇を取ってくれ!」
いくつもの声が入り混じる。熱に浮かされた叫び。心からの祝福。別れを惜しむ泣き声もあった。
軍のことなど何も知らない俺は、その叫びを拾いながら、目の前の部隊が何者なのかを、どうにかつなぎ合わせていた。
これが、噂に聞く王国の精鋭。グラテン王国が誇る竜騎兵団、王都第二団なのか。
兵士たちは、まるで全身が鉄でできているかのようだった。沿道の民衆へ応える素振りもほとんど見せず、ただ馬上に姿勢正しく座っている。
鉄の蹄が落ち葉を砕く。小石が震え、跳ねる。うちの屋台の木のテーブルまで、絶えず震えていた。
さらに驚いたのは、その数だ。横に六頭並んだ列が、ざっと数えただけでも二百数十列、目の前を通り過ぎていった。
少なくとも、千五百人はいるんじゃないか。
馬と馬の間に開く隙間から、勇者ギルドの入口が見えた。階段には、ギルドの連中が総出で立っている。
ウルフは胸の前に両手を構え、片方の手で天を、もう片方で地を指していた。通り過ぎる兵たちのために、祈っているのだろう。ポカペラやほかの職員は、その後ろに並んでいた。
誰の顔にも、いつもの笑みはなかった。
鉄の山が通り過ぎると、今度は軽装の騎兵が、ルル通りを次々に進んできた。重い鎧こそないが、数は明らかに多い。どの騎兵も、背中に短い弓を背負っている。
そのあとには、重装の歩兵、弓兵、そして普通の歩兵。大きな部隊が、指揮官に率いられ、順に通りを進んでいった。
重装歩兵が通るとき、小隊長は人々を整理しながら、何度も隊列を振り返っていた。弟を見つけたかったのかもしれない。だが、あまりに数が多く、最後には諦めるしかなかったようだ。
すべての軍勢が通り過ぎた頃には、太陽は頭上を離れ、西へ傾き始めていた。
熱狂した人々は、兵の列を追って王家大通りへ向かっていく。そのあとに残った父親、母親、妻や子供たちは、悲しげな顔で、まだルル通りに黙って立っていた。
王家の衛兵は、もう引き揚げていた。小隊長は部下たちや何人かの住民と一緒に、通りに残された馬糞を片づけている。俺も屋台の掃除に使う箒を手に取り、その中へ加わった。
軍は去った。北にある、ヤラという名の戦場へ。
ルル通りから喧騒が消え、戦争が始まる前の静けさが戻っていた。ルシエ教会の最上階から、鐘の音が響く。ほぼ真円の赤い夕日が、ルル門の向こうへ静かに沈んでいく。遠い山並みの影の上には、夕焼けが一面、赤く広がっていた。
王国のごくありふれた夕暮れにすぎなかった。




